第四章 遺 志

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  ジュリアスやクラヴィスたちの意識が一瞬、途絶えた。次の瞬間に、思わず、ふぅ……と息を深く吸うと同時に、目の前が明けていく。そこは、古塔の中ではなかった。ジュリアスはジュリアスの、クラヴィスはクラヴィスの、他の者たちは他の者たち の、精神体はそれぞれ違った場所にいる。あたかも実体を伴うが如く……。

 ジュリアスは空の清々しさを見ていた。ストン……と突然、その場に落ちたような感覚がしている。
“……何だったか……?”
 今し方まで考えていたのは何の事だったか? とふと思う。ジュリアスは、辺りを見回した。まだ青い穂が風に揺れている。道の向こうから、目の粗い粗末な布を腰紐で結わえただけの姿をした見知らぬ子どもが駆けてくる 。

「ジュリアスさまーー。宮にそろそろお戻りくださいって」
 子どもは笑顔でそう叫び、ジュリアスの元に駆け寄ってくる。
“呼んでいるのか? 私を? だが私は彼を知らない……”
 ジュリアスは腑に落ちないまま、子どもの視線と言葉を受け止める。
「呼びに来てくれたのか。ありがとう、ロイタ。では一緒に戻ろう……」
 ジュリアスは、微笑むと宮まで続く一本道を歩き出した。
“何なんだ……私は、彼を知らないのに、どうして名前が口をついて出た? ここは一体……どこなんだ?”
 違和感がジュリアスを襲う。立ち止まり、また四方を見渡すと、遠くに山々が見え、手前には青々とした畑。その向こうにこんもりとしげる木々。ここが知っている場所なのか、そうでないのかジュリアスにはわからなくなっていた。

“その木々を少し入った所に、宮があるのだ……だぶん……”

 知らないはずの場所に向かってジュリアスは歩き始める。穂の間から農作業をしていた年寄りがひよっこりと顔を表し、ジュリアスに向かってペコリと頭を下げた。ジュリアスは片手を挙げてそれに応える。また違和感がジュリアスを襲う。
“あの者はどうして私を知っているのだ? 何かが違う……”

「おーーい、ジュリアスーー」
 今度は、背後から声がし、ジュリアスは振り返った。
 
“あの者は……知っている。そうだ、あれは……オリヴィエだ”

「ジュリアス、視察は済んだの? 今年のルゴイはなかなかいいね。豊作が期待できそうだよ」
「ルゴイ…………」
 ジュリアスは、呟いた。
「ジュリアス……知っているでしょ? この一面に拡がっている稲穂の事だよ?」
 オリヴィエは、ジュリアスの目を見据えて小声で言った。
「違う……ルゴイじゃない。これは……違う、そんな呼び名ではないだろう。……では、そんな呼び方はしない」
 ジュリアスは、額を抑える。この稲穂の本当の名前は、何と言ったか必死で思いだそうとする。 
“違うのならば何と呼んでいる? どこで?  どこでだ? 確か、ク……。クゥ……クゥアン……そうだ!”
「クゥアンでは!」
 大きな声をあげてそう叫んだジュリアスにオリヴィエが頷いた。ジュリアスの傍らにいる少年が、怯えたようにジュリアスを見上げる。オリヴィエは、子どもの頭を撫でてやり、「一足先に戻って、足湯の用意をしてくれるように頼んでおいて貰える?」と上手く取りなした。少年は頷くと森に向かって駆けだした。ジュリアスの方は、遠い目をして「クゥアン……」ともう一度呟いた。
「そうだね……。ジュリアス。でもここでは違うんだ。ここはクゥアンではないし。抗うなと、ノクロワも言ってたでしょ……。少しの間、一緒にここに留まろう……この土地の守り人として……そう……今は、受け入れよう」
 オリヴィエはそっとジュリアスの背中に手を置く。
“そうだな……そうしよう。何か……大切な事を識るために、今は……少しの間だけ忘れていよう、クゥアンのことも……私が誰であったかも……。そうしなくてはならない……”
ジュリアスの中にある靄が少しづづ晴れていく。

「……ねえ、南の河の辺りのルゴイは特に良い出来だったよ」
 オリヴィエは改めて、ジュリアスにそう言った。
「何よりだ。女王も喜ばれることだろう……」
 そう答えたことで、ジュリアスの中にあった違和感が静かに静かに消えて行った。
“そうだよ、貴方は今、この地の守り人の一人であるジュリアス。そして、ワタシも……守り人のうちの一人”
 モンメイの王子オリヴィエである自分の意識を残したまま、この世界のもう一人のオリヴィエの意識を受け入れても、ジュリアスと違って夢のサクリアに関わる彼の場合は何ら支障がなかった。それはそれ、これはこれ……と心のどこかにスイッチのあるように、目前の事象に応じて意識が上手く切り替わっていた。

「豊作なら民の活気も良くなる。休止中の幾つかの行事も復活できるかも知れない。宮に戻ったら女王に進言してみようよ」とオリヴィエは明るく言いった。

 ジュリアスとオリヴィエが宮に向かって戻っている道中、そこから少し離れた小さな集落にクラヴィスとリュミエールが辿り着いていた。 彼らもまた『この世界』の者として行動している。
「ようこそお越し下さいました、クラヴィス様、リュミエール様」
 女王に仕える守り人である彼らに集落の者たちは、手厚く持てなそうとするが、彼らは屋内に入らず、木陰に控えたまま動かずにいた。
「すぐに戻らねばならぬ故、かの者に逢わせて貰えるか?」
 クラヴィスはそういうと、頃合いの切り株に腰掛けた。
「僕ならここにいます」
 まだ子ども……と言っても良い年齢の少年が、年配の者たちの間から歩み出る。
「うむ。使いの者から話しは聞いているな?」
「はい。僕が次代の守り人の一人に選ばれたって……。でもよく判らなくて……」
「そうですよ。少しお話ししましようね、その為に私たちは参ったのですから」
 リュミエールは自分たちの座っている切り株の近くに少年を呼び寄せた。
「さて、女王の宮には、九人の守り人がいる。これは承知であろう?」
 クラヴィスがそういうと少年は頷いた。
「空読みの者、夢見を操る者、武術に優れたる者、智力に長けたる者、琴線に触れたる音を奏でる者、物を操る者、御霊を探る者、総てを統括する者、そして、緑と会話の為せる者……」
 リュミエールがゆっくりと噛み砕くようにそう言うと少年は頷いた。
「先の祭の時に守り人の皆様のお姿を見ました。空読みのお方と、物を探るお方は、僕とあまり歳も違わないように思えました」
「ええ。二人とも少し前に、女王宮に入りましたからね。まだ年若い少年ですよ」
「お前は、緑と会話の為せる者として守り人の一人となるのだ」
 緑との会話が為せる……。農作に従事する者たちは、多かれ少なかれ、土壌の様子や天候などから作物の出来不出来を知る。それは経験に因るものだ。少年は、そういった経験以前に生まれ持って、通常ならば意思の疎通の適わぬ動植物たちの気持ちを理解することが出来た。おかけで彼の村は、ふいの大雨や嵐、害虫による被害を避けることが出来、地域でも一番、豊作の続く村となっていた。元より宮には、別の緑と会話の為せる守り人がいる為、大きな災害は常に難を逃れ、女王の治めるこの地域全体は、飢えることのない処ではあるのだが。その守り人の能力に衰えが出始め、後を継ぐ者にこの少年が選ばれたのだった。
「女王宮に入ってもいままでと同じで良いのですよ。これからは貴方の村の為だけでなく、この地の人たちの為にその力を使うのです。今日はご挨拶だけ。また来ますね。貴方から宮の方に遊びに来ても良いのですよ」
 リュミエールは少年が不安にならぬようね心を込めてそう言った。
「リュミエール、雨が来る前に戻るとしよう」
 クラヴィスは立ち上がり、少年の後にいる集落の長をチラリと見、手招きした。
「何でございましょう?」
「あの辺りの空気が澱んでいる」
 クラヴィスは、木立の外れ辺りを指し言った。
「え?」
 と振り返った長の顔がたちまち曇る。
「何か小動物か虫か……そういう類の捨て場か?」
「は、はい。その通りでございます。枯れた井戸がありまして、その中に」
「弔う必要はないが、土中にきちんと埋め直し、地に還すように。井戸に放り込むのはよくない。疫病を招くことにもなろう」
 クラヴィスの言葉に長とその場にいたものたちは、「さすがに守り人様だ」と感嘆の声を挙げ、深く頭を下げた。
 
 

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