第四章 遺 志

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 クラヴィスとリュミエールが宮に辿り着くや否や、大粒の雨が降り出した。報告の為に女王の居る広間へと入る。先に戻っていたジュリアスたちに加え、別の村に出向いていたルヴァとオスカーも戻っていて、女王の回りに座している。リュミエール が、皆に新しく守り人となる少年の様子を簡潔に伝えると、それを労うように飲み物が配られた。木をくり抜いて造られた器に入った白濁した酒。クラヴィスは、それに口を付ける。ふいに 彼の中に、もうひとりの、教皇クラヴィスの意識が現れた。教皇庁での食卓に出される酒は、朝日を写し取ったような淡い色のついた透明のもので、口に含むと熟した果実の持つ爽やかな酸味が拡がっていく。それに比べるとなんとこの味の粗野なことだろう……とクラヴィスは、もう一人の自分の中でそう思う。オリヴィエと同じくクラヴィスもまた本来の意識を留めている。奇妙な感じがしつつも、特にどうということもなく意識が保てているのはやはり、闇のサクリアの特性が関与していた。

“だが、この酒も悪くはない……どこかしら懐かしいような温かみのある味がする”
 フッ……と笑ったクラヴィスにジュリアスが問う。
「どうした? 何か良いことでもあったか?」
「いや……。酒が旨い」
「そうか。村の乙女たちが我らの為に選りすぐりの果実を使って作ってくれたものだと聞く。有り難いことだ」
「ああ……」
 たわいもない二人のやり取りの合間に、雨はますます強くなる。藁葺き屋根の合間からはポタリポタリと雨漏れがしているが誰もあまり気にしていない。
「乾いた土が、この大雨を吸い上げ、ルゴイはまた一回り大きくなるでしょう。例年にない良い秋が来ます」と女王が言った。
「ならば、山の向こうにある貧しい地域にも余裕で援助ができますね」
 視察先でみたその村の様子に心を痛めていたオスカーの顔が明るくなる。
「女王よ。豊作の秋の後には、穏やかな冬が来ます。今年ならば、北部の子たちを集めて学舎を開くことも可能でしょうか?」
 ルヴァが言うと女王は大きく頷いた。昨年もその前も、北部は豊作の秋を迎えることが適わず、女王の計らいで南部の比較的富裕な村からの援助を受けた。その礼の為に北部の者たちは農閑期を機織りなどの手仕事に従事さねばならなかった。もちろん子どもたちも。 故に学舎に来ることが出来なかったのだ。
「良かった……本当に良かった。あの地域の子たちは本当にいつもお腹も空かせていて……」
 ルヴァが涙ぐみながらそう言うと、皆も微笑む。
「感謝の祈りを捧げましょう」
 女王が手を合わせ俯くと、他の者たちもそれに従った。雨の音だけが広間を支配している。湿った空気と部屋の片隅に置かれた供物の果実の甘い香りが溶け合う。祈りの中、オリヴィエは少し目を開け、ぐるりと辺りを見渡した。草を編んだ敷物、木の器、石の皿、簡素な織物で出来た衣服、何もかもが、素朴だった。だが人が懸命に作り上げた味があった。
“聖地の初めは、なんて優しいんだろう……。こんな風に自然に心を開き、その声を聴くことが出来る者たちが、民を想い、守り人と崇められて始まったのなら……守護聖っていう存在も納得できる気がするよ。ねぇ、シャーレン……”
 オリヴィエは心の中でそう思った。
『そうだね、オリヴィエ。聖地の最初はこんな風に始まったんだよ……僕もすごくいいなって思うよ……』
 シャーレンの声が心の中にそっと返ってきた。
“次は別の時代を見せるの?”
『うん。そこから、ずっとずっと遠い未来の聖地だよ……。でも、今の僕たちがいる聖地から見れば、ずっとずっと過去のことだけど……ね』
 そう言ったシャーレンの声が何故だかとても悲しそうだ……とオリヴィエは思った。
 

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