第四章 遺 志

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  ノクロワは黙って頷いた後、「命あるものが迎える結末は……死だ。数日限りの命の羽虫もいれば、数年の寿命の小動物もいる。巨木は何千年も生きる。人も然り。そして、この宇宙も……その長さに違いがあるだけ……」と呟いた。 そして、 「我々の住むこの宇宙も遙か以前から衰退期に入っている。もう間もなく終焉を迎えるのだ」
 ノクロワはそれが大したことではないという風にサラリ……と言った。
「もちろんお前たちの時間でいう、何十年、何百年単位の話ではない。小宇宙と小宇宙の間に区切りの線や壁などは無いが、女王陛下の統べるこの宇宙と隣接する所に、永らく何もない空間があった。いや……何もないというのは我々の概念だな。様々な物質や生命体のない惑星は 僅かに存在しているわけだが……。ともかく聖地では、そこを虚無の宇宙と呼んでいた。これから新たに生まれる新しい、まだ人の住まぬ、文明のない宇宙が存在している」
「そのお隣さんは、生まれたての赤ん坊のようなものさ。生命力に満ちあふれた存在で、これからどんどん大きくなるんだよ。……貪欲なほどに」
 ノクロワの重厚な口調とは正反対の軽さでシャーレンが言った。だが、最後の部分は低い神妙な声に変わっていた。先ほどシャーレンからザッとではあるが『宇宙の概念』を見せられているジュリアスたちには、隣接するその新しい宇宙と、終焉を迎えようとしている宇宙の間にある因果関係が朧気ながらも判るような気がしていた。
「新しい宇宙にこの古い宇宙が、押しのけられる……ってことですか?」
 それを口に出して言ったのはルヴァだった。母親と共にひとつの寝台で眠る生まれたばかりの幼子は、その成長に伴って手足を動かすことを覚え、寝返りを打ち、何の遠慮無く母を寝台の端へと押し遣る。そんな風にルヴァは解釈した。
「押しのけるというよりも取り込む……といった方が良いだろう。いずれは現存する我々の宇宙をすっかり飲み込んでひとつの宇宙となるのだ」
 ノクロワの声質が低いがために、それは一層恐ろしげな事に聞こえる。
「もっともそうなる頃には、この宇宙に生命体と呼べるものが残っているかどうかは判らぬ。我々にとってはそれほどに遠い先の話だ」
 自分の言葉をフォローしてノクロワがそう言う。
「新たな宇宙には、また新たな聖地とサクリアが必要なのだよ。新生期と衰退期、相反する状態の二つの宇宙を同時に治めるだけの力が今の聖地にはない。終焉を迎えた不安定な宇宙の中で、 今、現存する聖地にもまた大きな歪みが出ているのだ。それが如実になったのが、このサファーシスへ女王と補佐官が降り立ったすぐ後の事だったという。当時の女王はひとつの結論を出した。新たなる宇宙の為に、その礎となる聖地を創ろうと」
「聖地を……つくる……って、貴方たちとは別に守護聖を置いて、という事?」
 オリヴィエが小首を傾げつつシャーレンに問う。
「そうだけど、当然、一朝一夕に出来るものではないよね。聖地という場所はともかくとしてさ、守護聖は、サクリアを持つから守護聖なんだもの」
「サクリアそのものを育てるところから始めるのだ……」
 セレスタイトが、座している者たちを愛おしむように見た。
「サクリアを育てる?」
 リュミエールは自分の胸に手を置き呟く。

「サクリアは人の心の間で育ち、紡がれ続けたものなのだ。何世代も何世代も……。また過去の【記録】を見せよう。聖地では正史記録として大切に継がれているものだ。多少後日に補完した部分もあるが聖地や守護聖というものがどういう経緯で誕生したかが判る 。随分……疲れるだろうが、覚悟は?」
 新たに守護聖となった者には必ず見せる【記録】であるそれを、古参の守護聖であるノクロワは、女王や夢の守護聖などの能力と共に、何人にも見せてきた。
「問うまでもなかろう。その為にそなたたちはここに来たのだろう」
 ジュリアスは怯まない。  
「結構。心の準備は既に出来ているわけだ。光のサクリア持ちは、元来、回りくどいことが嫌いだな」
 ノクロワの言葉に、ジュリアスは顔を上げる。二人の強い視線が絡み合う。その間にシャーレンが割って入った。
「すまないね。本当は、全ての話の起点である聖地の起源から伝えるべきだったけれど、【記録】に残るクゥアンの太祖ジュリアスに、あんまり貴方が似ていたからねえ。それに貴方の心が強く知りたがっていたし君の祖先の事、この地の事、聖地の事、これらは全部繋がっているんだ。一度に全てを伝えきるには長すぎるのでね。……ねぇ、オリヴィエ、さっき君にほんの少しの時間、過去の事を見せたけれど、ずいぶんと疲れなかったかい?」
 ふいに尋ねられたオリヴィエは、「え、ええ、まあ……」と頷く。
「正史記録は、今まで僕がチラチラと部分的に見せたものとは違うんだ。代々の女王と守護聖のサクリアの残り香……とでも言えばいいかな。それだけに、心が強く影響される。下手をすると深層意識下に入り込んで戻って来られない時もあるんだ。」
 そう言うとシャーレンは座している者たちの覚悟を確認するかのように見渡した。だが、ノクロワは、フンと鼻を鳴らしてジュリアスを見た後、「そういう説明すらこの者にはもどかしかろう。今更、慎重になったところで何の意味もあるまい。この者たちの目は前しか見ておらん。望み通りに見せてやろう。我らが知りうる事を伝えよう。元よりそれが目的でここに来たのだからな。さあ、さっさと始めよう。肩の力を抜き、目を閉じよ。さきほどの同じように、お前たちの心に押し寄せるものに身を委ねて抗うな。今度は見ているだけではないぞ。 【記録】の中には過去の守護聖が出てくる。ジュリアス、お前は光の守護聖の、クラヴィスは闇の守護聖の、その他の者たちもそれぞれ自分の持つサクリアを持つ守護聖の意識と同調するのだ。あたかも自分が体験しているようにな」
「どういうことか判らぬ」
 ジュリアスは首を振る。
「君たちの世界の科学力がもう少し進んでいたなら、バーチャルリアリティなんて言い方で、なんとなく判ってもらえたかも……なんだけど」
「単なる作り物ではないのだから、その言い様はいかがなものか? サクリアが絡むのだぞ。もっと複合的なものだ」
「そんなこと言ったってやっぱり説明するのは難しいよ」
 二人が言い合うその横からセレスタイトがジュリアスに声を掛ける。
「物語を読んでいて、自分によく似た登場人物に感情移入することがあるだろう? 例えばクゥアンの太祖は伝説の人物だったから、武勇伝のようなものが幾つもあるだろう? それに自分の姿を 過剰なほどに重ね合わせてしまったことは?」
「少なからずある」
 ジュリアスは素直に答えた。
「それと同じだと考えてよい。同じサクリアを持つ者は極めて同調しやすい。過去の【記録】を知った後、それはまるで自身が体験したことのように感じるだろう。私も聖地に上がって、同じものを見せられた。私とお前は光のサクリアの持ち主だから、私が辿った意識と同じ所をお前も行くのだよ」
 セレスタイトに諭すように説明されても、ジュリアスはすんなりとは頷けない。
「それは、つまり……。ワタシの場合だと、過去の夢の守護聖のことが自分のことのように思えるってこと?」
「じゃ、俺だと炎の守護聖のことか?」
 オリヴィエとオスカーの言葉に、守護聖たちは頷く。

「じゃあ始めよう、ノクロワ」
「うむ。瞳を閉じた後は、何があっても抗うな。流れに身を任せるのだ」
 ノクロワの言い様が抽象的で、どういうことなのか判らない皆は返事を返さず、困ったように互いに視線を交わす。
「同調が始まってすぐは違和感があるんだ。あんまり考えないで……ってことさ。すぐに元の自分を忘れ、その世界に馴染むから。あ、オリヴィエ、君は違う。どこかに今の君自身の記憶を留める」
「ワタシだけが? それは夢のサクリアを持ってるから?」
「うん。僕の力で過去の【記録】を見せ、その中に君たちの意識を投げ出すわけだけど、夢のサクリアを持ってる君は、一部だけ僕の意識とも同調してしまうんだ。つまり、ジュリアスたちがずっと深い眠りの中にいるようなものとしたら、君は深い所と浅い所を行ったり着たりしている感じ」
「それからクラヴィス、お前たちの心を無にするために使う私のサクリアと同調するから、お前もだな」
 ノクロワは、一番端で黙ったままのクラヴィスに向かってさらに言う。
「クラヴィスとオリヴィエの存在は、命綱のようなものだ。深い意識下から戻るための」
 リュミエールは、祈るように胸の前で指を組み合わせて瞳を閉じた。ルヴァは、瞼をそっと押さえて。オスカーは、顔をグイッと上げたまま瞳を閉じた。オリヴィエは、顎の辺りを指先で支えるようなポーズのまま。ジュリアスは座した背筋をしゃんと伸ばして整えると静かに瞳を閉じた。
「クラヴィス、お前も瞳を閉じなさい」
 とセレスタイトが言った。その声に最後まで守護聖たちを見ていたクラヴィスが、俯き加減で瞳を閉じると、ノクロワから闇のサクリアが溢れ出す。闇と夢のサクリアが古塔の 中に満ちていく……。
 
 

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