第四章 遺 志

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「さて……。私たちは、伝えたいことは伝えた。お前たちの成すべきことはたったひとつ。お前たちの時を生き抜け、ということだ」
 セレスタイトはしっかりとした口調で言った。聖地に召すと言われるのでは? と思っていた皆の肩の力が一気に抜けた。と同時に彼の言わんとする所の意味を深く考える。
「生き……抜く……ですか?」
 リュミエールが、不安気にセレスタイトを見つめ返す。
「ここにいる誰もが、この地の明日を担う立場にあろう?」
 セレスタイトは一人一人を見つめて言葉を続ける。
「この後……また国が荒れることもあるだろう。飢饉の年もあるだろう。西と東が別たれたような大きな災害が起こるかも知れない。幾多の災難の他にも、親しい者との別れがあるだろう……。それが人為的なことに因るものかも知れない……」
 そうセレスタイトが言った時、皆の心に剣で貫かれた子どもが映った。傍らで号泣するのはその子の父である自分自身だ。シャーレンが心に送り込んだものだな……と誰もが瞬時に思う。もしそんなことが起きたなら、俺は殺したヤツを許しはしない……とオスカーは思う。それを見たかのようにノクロワが言葉を発する。
「他国との政絡みで、我が子が殺されたなら復讐の鬼と化し、兵を出すか? その国もろとも蹂躙するか?」
 そう言われて、オスカーは拳を握りしめる。
「殺したヤツは許さん……、が、民にまで罪は……」
と言いかけて頭を振り、「判らない……そうなってみないと。状況にも因る……」と項垂れた。
「その答えを出す時に、ただ心に曇り無く決断できるか? 今の事例は極端だったが、お前たちがその命を全うするその時まで、正しく生き抜くことは容易ではない。財を成せば、保身に走りたくもなろう。子を成せば、その子の才如何に関わらずその地位を譲りたいと思うこともあろう。それ以前に王や騎士、学者……そのような今の地位を何事かによって失うかも知れない。それには仲間や家族の裏切りなどが係わっているかも知れない。もしくは自身がそのようなことに荷担することもあるだろう。心とは……脆いものだ」
 皆の不安を煽るようにノクロワはそう言った。誰もが、そんなことはあり得ないと言い返せない。東の大陸の者たちは、心の隙にごく僅かに入り込んだものによってジュリアスを貶めようとしたツ・クゥアンを思う。西の者たちは、ジェイド公を思う。彼もまた優れた人物であったが、過ぎた野心に身を滅ぼしたのだった。
「正しく生きることは容易くはないよね。抑も正しいとはどういう事か? 良かれと思ってしたことが誰かを悲しませることになってしまう……そんなことは常にあり得ることだろうしね……」
 シャーレンがそう言った後、ノクロワがスッと動き皆の正面に立った。
「ジュリアスよ、光のサクリアは、王に宿るのでは無い。真の王の如き気高き魂の持ち主に宿るのだ。ルヴァよ、地のサクリアはお前が優秀な学者だから選んだのではない。先人の叡智を心から探求してやまず、それを我がものとし皆に惜しみなく伝えることができうる人物だからだ。他の者たちもそうだ」
 顔を上げたジュリアスもルヴァもそして他の者も、そう言われて尚、頷くことも出来ずにいる。その言葉に自分は本当に価するのかと、自問せずにはいられない。
「……もし、わたくしが暴君と化した場合、わたくしのサクリアはどうなってしまうのですか?」
 一番そうならなさそうなリュミエールの問いに、シャーレンが思わず笑う。
「簡単なことだ。サクリアはお前から離れ、誰か相応しい者の元に行くまでだ。炎、夢、地……のサクリアを持つ者も同じ。だが……」
 ノクロワの視線の先には、ジュリアスとクラヴィスがいる。
「お前たちは別だ。サクリアは申し分なく育った。誰の元へも行かぬ。聖地によって隔たれた後、互いにまみえてこれ以上は望めぬまでになったお前たちのサクリアは、お前たちの死後、その肉体を離れて新宇宙へと向かい完結する。【記録】の中で聖地移転が成された時、彼らのサクリアが守護聖という容れ物を離れ、宇宙に還ったように」
「それでは、私たちだけはこの後、如何様に生きようとあまり関係がないことになる」
 ジュリアスのその言葉を待っていたかのようにノクロワが笑った。
「こんな比喩はどうかと思うがな。腐ったサクリアが新宇宙にどう作用するか私には判らんぞ。だから、いっそ……」
 ノクロワは目を細め、ジュリアスに向かって手を向けた。細く長い指先が目に見えぬものを操るように動く。ジュリアスは一瞬、喉の詰まりを覚え、「くっ」と短く叫んだ後、胸を押さえた。
「よさないか、ノクロワ」
 とセレスタイトはノクロワの手を押さえる。
「いっそ、腐る前に食べてしまえば良い……と言いたかったのだ」
「ふ……だが、それも無理なことだ……」
 ジュリアスが笑い返した。
「そう。お前の命をこの場で絶つことなど容易いが、その瞬間にお前は私を、聖地を憎むだろう。そうすれば太祖ジュリアスのようにサクリアはサクリアであってなきものになってしまからな」
 睨み合うノクロワとジュリアスの横で、またシャーレンが、「つまりは、ジュリアスとクラヴィスには何がなんでもきちんと生きてから死んで欲しいんだよね」と明るい声で言った。ノクロワはその言い様に呆れたように彼を見た後、「まあ、判りやすく言えばそういうことだ」と脱力したように付け加えた。
「サクリアがあろうがなかろうが、私は己の信念に基づき生きる。それだけだ。それだけで良いのなら容易いことだ。わざわざ聖地からやってきて、念を押すことも無かったな。だが、太祖の事や、この地の事などが判ったのは良かった礼を言う」
 ふん……と鼻を馴らさんばかりに言い返したジュリアスに、セレスタイトが微笑みながら頷く。
「ねえ? ジュリアスとクラヴィスが死んだ後、そのサクリアが新宇宙に行き、その礎となって、それからはどうなるの?」
 近くにいるシャーレンにオリヴィエが問う。
「そうした後、他のサクリアも導かれるように新しい宇宙へと向かう。そこではまた人の住む星が生まれる。【記録】で見たようにまた原始の聖地が出来て、それを導こうとする者に新宇宙を漂うサクリアは宿るんだよ。【記録】と同じような世界になるかも知れないし、全く違うことになるかも知れない。それは誰にも判らないさ」
「一番始めはいつも光と闇なの? ジュリアスやクラヴィスより先に私が死んだらこの夢のサクリアはどうなるの? 新宇宙へ導かれないの?」
「そうだね。その場合はまたこの地にいる他の誰かに継がれるだろう。ジュリアスとクラヴィスが生きている限りは」
「そうなのか? うーん、それって何か嫌だな……」
 とオスカーがポツリと言った。
「ええ、判る気がしますよ。出来れば、サクリアは、私自身の中から直接、新宇宙へ向かって欲しい気がしますねえ。あっ、これって強欲ですか? あの〜、この程度ならサクリアに悪い影響は? どっかに行ったりしませんかね?」
 ルヴァは、サクリアを逃すまいとするように自分の心臓の辺りを両手で押さえる。思わず取ったその仕草が自分でも可笑しかったらしく、その後、頭を掻いて照れた。
「その程度で何かあるなら、僕やノクロワなんかのサクリアはもうどうしようもない腐れサクリアだよねぇ?」
「腐れサクリア……。お前の例えは本当になんとかならぬのか?」
「自分が言ったんじゃないの、腐ったサクリアって」
 肩を竦めたシャーレンに、ノクロワがムッとする。その横でセレスタイトが笑っている。
「ねぇ、それほど高潔に生きなきゃなんないわけでもなさそうだね……」
「そうみたいだな」
 オリヴィエとオスカーは小声でそう言い合う。和やかな雰囲気が一瞬流れ、セレスタイトがほんの少し自嘲するような笑みを浮かべた後、「本当の所……。私にも判らないのだよ。サクリアと自分とを繋ぐものが何なのか。何故、サクリアが私に宿ったのか。私は自分がそれほど高潔であるとは思わないし、そんなに強い信念があるわけでもない……と思うのに」と言った。 他の者たちはそれを、自分の気持ちを代弁して貰っているかのように聞いていた。
「けれども……正しく生きたいと思う気持ちに偽りはない。そして私以外の者にも正しく生きて貰いたいと思う気持ちにも」
 そう言い切ったセレスタイトの声を聞いた時、皆は、清々しい風を受けたような気持ちになった。
「僕はこの通りお気楽な性格だよ。いつも笑って、何かしら夢を見て生きたいと思うんだ。そう……僕、以外の皆にもそうして欲しい」
 シャーレンは、座している者たちに向かってウィンクを飛ばす。
「セレスタイトやシャーレンとは違うが、私にもそれなりに思うところがあるのだ。サクリアの特性に於いて、個々に生きる道を模索し、その正しき所を歩めばそれでいいのだ 。怯むことなく、な」
 ノクロワが最後にそう言った時、それまで感じなかった熱気が、どこからか入り込んできた。
「ん? 干渉が緩みだしたね。時間だ」
 そう言って、シャーレンが自分たちの背後を見た。ノクロワは、手を翳し、何かを押し留めるような仕草をし、セレスタイトを急かせた。
「聖地に戻らねばならないようだ。もう一度、言う。どうか強く生きて欲しい。お前たちにとっては、何ら関わりのない遠い遠い未来の世界の礎の為にではあるが……これは光の守護聖としての言葉だ。……私個人としては、そういうことに関係なく……どうか健やかで、幸せな、一生を……。その臨終の間際に悔い無きよう……」
 セレスタイトは思わず顔をやや上に上げた。その瞳の端に濡れるものがあり、それが溢れ落ちないように。
「【記録】を見たお前たちならば判るだろう。守護聖は、サクリアだけでなく、過去の者たちの遺志を継ぐ存在でもある。例えば、豊かな大地の実りを、平和の日々を、苦難に打ち勝つ術を、次代へと。それぞれの守護聖たちは、聖地にあってただ祈りの日々だけを過ごすのではない。お前たちと同じく、その身にサクリアを抱きながら葛藤し生きる。私もまた、お前たちに負けぬように……」
 もう二度と彼らに逢うことは叶わぬだろうし、聖地に戻って僅かの月日のうちに、この者たちの命の終わりを知ることになるのだろうと、思わずセレスタイトは瞳を閉じた。一筋の涙が頬を伝い降りた時、聖地への回廊が開いた。
「セレスタイト、時間だ。もう持たない。先に行く」
 ノクロワは、聖地への回廊……に向けている手を降ろした。その大きく開いた闇の中に消える間際、もう一度、クラヴィスとジュリアスをじっと見た。 励ましとも取れる鋭い眼光。シャーレンは「じゃあね」と短く皆に言った後、オリヴィエの手を取った。
「もう逢えないけど、見守ってると思っていて。君に何かあったらすぐに僕はそれを感じるだろうけれど、何もしてあげられないけど……」
「じゃあ、ワタシが笑ってるとシャーレンにはそれが判る?」
「もちろん、知ろうと思えば君の様子はつぶさに知る術はあるけれど、そんなことはしないよ。けれど大笑いしてると感じると思う。何か幸せそうにしてるなーって」
「じゃあ、なるべく貴方に楽しい気持ちが届くように頑張ってみるよ」
「うん、ありがとう」
 シャーレンは、ぎゅっとオリヴィエを抱きしめて離した後、他の皆を見回して、「元気でね」と手を振った。彼独特の軽い態度に、皆の強張っていた表情が緩む。
 最後にセレスタイトが、回廊を背にしてそれを塞ぐように立った。黒く切り取ったような扉の形が反転し真白に変わる。セレスタイト自身から光が発せられているように。さきほどの顔とは違って、明らかに光の守護聖のそれである。
「クラヴィス」とセレスタイトは言った。
「はい」
「お前の死後、お前の中にある聖地よりの力は、誰にも引き継がれぬ。もうサクリアを育てる意義は無くなるからだ」
 クラヴィスのみならず、リュミエールとルヴァも、ハッとする。ならば、教皇というものは……? と。
「では……この地の……負を取り除く役目は?」
「それは闇の守護聖ノクロワが担う。 お前とジュリアスの死後、他のサクリアも後を追って、この地からは消え新宇宙へと向かう。、他の星々と同じく、ここにも聖地の力が等しく降り注ぐことになる」
「継がれ……ない……」
 クラヴィスは呟き、セレスタイトを見る。
「そうだ。教皇の力は繋がれない」
 それがどういうことだか判るな……とばかりに彼はクラヴィスを見てきっぱりと言った。
「判りました。教皇は、以降……相応しい者に継がれることになるでしょう」
 クラヴィスは、晴れやかな顔をしてセレスタイトを見返した。  
「楽ではないぞ」
 セレスタイトの言葉にクラヴィスは頷く。世襲であればこそ争いもなく収まっていた教皇という最高位がそうでないとなれば、また一波乱起きるだろうことは容易に予測できる。だが、クラヴィスならば成し遂げるだろうとセレスタイトは思う。父である前教皇や自分なら上手く収めようとするあまり、あれこれと考えすぎて結局は改革できないままになったかも知れないことも、クラヴィスならば、枢機官や古参の執務官の苦言など、サラリと受け流して、強引に……。
「健闘を祈る」
 セレスタイトは守護聖としての顔を、ほんの一瞬だけ手放し、兄としての優しい微笑みを浮かべた。
 セレスタイトから発せられていた白い光が靄に代わり、その半身が、背後から来る闇に呑まれて消えてゆく。彼の唇が、別れの言葉の形に動き、そしてその場に閃光が走った。それは、あの【記録】の中、聖地が掻き消えた様 と規模こそ違えど、よく似ていた。何もかもが消え去った後、どこからか声がした。女性の。それが聖地の女王のものだと彼らにはすぐに判った。

 サクリア−−−。
 太古から人の生きた証が積み重なったもの。
 守護聖の遺志が継がれたもの。
 新たなる宇宙に不可欠な礎となるもの。
 そして、今は……。
 お前たちのいのちを耀かせるもの……。

 古塔に響くその声に、彼らが持つアミュレットが反応する。いつもは冷ややかなそれが熱く、重く。だが、彼らの心は浮き足だって、今にも立ち上がり歩き出したい衝動に駆られていた。ようやく活路を見つけた旅人のように……。 

 

 第四章 遺 志……了
 

最終章につづく

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