最終章

 1

 
 守護聖たちが消えた後、古塔の部屋の静謐さも一掃された。石窓から差し込んでくる午後の日差しは、強く、眩しく、すぐ側の木々から蝉の鳴く声が一斉に響き出す。先ほどまでまったく感じられなかった暑さが彼らに襲いかかる。と同時に、長年の疑問が解け、あれほど軽やかだった心が一気にずしりと重くなった。憔悴……誰もが無言のまま、今し方までセレスタイトが居た壁際の辺りを見つめていた。額から 吹き出した汗が頬へと伝い、クラヴィスの手の甲に落ちた。それにハッとした彼は、ゆっくりと立ち上がった。そして、やはりまだ黙ったまま、階下へと続く階段へと向かった。ジュリアス、オスカー、オリヴィエ、ルヴァ、そしてリュミエールも同じように後に続き、朽ちかけた石段を揃って降りた。
 クラヴィスが、大聖堂へと続く扉を開けると、数人の執務官たちが、どうしたものかと狼狽えていた。
「教皇様! 一体、どうなされたのですか? 神聖なあの扉の向こうに皆様と入られたらしいと聞き……」
 慌てて駆け寄ってきた執務官を、クラヴィスは手を挙げて制する。
「今、聖地より使いの方々がお越しになっていたのだ」
「えっ!?」
 古参の執務官は驚きの余り叫んだ後、言葉が出ない。
「この地に於ける大事を私たちに告げられたのだ。いずれ……皆には何らかの形で伝える。だが、今しばし、心静かにしていたい」
 クラヴィスがそう告げた以上は、あれこれと詮索することは許されず、執務官は仕方なく引き下がるしかなかった。
 
 その深夜、クラヴィスは一人、大聖堂を訪れていた。昼間の事を、北方の離宮に避暑に出ている両親に宛てて文にしたことで、些かなりとも心が落ち着いた彼は、薄暗がりの中、ぼんやりとしたまま、聖堂の最前列に腰掛けて神鳥のタペストリー を見上げていた。しばらくそうした後、クラヴィスは、再び古塔に行ってみる気になった。例の扉に手をかけようとした時、聖堂の一番奥、教皇の扉が開いた。
「やはり……ここに」
 と声がした。
「ジュリアス……か」
「ああ。そなたがここに居るのが手にとるように判った」
 ふっ……と互いに笑い合う。クラヴィスは、ジュリアスに「行くか?」とも問わずに古塔への扉を開け、その暗い部屋の中、慣れた手つきでランプを灯す。背後にジュリアスの気配を感じながらクラヴィスは それを手に古塔を上がって行った。最上階は、当然の如く誰もおらず、ただ静かな暗がりの中にあった。クラヴィスの持参したランプの小さな灯りが、二人の影を長く大きく石の壁面に描き出している。二人はくり抜かれた窓辺に立ち、無言のまま空を見上げた。一際明るく見える星、聖地。
「彼らが掻き消えた後、長年の疑問が一掃され、その時は心が軽くなったのだが、だんだんと思うことが重なり辛くなってしまった……。今日あった事を心が処理しきれぬようだ……」
 ジュリアスが呟いた。らしからぬ弱々しさで。
「眠ろうと目を閉じると、ジュリアスが……私ではなく太祖の方だ。彼の様が思い浮かぶ。どんな気持ちで大山脈を越えたのだろうと。やがて僅かに眠気が来たと思えば、その後は聖地だ。あの白亜宮での最後の……。夢現の中で何度も何度もそれが行き交う。しまいに自分が誰だか判らなくなって眠れなくなってしまった」
 彼は自嘲した後、キッと顔を上げて聖地を見つめた。
「だが、たった今、弱音を吐いたらすっきりした。元々、私は識るためにこの地に来たのだから」
 ジュリアスがそう言うと、クラヴィスが、クックッと笑った。
「何だ?」
「何か気の利いたことのひとつも言って、心の負担を軽く出来ればと思っているうちに、その必要が無くなってしまった……な」
「いや……。そなたが側にいるとよく見えるのだ。自分の心の奥底が。眠れぬままに部屋で朝を迎えないでここに来て良かった」
「それは何よりだった」
「……東に戻ろうと思う。出来ればなるべく早くここを発ちたい。もう何年も留守にしている気分だ……」
 ジュリアスは大きく深呼吸した後、そう言った。
「判った。出来うる限りの支度をさせよう」
「すまぬ。礼の言い様も無い。こちらからは何一つ返せぬままに去ることになってしまう。東に戻って改めて贈れるようなものも無い。東はここに比べあまりにもまだ……」
 ジュリアスの言葉の途中で、クラヴィスは頭を左右に振った。
「東から来てくれた。そのお陰で私もまた聖地を識ることが出来、何より……兄に再び逢えたのだ。聖地の事は、いずれ正しく民に説くつもりだ。東の地のことも」
「私もだ。西の地は決して魑魅魍魎の住む所ではなかった、と。そして、この地の始めのことも」
「聖地のこともか?」
「ああ。切り離して語ることはできない。民にそれが浸透するのは何年も何十年も先だろうが、正史として記録は残さねばならぬ」
「記録……か」
 あの【聖地記録】を思い出しクラヴィスは呟く。
「そう……記録だ。我々の地にも、後に紡いでゆくものがあるのだ」
 ジュリアスは再び聖地を見上げた。クラヴィスもまた同じように。
 

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