第四章 遺 志

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 守護聖たちが円座していた床が激しく揺れ、個々の体自体も光の粒子……のようなものに包まれた。その後の事は誰にも記憶が無く、その時点で【新・聖地記録 序章 座標0001.2902.11.11-S 聖地・白亜宮】の【記録】は終わる。
 
 が……、オスカーは、青空を見ていた。白い雲が流れ、やさしい風を感じていた。
“生きてるぜ、俺。ああ……聖地の移行は上手く行ったんだな……”
 オスカーはそう呟いた。その青空が次第に暗転して掻き消えてゆく。頭をブンッと振ってはっきりさせると目の前にいるシャーレンとノクロワを見た。
「あ……。そうか……今のは……【記……録】か」
「そうだよ……」
 シャーレンが小声で言う。と同時にリュミエールの小さな唸り声が重なった。
「わたくしは……助かったのでしょうか……あ、いいえ。ここは教皇庁の古塔……」
 リュミエールは、オスカーを見た。そして互いに頷き合う。
「炎と水が一番に戻ったか……」
 ノクロワが呟く。そして、「オスカー、リュミエール。お前たち、今、一番最後に何を見た?」と問うた。
「何……って。【記録】の中では、聖地が消えて……なあ?」
 オスカーがリュミエールに同意を求めるように言った。リュミエールは頷く。
「その後だ。今、目覚めるその直前に何を見た?」
 ノクロワの険しい顔に、二人はたじろぐ。
「空……です。木々のざわめきと……穏やかな風景が……」
 リュミエールは、それが何かいけないことだったのだろうかと怯えるように言った。
「俺もだ。青空だよ。それで聖地の移行は上手く行って俺たち助かったんだな……と思ったんだ」
 オスカーの方は、それがどうしたとばかりにノクロワを睨んで言った。シャーレンが何かを言おうとした時、ルヴァが「ふうーー、やれやれ参りましたねーー」と緩やかな声を上げて目覚めた。と同時にオリヴィエが「あーー、疲れちゃったよ」と。言葉の穏やかさとは別に二人の目は、興奮さめやらぬ風である。
「念の為に聞くけど……」
 シャーレンが言いかけたのを、オスカーが先回りする。
「オリヴィエ、お前、目を開ける間際、何を見た? えっと、ルヴァ……様も何を?」
「はあ……えっと、景色ですよ、聖地の。いいお天気でしたねー」
 ニコッと微笑んでルヴァが答える。
「んー、ワタシはちょっと違うかな……風景みたいにハッキリとしてなかったけど、モヤモヤと光の中で包まれて……向こうにちょっとだけ青空が……」
 オリヴィエが最後まで言い切らないうちに、シャーレンが、ノクロワとセレスタイトを交互に見た。守護聖たちが無言で険しい顔をしている。
「おい……待て……よ」
 オスカーはそう呟くと、傍らに座したまま動かないジュリアスを見た。
「ジュリアス……様?」
 と声を掛けるが返事がない。オスカーはその肩に触れた。ゆらり……とジュリアスの体が、眠っているのではなく死んでいるように後に倒れていくのを、オスカーとオリヴィエが咄嗟に受け止めた。思わず鼓動を確かめたオリヴィエは、微弱ながらも動いている心臓にホッとする。
「ジュリアス様はどうしたんだ?」
 オスカーはシャーレンたちに問う。彼らの表情が硬いことに不安が拡がっていく。
「クラヴィス様もです!」
 リュミエールは、ジュリアスと同じように動かないままのクラヴィスの上半身を抱えて叫んだ。
「おいっ、早くジュリアス様を戻してくれ!」
 オスカーは、シャーレンに縋り付き叫ぶ。
「何がどうしたっていうの……? 帰って来られないの……? 貴方たちのいう【記録】の中から ? シャーレン、貴方はワタシを皆が【記録】の中から戻るための命綱のようなものだと言った。だから、一番最後に戻ったつもりだったんだけど……」
 オリヴィエは真っ青になっている。
「予想外の事が起きたんだよ。ジュリアスが【記録】を書き換えたんだ」
「【記録】っていうのは、過去の聖地人たちの記憶をよすがに紡いだもので事実なのでしょう? それを書き換えたって……」
 ルヴァもピクリとも動かないクラヴィスを心配している。
「そう……なんだけど」
 口ごもるシャーレンの後からセレスタイトが言葉を足す。
「当時……聖地の力が最も弱まった時期だった。長い年月の中で、主星と聖地、そして他の星たちとの間が……謂わば“慣れた”のだ。守護聖はサクリアという力を持ったものではあったが、その一方では、ごく普通の民としての自分を捨てきれず、また主星の中に存在するが故に生活上、様々な縁を断ち切ることも難しく……」
 その場にいたものは皆、一様に頷く。たった今、それは体感したばかりだ。当時の光の守護聖については私自身も【記録】によって感じたのだよ、……歯痒さを。高潔な人柄ではあった。最後まで聖地の為に力を尽くした人ではあった。聖地移転の際、最後まで聖地を思い、平和を願い、そして肉体の死を迎えたのだ。他の守護聖と一緒に……」
 セレスタイトの言葉の途中で、オスカーが「え?」と小さく叫んだ。
「違う……だろ? 聖地が移転して……俺は……炎の守護聖だった俺は助かったと思ったぜ? 移転後の聖地を感じた……青空と……この手に風が通っていくのを感じた……。今もその清々しさが心に残っている」
 オスカーは自分の掌を見つめた後、ギュッと握りしめた。確かにそう感じたのだと。
「それはたぶん……ジュリアスとクラヴィスがしたことだ。【記録】では、聖地が光に包まれて漆黒の裂け目に吸い込まれて暗黒となり……そこでひとまず終わりだった。私もシャーレンもノクロワも、そしてこの【記録】を見た者たちは全部、その後の青空だの、白い雲だの風だの……そんなものは感じていない聖地移転と共に、肉体が死にサクリアだけがまた来るべき時を迎えるまで漂うのだなと思った 。何とも言い難い虚しさとともに【記録】の中から戻ったのだ」
 セレスタイトはその時の気持ちをはっきりと覚えている。
「ジュリアスには我慢ならなかったんだろうね。すんなりと死に逝くことが。聖地が再生し、サクリアが残ることに意義があると守護聖なら思う。たとえ死んでも。潔く美しいと……。けれども、ジュリアスはそうは思わなかったんだろう」
 シャーレンは肩を竦め、その後腕組みをした。
「生きるべし……と思ったのなら、ジュリアス様はどうして……目覚めないんです?」
 オスカーがこわばった顔のまま呟く。
「識ったんだろう。【記録】の中で守護聖となったジュリアスは、光と闇のサクリアが、“始め”のものであるのだと理解し、光のサクリアの本質もまたその身の裡に取り込んだのだ……」
 ノクロワが穏やかに、オスカーや皆を諭すように話し出し、さらに言葉を続ける。
「聖地移転の際には、時間と空間が定義できなくなる。その特異点が解消されて別の処に聖地が再び形を取り戻す時、まず礎となるべく謂わば身を挺して、ジュリアスは支えたのだ。後から遅れて復活する他の守護聖たちの入る余地を創るために。完膚なきまでに己を捨てて。クラヴィスもまた同じだろう。ジュリアスの意思の元、共に従ったのだろう」
「あの……かつてあの【記録】を見た守護聖たちは、ジュリアスみたいには考えなかったの?」
 同じ光のサクリアを持つ者ならそんな風に考えることもありうるのでは? とオリヴィエは問うた。
「考えても実行しなかったんだよ……ねえ、セレスタイト?」
 シャーレンはそう答え、光の守護聖である【記録】経験者のセレスタイトを見る。
「そうだ。心のどこかで無意識ではあるが、これは所詮【記録】なのだと感じていたし、本当にサクリアを持つ守護聖として、制御できた部分もあるのだろう。ジュリアスは、 守護聖ではなく、この地に生きる者としての部分を強く抱いたままにこの【記録】に入った。拒絶反応が強かった時に退くべきだった……」
 そう言ったセレスタイトの横で、ノクロワが、ふう……と息を吐いた。その場を治めようと、さらに闇のサクリアをジュリアスに送り、その意識をより深層下に送ったことを、ノクロワも悔いている。
「ジュリアスの意識は今、どうなっているの? まさか、このまま……」
 オリヴィエは、ジュリアスの顔を覗き込んだ。作り物のようで、生きている気配すら無い。
「たぶん……彼の中では、光のサクリアそのものになって宇宙の……次元の狭間に漂っているんじゃないかな……と思う。肉体は飲まず食わずのまま眠り続ければ、衰弱して……やがては……」
 オスカーは突然立ち上がると、シャーレンに向かって掴みかからんばかりに叫んだ。
「なんとかしてくれ!」と。そしてその後、「頼むから……と」枯れた声で言うと、ノクロワの足元に伏して床を拳で叩いた。リュミエールやオリヴィエ、ルヴァも同じよう床に伏せ懇願する。
「ジュリアスの意識化に入ってくるよ……」
 シャーレンが、オスカーの顔を挙げさせて呟いた。
「彼、引きずり出してくる」
 そう言うなりシャーレンは、ストンとその場に崩れ落ちるように座り込んだ。
「引きずり出す……って……」
 オリヴィエはその言い様に呆れ、またどうやってそんなことが為せるのか判らず首を傾げる。ほんの少ししてシャーレンの腕がピクリと動き、彼が目を開けた。と同時に首を左右に振る。
「ダメだ……何も見えないんだ。何にも。これまでにも戻ってこない者の意識下に入って、連れ戻したことはある。大抵の場合、その者は何かに懸命に取り組んでるか、泣いたり怒ったりして我を忘れているような場合が多いんだけど、ジュリアスはどこにもいないんだよ。意識の中は真っ暗で何も無いんだ……」
 シャーレンは困り果てたように俯いた。
「あの……クラヴィス様はどうなんでしょう?」
 クラヴィスもまたまったく動かない。リュミエールの問いかけに「彼の方も同じだったよ」とシャーレンは首を振る。そんな彼の後で腕を組んで考え込んでいたノクロワが重い口を開いた。
「セレスタイト、お前がクラヴィスの意識化に入って引きずり出して来い。闇のサクリアを持つ者には光のサクリア……というのはセオリーだからな。加えて、お前とは血の繋がりもある者だ。お前ならなんとかなるかも知れない。そして、それが上手く行けば、クラヴィスと対になるジュリアスも、あるいは引き出せるかもしれん。」
「あ、なるほど、芋づる式にだね……ってこの例え、良くない?」
 シャーレンの軽口が出て、ほんの少しだけその場の空気が和らいだ。
「ノクロワ、何か前例があったのか?」
 ノクロワが何かを思い出しているように思え、セレスタイトはそう問うた。
「むろんケースは違う。が、私が守護聖になって、陛下から幾つかの【記録】を見せられた時、やはり少しのめり込んでしまったことがあってな。その時、連れ戻してくれたのが当時の光の守護聖だった。意識化に入り込んでしまう……というのは迷い子と似た所があるからな。ただ……」
 そこでノクロワの声が沈む。
「この場合は本人の意思で留まっているのだから……」
「難しいか……」
「ああ。この頑固者の血筋は、一筋縄ではいかぬようだから」
 軽く笑ったノクロワは、らしからぬ優しい目でジュリアスを見た。セレスタイトは、シャーレンの側に行くと、“クラヴィスの意識下へ送ってくれ”というように頷いた。
 

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