第四章 遺 志
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瞳を閉じたセレスタイトは、シャーレンによってクラヴィスの中へと送り込まれた。靄の中に包まれている感覚が途切れると、通常は意識下に入ったことになるのだと以前にシ ャーレンから教わっていたが、クラヴィスの裡は果てしない闇に包まれているばかりの場所だった。どこにもクラヴィスの姿は見えず、大きく瞳を見開いているのにそこに映るものは無い。だが、心を澄ませると僅かばかりの闇のサクリアの気配を感じたセレスタイトは、彼の名を呼んだ。何度も、何度も。 だが、返事は返って来ず、何一つその場は変わりはしなかった。彼は、ふいにクラヴィスが行方不明になった時の事を思い出した。考えれば考えるほど、クラヴィスは、自分の為に身を退いたとしか思えず、暗い寂しげな目をしてどこかでひっそりと暮らす弟の姿を想像しては溜息をつい ていたあの頃。そして、次期教皇の座など考えもしなかった子どもの頃の事も……。 「……なあ、覚えてるかい? 昔、よく隠れんぼをしたね。最初は私の方が教皇庁に詳しかったから上手く隠れたものだったけれど、お前は気配を消すのが上手くて、時々、どんなに探しても判らなくて 。負けた悔しさよりも、お前が居なくなったんじゃないかと心配になってきて……」 セレスタイトはそう呟き、その場に座り込んだ。上下左右の感覚もない所に宙に浮いているような気がした。そして、その時、闇の中にただ一点の光が見えたように思った。それが自分という光に反射したクラヴィスの何か……だとセレスタイトはそう感じ、そちらに向かって話し出す。 「クラヴィス、お前、ちゃあんと立派な教皇になったみたいじゃないか? お前がいなくなって私はとても辛かったんだぞ。それに胃に悪い腫瘍が出来て死にかけたんだ。余命幾ばくも無いはずだったのに 、聖地に召されて助かった。陛下が仰るには、元々あった光の守護聖としての私の資質が、お前という闇のサクリアを強く持った者に影響されて研ぎ澄まされたのだろうと……。だから私はお前に救われたんだよ。なあ、クラヴィス。さっき古塔に降り立った時、お前の姿を見て本当に嬉しかったよ。立派になったなあ……驚いて声をあげそうになったけれど、私は光の守護聖としてここに参ったのだからな 。必死で我慢したんだよ」 穏やかに語りかけながらセレスタイトは、何も見えないばずの闇を見渡す。その暗さを打ち消して、自身の心にある聖地の風景を描こうとする。 「お前に私の心の中が見えるかい? これが今の聖地だ。私の居る処だよ。女王宮殿はとても立派だろう。けれど【記録】の中で見た白亜宮とは違う趣きがあるだろう。庭園も、よく手入れはされているけれど華美じゃない。とても優しい風情があるだろう。さっきの【記録】から長い時を経て変わったんだ。聖地もそれをとりまく皆の意識も 総て」 闇の中に生まれた明るい一点が次第に拡がっていく。セレスタイトは立ち上がり、その点……今はぼんやとした球体のようなものへとゆっくりと近づいた。手を伸ばせばすぐ触れられるところまで来て、彼は立ち止まった。クラヴィスの姿があるわけではなかったが、 彼は「戻ろう、クラヴィス。お前はまだやらなければならないことがあるんだ」と言った。長い沈黙があり、その後、今度は、クラヴィスの声がセレスタイトの耳に入ってきた。 「……ジュリアスは?」 何と答えたものかと一瞬思い、そして「彼もまた戻らねばならない。けれども、私がお前を迎えに来たように、今度は、お前が彼を起こしにいかねばならないんだよ」と セレスタイトは答えた。 その時、クラヴィスの側にいたリュミエールとルヴァは、彼の瞼がぴくり……と動いたのを見た。と同時に眉間に皺が寄る。 「クラヴィス様が!」 リュミエールはシャーレンの方を向き、小さく叫んだ。ノクロワが、「わかっている……」と呟きスッと手をあげて、リュミエールたちがそれ以上、何か言葉を発する事のないように制する。一足先にクラヴィスの意識から離れたセレスタイトは、リュミエールの傍らまで歩き、今度はクラヴィスの肉体に向かって はっきりと声に出し、「クラヴィス、もうそろそろ起きなさい」と言った。かつて幼い弟を起こした時のように、少し窘めるように。 「う……」 微かな唸り声をあげてクラヴィスが目を開けた。 「クラヴィス。すぐにジュリアスを連れ戻しなさい。光のサクリアとなって漂っているジュリアスを」 まだ、ぼんやりとして焦点の合わぬ目をしているクラヴィスに、セレスタイトがそう言うと、彼は額を抑えつつ半身を起こし、這うようにしてオスカーとオリヴィエに支えられているジュリアスの元に行った。シャーレンがクラヴィスの背中に触れる。 「戻ったばかりで辛いかも知れないけど、急ぐんだよ。いいね?」 クラヴィスは無言で頷き、意識を失ったままのジュリアスを見る。見せられていた【記録】と現在の自分とが混同していて思考が定まらない。ただ、ジュリアスを起こさなければならぬ……とそれのみが心に響いている。 |