第三章 訪問者

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 シャーレンに促されたオリヴィエは、少しの間心を落ち着かせた。彼を通じて見せられたものは、記憶の断片が幾つも細切れになったもので話の繋がりも前後していた。それらをこの僅かな間に組み立て直しながら話す ことは、オリヴィエにとってはさほど苦痛にならない作業だった。

「少し……たぶんこういうことだろうな……と補足して話すけれど、概ね、今、シャーレンから見せて貰ったままだと解釈してね。……ワタシの母は……西の大陸の……あまり裕福でない商家の娘だった。とても綺麗な人だったから領主に見初められ寵妃となったようだよ」
 豊かな金の髪をふわりと結い上げたまだ若い女の姿がオリヴィエの心に映っている。
「だけど、父と子ほども違う年齢差に次第に嫌気がさし、宴で知り合った近隣領の子息と恋に落ち、生まれたのがワタシ。その赤ん坊の目と髪の色は、隣の領主の子息と同じだった。不貞の露見した母上は、怒り狂った領主の目を盗んで、隣領の子息の元へ逃げたけれど、冷たく門前払いされただけだった」
 オリヴィエの心に、生まれたばかりの自分を抱いている母が映っている。けれどもその表情は途方に暮れて悲しんでいるのではなく、怒りの籠もった顔付きである。 それがまた彼女の美貌に拍車をかけるかのようだった。
「領主に捕まれば、この先一生、館に幽閉される処罰は免れないと知り、領内を出て、教皇庁管轄地である東へと向かったんだ。母上はその美貌を盾にして、この苦難をなんとか乗り切るつもりだった。道中では、まだ生まれたばかりの赤ん坊を抱いた若く美しい彼女に、女は同情を寄せ、男は下心を抱いて寄ってくる。それを巧みに利用しつつ、辿り着いた町で、すぐに教皇庁の役人と良い仲となったのだけれど……。このあたりの細かい経緯はよく判らないけれど……」
 オリヴィエは額に手を当て、頭を微かに振った。
「ま、とても綺麗な人だったからもてたわけだね。役人と良い仲になったのも彼が、言い寄ってきた男の中で一番羽振りが良かったからで愛していたわけじゃない」
 オリヴィエが言いにくそうにした部分を、シャーレンが補う。
「そんな言い方、失礼じゃないか」
 オスカーは、また彼を睨む。
「いいんだ、オスカー。事実なんだもの……たぶん」
「先は僕が話そうか? 彼女はその役人以外に、また別の男と愛し合った。鉱夫をしている男でさ。彼女を巡ってのいざこざの末、不可抗力で男は役人を殺してしまった」
 血まみれのナイフを手に佇む若い男と悲鳴を上げている女、その傍らに置いてある籠の中で、それを見ている赤ん坊の自分……。
 オリヴィエの額に汗が滲む。

『教皇庁の役人を殺っちまった……俺はまだ刑期中でこの管轄地に流されて来たんだ……二重の罪……それも殺人となれば……ヘイヤに送り返されて処刑される。お前……お前が殺ってしまったことにして自首してくれないか? 女なら 処刑なんてことはないだろうし、言い逃れも出来るかも』
『馬鹿を言わないで。私だってあの領主の元から逃げて来たのよ? 国じゃ私の触れ書きが回っていると聞くわ。連れ戻されたら一生幽閉よ 。奴隷のような扱いを受けるかも知れないわ』
『どうすれば……』
『逃げるのよ……逃げるしかないわよ……東に……。誰も追って来られないわ。聖地の管轄する場所よ、きっと平和な村があるはず。子ども連れなら酷いことはされない……と思うわ』


 シャーレンがオリヴィエに伝えた記録の中の生々しいその会話が残っていた。オリヴィエは思わず耳を塞ぐ。

「フングの荒野の先に、逃げ道はたったひとつしか無い。罪を重ねた者は、山脈を越え、東へと向かう……かつて私が教皇庁にいた頃、そういう報告が、時折なされていた。不可侵とされている東に向かう者には追っ手がかからない。ただ二度と戻って来られないだけだ……」
 そう言ったのはセレスタイトだった。
「では、オリヴィエの母上は行き着けたのか? 赤子のオリヴィエを連れて東の地に、その男と」
 オスカーは、オリヴィエを労るように見た後、そう尋ねた。オリヴィエが首を振る。
「山中で命を落とした……」
「じゃあ、オリヴィエは?」
「男は母の亡骸と共にワタシをその場に残そうとしたのだけれど、もし山の麓に村でもあれば子連れならば保護して貰えるかも知れないと思ったようだよ。赤子なら売り飛ばす事も簡単だし。ともあれ彼はワタシを連れて行くことにした。さほどの重さでもないしね。そして、数日の後、本当に麓の村に辿り着いたんだ。モンメイのその村では、当然、大騒ぎになった。金の髪の赤ん坊を連れた男が現れたんだから。村人は、勝手に天からの使いだと勘違いし、男を持てなし始めた。売り飛ばすはずの赤ん坊が、どうやらここでは役立つ存在なのだと図に乗り始めた。酒、食べ物、そして村の女をと、要求のし放題。諫められれば、ワタシを連れて余所の村に行くと開き直る。ある夜、酔ったあげくに大暴れし何人もの村人を傷つけた。そして、ついには……思い余った村人たちに始末されたのさ」
「始末……って……殺された……のか?」
「そう。村ぐるみで、その事は隠蔽され、静かになった村でワタシは大切に育てられた。ようやく一つ、二つ言葉を発するようになった頃、村人たちは、狩りにやってきたモンメイ王にワタシを差し出したんだ。男の事は伏したまま、あたかも独りでに天からやって来たからのように偽って」
 オリヴィエはそう言った後、シャーレンの方に向き直った。
「辛い部分もあったけれど……、見せてくれてありがとう。ワタシの母上は、奔放な人のようだけど、東への逃避行となれば、生まれたばかりの赤ん坊は足手纏いのはずなのに、最後までちゃんとワタシを抱いていてくれたから……嬉しかったよ」
「うん、そうだね。それにとてもとても綺麗な人だった。面立ちは君によく似ていたね」
 シャーレンがそう言って、オリヴィエに微笑み返した後、塔の室内は少しの間、静まりかえった。

「それで……」
「あの……」
 ふいに同時に声が響いた。ジュリアスとオリヴィエである。
「ジュリアスが言って。恐らくは同じことを言おうとしたのだと思うよ」
 オリヴィエは、ジュリアスに向かって言った。ジュリアスは頷いた後、セレスタイトを見て言葉を発した。
「そなたたちは、来るべき時を受けて、女王陛下の御名の元、任を告げるために参った……と言ったな? それは?」
 ジュリアスの問い掛けに、着座している者は、皆、ハッとした顔になった。皆の心には、今し方のクゥアンの太祖の話がまだ残っている。もしや聖地に自分たちを連れて行く……などという展開になるのなのではないか……と思うと、やはりどうあっても素直に聞き入れる気にはなれない。表情が硬くなっていく者たちに、シャーレンが大袈裟に困った顔をした。

「そんなに戦々恐々としなくてもさ。うん、まあ、さっきのジュリアスとオリヴィエの事については、単なる前座だったんだし、お話しの本編は、これから話すよ」
 悪気は無いのだろうが、その言い方が無神経で、オスカーの感に障る。当の本人であるジュリアスとオリヴィエの方が冷静で、“気にするな”というようにオスカーに目で合図をした。
「シャーレン。口を慎みなさい。今の言い様は無礼であろう。前座などではない。あれは大切な話だったのだ。下がって地図の用意をしなさい」
 セレスタイトはそう言うとシャーレンを下がらせた。シャーレンは、少し口を尖らせた後、ジュリアスとオリヴィエに向かって「ごめんね」と軽く言い、窓辺へと退いた。そして幾重にも合わさった上衣の袖口からゴソゴソと何かを取り出す。
「えーーっと」
 彼の取り出したものは、掌の中に収まる程度の銀色をした円盤状のもので、小さな突起が幾つか付いている。シャーレンはそれを床の上に置いた。
「これが地図? ……には見えませんねえ」
 ルヴァは腰を少し上げ、覗き込むようにして見ている。シャーレンは、ニヤリと笑うと、突起のひとつを押した。ふわりと泡粒のようなものが光って見えた後、空間上に、光のカーテンが迫り上がり、そこに地図が描き出された。海や河川は青く、森や草原は緑の濃淡で、大陸部は茶色にというように色分けされている。
「こ……れは、なんと……」
 一番近い所にいるジュリアスが、やや上を見て感嘆の声を上げた。
「ち、ちょっと、いいですかっ」
 ルヴァは好奇心が抑えられない様子で、立ち上がるとその地図に向かって手を伸ばす。
「あらら……通り抜けました。影絵のような仕組みでしょうか?」
 自分の手に地図の一部が湾曲し映し出されている様に、ルヴァは、首を傾げる。
「私たちはホログラフ……と呼んでいる。これの仕組みについては深く尋ねてくれるな。私にもまだよく判らぬのだ。こういうものが普通にある所にはある……ということで承知しておいて欲しい」
 セレスタイトは、軽く手を挙げて、ルヴァをやんわりと退かせた。
「それは……スイズ国周辺ですね?」
 地図をじっと見つめていたリュミエールが問う。
「あ、本当ですね。端が途切れてますが、すぐ隣の教皇庁管轄地の鉱山地帯とルダあたりまで映ってます」
 ルヴァは着座しながらリュミエールに同意した。
「シャーレン、少し退いて貰えるか?」
 セレスタイトは地図の大きさを確認し、そう指示した。
「これくらい?」
 シャーレンが別に持っていたカード状のものを操作すると、映し出されていたスイズがスッと半分ほどの大きさになり、西の大陸全土の形に変わり、右端に山々が灰色に描かれているところで地図は途切れた。
「その端の描かれているのは大山脈だね……」
 オリヴィエがそれを見て言った。
「そう……。この連なる山々の向こうがお前たちの来た所だ」
 ジュリアスもオスカーもオリヴィエも、東の大地を思い起こす。山のすぐ向こう、モンメイ国……そして今はクゥアン領となった幾つもの小国だった地が続き、中央平原へと入る。草原を二分するように都へと続く王道……。西の地に比べれば確かに発展が遅れているが、彼らの心に映るそれぞれの故郷は、充分に豊かで美しい。
「もう少し退こうか?」
 シャーレンがセレスタイトに尋ねる。セレスタイトはジュリアスに視線を合わせたまま頷く。大山脈がやや小さくなりそれに沿うようにして南北に延びるモンメイが映し出される。それは正確に河や湖の位置を捉えてあり、紛れもない故郷の地図にオリヴィエは、懐かしさの余り溜息をついた。シャーレンはさらに地図を退き、ついに東の大陸全土を表示させた。今、彼らの目前には、西の大陸の端から、東の大陸の端まで全てが露わに映し出されている。
「こ……れは……」
「そんな……」
 東から来た者たちは互いに顔を見合わせ唖然として呟いた。
「これが、お前たちの世界の全て……だ」
 ノクロワの言葉に、ジュリアスたちは再びその地図を見上げた。
 大山脈の東に映し出された所は、大陸というよりも西の地から突き出た半島のようにも見える。西の地に比べるとその大きさは五分の一程度でしかない。
「西に比べてあまりにも狭い。これでは民や馬の数も比べものにならぬ。大軍で攻め入られては手も足も出ないであろうな。聖地の保護下でなくば、とうの昔に、西のどこかの国の配下になっていたであろう。この広さを治める程度で、王や皇帝であるとはよく言えたものだな」
 ジュリアスは他人事のようにそう言った。
「そんなことないです! 東の地は……東は豊かで……」
 オスカーは唇を噛み締めた。どう考えても、これでは自分たちの地が、ただ貶められているようにしか思えない。
 
「知っての通り、私もまたこの地に生を受けた者だ。お前たち同様、この地を誇りに思い生きてきた。西と東の差はあれど、己の住む大地を愛おしく思う気持ちは同じなのだ。東の者たちよ、決してお前たちの地を蔑もうとしているのではない」
 セレスタイトは怒りを露わにしているオスカーの前に膝を付き、目線を合わせてそう告げた。オスカーの表情が怒りから、戸惑いのそれに変わった後、セレスタイトは再び立ち上がり、皆を順に見ながら話しを続けた。
「お前たちに先ず知って欲しい。聖地やこの地の成り立ちを。そして、心から……サクリアというものを受け入れて欲しい」
 どの顔も皆、戸惑いと不安の混じった表情をしている。クラヴィスもジュリアスも、他の者たちも、人の上に立つ者ばかりで、このような顔を人前で曝すことなどしないように日々、努めているはずだろう ……とセレスタイトは思う。そんな彼らの心を少しでも静めてやりたいと、精一杯の気持ちを込めて、彼はそう言った。
 ノクロワは、セレスタイトの気持ちが判ったのか、彼にしては精一杯の穏やかな声で、「その為に、また昔話をしなくてはならんな。今度は、この地の初めの頃からの……」と囁くように告げたのだった。
 

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