第三章 訪問者

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  裏庭から聖堂へと入った彼らは、回廊の一番奥、神鳥の彫り物をしてある扉へと急ぐ。教皇の為の扉は、後からすぐに来るであろう者たちの為に開け放たれたままになっている。ルヴァもリュミエールも躊躇うことなく、そこから聖堂へと入ると天井を見上げて立ち尽くしたままのクラヴィスがいた。
「クラヴィス様!」
 駆け寄って来たリュミエールに、クラヴィスはハッと振り返る。
「兄の声が聞こえた気がしたのだが……」
「私も誰かに呼ばれた気がしたのだ」
 ジュリアスが言うと、クラヴィスは頷いた。
「声は聖堂の方から……と咄嗟に思ったのだが……」
 自分たち以外には誰もいない。午後の日差しが聖堂内いっぱいに差し込んでいるだけだ。
「判らぬ……だが、何か息苦しいほどに胸騒ぎがするの……だ」
 クラヴィスは胸に手を置き、最前列の椅子に倒れ込まんばかりに腰を落とした。クラヴィスほどではないが、ジュリアスの顔色も悪い。
「ごめんなさい……ちょっと……」
 と言って、オリヴィエも椅子に腰掛けた。
「オリヴィエ! お前も……どうしたんだ?」
 いつもは紅を塗ったように赤いオリヴィエの唇の色が土色になっている。
「わからない……なんだか……」
 オリヴィエはそう言って俯いてしまった。
「わたくしも何か胸騒ぎのようなものは感じますが、そんなには……」
「俺もだ……」
 リュミエールとオスカーは、不安げに聖堂内を見渡す。その時、弾かれたようにクラヴィスが立ち上がった。
「!」
 そして、ジュリアスを見る。
「ああ。今、確かに」
 二人は頷き合う。
「兄が呼んでいる……私たちを……」
 クラヴィスは、ふらつきながら立ち上がった。
「あそこだ……あの塔に……」
 祭壇の奥にある古い扉、教皇と次代を次ぐ者だけしかはいれぬ禁断の扉をクラヴィスは押し開ける。
「来い」
 クラヴィスが言うと、ジュリアスやオスカー、オリヴィエはすぐに動き出したが、リュミエールとルヴァは困惑している。
「かまわない、入れ。お前たちも聖地よりの力を持つものなのだから」
 クラヴィスは手招きする。
「は、はい」
 リュミエールは初めて見るその扉の中へと一歩を踏み出す。何の装飾もない粗末な小部屋、その向こうにまだ扉がひとつ。クラヴィスが鍵を開けると、そこは雑草の生えているうらぶれた狭い裏庭だった。すぐ正面に古塔がある。禁断の扉の向こうにそのようなものがあると知って驚く皆の先頭に立ち、クラヴィスが塔を見上げている。
「……この塔は何時の御代のものかも知れないのだ……初めからそこにあったように古い……行こう、上へ」
 今にも崩れそうな塔の中に螺旋状に作られた階段を彼らは登っていく。人一人がやっと通れるほどの細い幅の階段は、六人もの人間が一度に登るのを拒絶するかのように、時折サラサラとした砂音を立ててその一部が崩れていく。そうしてなんとかさほど高くはない塔の最上階の部屋へと辿り着いた。壁際に置かれた木台には、ランプだけがポツンと置いてあり、布さえ張っていない粗末な長椅子と、床に直接座しても良いような敷物が敷いてある。それ以外は何もない石造りの部屋の中は、大きく二方にくり抜いた窓があるお陰で、夏の噎せ返るような熱気を籠もらせることもなく頃合いの風がすり抜けていく。
「誰もいませんね……」
 聖地からセレスタイトというクラヴィスの兄がやって来たのでは、と思っていたオスカーが一番最後尾から部屋に入って呟いた。
「だが、確かに何か気配が……」
 ジュリアスはそう言って辺りを見回した。そのジュリアスもクラヴィスもそしてオリヴィエの顔色は悪いままだ。オリヴィエは、ふらふらと敷物の上に座り込んでしまった。
 その刹那−−−。
 昼下がりの明るいその部屋が暗くなった。日の光が差し込んでいたはずの窓が、黒で塗り潰されたかのようになっている。その場にいた全員が目眩を覚えて跪く。事にジュリアス、クラヴィスそしてオリヴィエは、目も開けていられないらしく、ただじっと俯いたまま動かない。やがて、少しづづ周囲が元の明るさを取り戻し始めた。薄目を開けたジュリアスは、大きく息を継ぎながら、隣にいるオスカーに「一体、何が……」と言おうとした。そのオスカーは、跪いたままの姿勢で、呆けたように前を見上げている。
「どうした……のだ?」と言いながらジュリアスは、オスカーの視線の先を見た。窓辺に人の輪郭が見えていた。三人……。その衣装から極めて高貴な身分であろうことは判るが、それ以上に尋常ではない雰囲気が彼らを取り巻いている。ジュリアスはクラヴィスを見た。自分と同じように目眩の縁からようやく逃れたものの傅いたままの彼は、目を見開いたまま、掠れた声で言った。
「兄上……」と。
「セレスタイト様!」
 リュミエールは、両手で口元を押さえそう呟いた。瞳が涙で潤んでいる。
 セレスタイトは小さく頷く。そして、クラヴィスの方をチラリと見た後、傅いたその姿勢のまま動けない皆に向かって言葉を発した。
「我らは聖地より参った守護聖である。来るべき時を受け、女王陛下の御名の元にそなたたちに任を告げるために参った」
 クラヴィスは再び俯く。それは彼のよく知っているセレスタイトとは違っていた。もちろん容姿にその面影はあるのだが。クラヴィスの知っているセレスタイトは、耳が見えるくらいの短い髪に、その口元に常に爽やかな笑みを浮かべていた。薄い金色の髪と優しい色合いの青い瞳の色と相まって、誰が見ても気品に溢れた利発な青年で、子どもの頃から「天使のような」と言われ続けていたのだった。だか、目前に佇むセレスタイトは、そのような甘い褒め言葉をはねつけるほどの威厳があった。純白の長衣の上に、晴天の空を映す空色の布地で縁取りされたごく薄い金色をしたローブを纏っている。髪は肩の下あたりまでと以前よりもずっと長く、一見、無造作に流しているように見えるのだが、小さな金の粒のついた細いピンが仕込まれ、頬の横にある髪が乱れるのを止めていた。
「私は光の守護聖セレスタイト」
 クラヴィスやリュミエールの視線を一瞬だけ受け止めた後、彼は静かにそう言った。
「闇の守護聖ノクロワだ」
 セレスタイトの後に立っている長身の男がそう言った。長い銀色の髪、強く鋭い瞳をしていて見るからに無口で気むずかしそうな雰囲気がある。
「こんにちは。僕は夢の守護聖のシャーレン」
 外側に跳ねさせた異風な金色の髪型に、薄い紫色のくっきりと大きい瞳、華やかな面立ちの彼は、セレスタイトやノクロワよりも若く見え、衣装もずっと軽やかなものだった。まるで架空の物語に出て来る国の王子のような不思議な雰囲気を漂わせていた。
「ねえ、君。大丈夫? ごめんね」
 そのシャーレンが、オリヴィエに向かってそう言った。自分だけにそう言われたことが解せないオリヴィエは、まだ気分は優れないままなのだが思わず頷く。
「君は僕と同じサクリアを持っているんだ。だから作用するんだよ」
 シャーレンはオリヴィエを労るように言った。
「同じ……サクリア? 作用……?」
「ほら、お酒だって嗜む程度なら良いけれど、飲み過ぎると気分が悪くなるじゃない? この場は、サクリアが過剰気味なんだよね」 笑いながらそう言ったシャーレンを、ノクロワが睨む。
「変な喩えはやめないか。よけい不可解な顔をしているぞ。ともあれ、何がなんだか判らないといった顔をしているこの者たちを落ち着かせてくれ。セレスタイト」
 ノクロワはそう言うと、長椅子を占領するように座った。
「クラヴィス」
 とセレスタイトが言った。久しぶりの兄の呼びかけにクラヴィスは胸が締め付けられそうになりながらクラヴィスは顔を上げる。
「この者たちに、聖地やサクリアのことは話したのか?」
 やはりその言い様も以前の口調とは異なっている。
「はい。知りうる限りは……」
「良い。では、申し伝えよう。守護聖が持つサクリアというもの、それと同様のものをお前たちも持っている。もちろん守護聖に比べれば微弱ではあるが」
 セレスタイトは、少し歩きジュリアスの前で止まった。
「一応、名を聞いておこう」
 見下げられて名を問われたことなどないジュリアスだが、無礼だとは感じられず、「東の地、クゥアンより参りましたジュリアスと申します」と告げた。
「ジュリアス、お前は光のサクリアを持っている。さきほど微弱……と申したが、お前のそれは、極めて強い。こうして対峙していると、同じサクリアを持つ私にとっても揺れ響くほどに」
 
「さて、お前は確かクラヴィスとか言ったな。セレスタイトから聞いている。お前は私と同じ闇だ。そのことは父親から聞いているか? セレスタイトを引き取りに行った時に話したからな」
 ノクロワがセレスタイトの背後から、クラヴィスに向かって言う。
「僕と同じ夢のサクリアを持つ君の名は……実はもう知ってるけど君の口から聞かせて」
 シャーレンは再び、オリヴィエに話しかける。その言い様に首を傾げつつ
「東の……地、モンメイ国の王子でオリヴィエ」とオリヴィエは言った。
「ねぇ、やっぱり少し雰囲気に似たものがあるよね? セレスタイトとジュリアスも似ているし、ノクロワとクラヴィスも似ているよ。ここにはいないけど、他の人たちもそうだ。やっぱりどことなく似ている。ともあれ、僕たちがやってきたせいで、同じサクリアを持つ者と呼応したんだ。気分が優れないのはそのせいだけど、少しづづマシになってきただろ? で、他の者たちの名も教えて。えっと……まず君は?」
 シャーレンは、ルヴァを見た。
「え、えっと、私はルヴァと申しまして、元からこの西の地におりましてですね、出身はルダなんですが、今はその国はなくて、お隣のダダスという国の大学で教授職についてます」
 あたふた……とルヴァがそう言うと、シャーレンは苦笑したが、馴染みのある地名にセレスタイトは深く頷く。
「わ、わたくしは、西の地のスイズ国……王、リュミエールです」
 リュミエールは言葉少なに告げ、すぐに頭を下げた。
「自分は……、東の地、ホゥヤン国の王子、オスカーと申します。ですが今はジュリアス様にお仕えしております」
 最後に名乗ることになったのと、さほど気分も悪くならなかったこともあり、オスカーは堂々と腹から声を出してそう告げた。
「肝が据わっていると見える。さすがに炎のサクリアの持ち主だ」
 ノクロワがニヤリと笑う。
「炎……?」
 オスカーは、ノクロアを真っ直ぐ見つめ返して問うた。
「そうだ。お前は、炎。リュミエールは水、ルヴァは地、大地の地のサクリアだ」
 三人は互いに顔を見合わせた。
「そういう名称が付いているだけで、司るものがそうだというわけではないのだ。まあ、おいおい理解できよう」
 ノクロワがそう言うと、それ以上何かを問いかけることが出来ず、三人は黙り込んだ。
「さて、傅いたままの姿では辛かろう。楽にして座り込むといい。話は長くなる」
 セレスタイトはそう言うと、皆から一歩退いた位置に立った。ノクロワは相変わらず長椅子を占領している。シャーレンは窓辺の壁に凭れている。ジュリアスは、だんだんと己の裡に怒りに似た感情が込み上げてくるのを感じた。訳の分からぬことへの苛立ち……その感情が自ずとジュリアスの眼光を鋭くする。目眩も動悸も治まりつつあったジュリアスは、セレスタイトの言葉に、遠慮する様子も見せず、言われたままにどっしりと座り込んだ。だが背筋はしゃんとしており、腕は組まれている。クゥアンでは、さあ、まず話しを聞こうか……と利害関係のある者同士が、酒宴の前などに互いに牽制し合う時にされる姿だった。ジュリアスがそういう態度を取ったことで、オスカーは、さらに腹が据わったらしく、同じように座り込むと、腰から抜いた剣を体のすぐ側に置いた。他の者たちも、次第に落ち着き始め、それぞれ座り込む。
「ほら、もう聞きたいことが山ほどある顔をしているよ。とりあえず一人ひとつづつ質問してもいいことにしてあげれば?」
 シャーレンの軽い言い様に、ジュリアスがピクリ……と反応する。
「確かに聞きたいことは多くある。だが、そなたたちは何用故にこの地に来た? クラヴィスの話だと二千年ほどもこの地で、聖地というものは崇められていると聞くが、セレスタイト様の召喚以外は、その間何の接触もなかったと言う。ここに至って訪問されたのはいかなる事か? 我ら東の者が、西に来た……、それが古い言い伝えによる『時が満ちた』からなのか?……」
 ジュリアスの声には明らかに怒りが籠もっている。まだ何かを言おうとするジュリアスを、セレスタイトがスッと手をあげて制した。
「ジュリアスよ。そなたの憤りは判る。今しばし堪えよ。かの者に生き写しの強い眼差し……聖地は二度と機会を逃すわけには行かぬのだから……」
 セレスタイトの言葉にジュリアスの心は乱れる。『かの者に生き写しの……』その部分が強く耳に焼き付く。
 

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