第三章 訪問者

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 「昔……」
 セレスタイトの後をついで、ノクロワが低い声で話し始める。
「お前によく似た男がいたのだよ、ジュリアス。強い意志で部族を率いていた。まだこの地が混沌としていた時代に。部族間の争いも絶えず、良い土地を確保するのに人は皆、必死だった。その男は、よく部族を治め、近隣の者たちとの戦いに勝ち抜き、良き土地を手に入れて、些やかな田畑を作り暮らしていた……」

 セレスタイトはノクロアの話に、【その男】の風貌を思い浮かべる。聖地に上がって間もなくの頃、シャーレンとノクロワによって見せられた過去の記憶の中で見たその男は、今、目の前にいるジュリアスととてもよく似ていた。

「聖地は、その男を感知した。それほどに、その身に強い光のサクリアを持っていたからだ。待ち人が現れたのだと、当時の守護聖たちは安堵し、接触を試みた。そう……今、この時と同じようにな。だが……」
「その男は従わなかったのだろう? 聖地の者に」
 ジュリアスはキッパリと言い放つ。ノクロワとシャーレンが、結末を言ってしまったジュリアスに苦笑する。
「部族の長なれば、考える第一は民のこと。訳の分からぬものが突然訪れて何を言っても納得がいかぬなら従う道理はない」
「ははは。その通りだ。その男も同じ事を言ったのだ。その時はかなり揉めたらしいぞ。守護聖とて温和な人格者ばかりというわけではないのでな。元はただの人間なのだし。気の短い者もいれば、軽口ばかりを叩くお調子者もいるのだ」
 チラリとシャーレンを見て、彼が顔を顰めたのを確認するとノクロは視線をジュリアスへと戻した。
「聖地は、その男に聖地への召喚を申し渡した。光の守護聖としてではなく、来るべき時まで生かしておく保護対象としてな」
「どういうことだ?」
 ジュリアスは、もう彼らに大してまったく言葉使いを配慮せず問い返した。
「光と……闇のサクリアというのは基本的に一対なのだ。強い光のサクリアを持ったその男の側には、同等の闇のサクリアを持った者がおらねばならぬ。聖地は、ある事情から、この地でそれが誕生するのを持っていたのだ。微弱だったそれは魂の間で引き継がれる。ある時は強く、ある時は消え入りそうなほどに……。そうして、申し分のないほどに強いサクリアを宿したあの男が生まれたが、その対となるべく者は、あまりにも微弱だった。だからあの男を聖地に連れ帰り、対となるべく闇のサクリアを宿した者がこの地に生まれるまで保護しようとしたのだ。聖地と、こことは時の流れが違うのだ、こちらの数年が、数拾日となる 。場合によっては何十年と眠らせたまま生かしておくことも可能だ」
「保護……とは、随分と勝手な言い草だな」
「そうだな……」
 ノクロワはジュリアスの怒りの籠もった視線を受け止めた。
「自分たちの長が、どこかに連れ去られると聞いて部族内は揺れた。良い土地を虎視眈々と狙っていた敵対する部族にとっては吉報であり、男と聖地が何度目かの接触をしている隙に悲劇は起きた。突然の襲撃……」
 ノクロワがそう言った時、ジュリアスの心に一つのイメージが沸き起こった。自分によく似た男が凄まじいまでの怒りを背に、燃えさかる集落へと走っていく様だ。ジュリアスは瞳を閉じ、それを振り払うように頭を振ると、ノクロワの話の続きを待った。
「男が駆けつけた時は、村の半分が炎に包まれていた。老若男女を問わず死者が出た。その中には生まれたばかりの彼の子もいた。残された村人の中には、長としての責任を彼に問う者もいたし、その年の収穫の望めぬことに絶望して余所の部族へ寝返る者も現れた。結局、残された妻と腹心の者たちを連れて、男は部族を離れることになったのだ。男は、当時まだ未開であった大山脈の麓へと流れ着いた。そこならば 部族間の縄張り争いもまだ無いと思ってな。そして聖地は、今ならば……と彼を連れて行こうとしたのだ。もう守るべき部族もないのだから。他の者たちもこの際、例外として同行させても良いまでと申し出たのだ」
 先ほどから黙って聞いていたオスカーが、堪りかねて、床を小さく拳で叩き、「くっ」と呟いた。
「こう聞くと、守護聖って驕り高ぶった嫌な連中みたいだね……」
 シャーレンが悲しそうにそう言った。
「だが、聖地に彼を連れ去ることは出来なかった。聖地の者をその視野に入れることさえ拒絶する。近づけば男の剣と腹心の者たちの矢が飛んでくるのだ。そして、彼の持つ光のサクリアは、部族と土地、我が子までを失った悲しみと聖地に対する怒りから、似て非なるものへと変化した。真っ白の布に、たった一点小さな染みが出来たら、それはもう純白ではないだろう。そのように」
「ジュリアスよ……」
 ノクロワに変わってセレスタイトが再び口を開いた。
「聖地に行くことを拒絶したものの、大山脈の麓には、作物など実りそうもない荒野が拡がるばかりだった。身を隠す木々も草地もないのでは、狩りにも適さない。そして、男は決意したのだ。この大山脈を越えようと……」
 ジュリアスの瞳が大きく見開かれた。オスカーとオリヴィエは互いに顔を見合わせる。
「厳しい道中だった。彼はそこでまた幾人かの仲間を失った。そうして辿り着いたのだ……東の地に。山脈の麓はそれほど肥沃ではなかったが、澄んだ水を湛える湖が点在していたし、中央に進めば、そこには彼の望んだ通りの豊かな大地があった。人は少なく、部族同士の争いもない。農耕技術や医療知識を伝えると歓迎され、持参していた種を植え付けると良く育ち、数年後には男は、辿り着いた小さな村の長となっていた。次第にその村付近には人が集まり、幾つもの集落が出来上がった。そうなるとまたその集落間で諍いが起きる。だが、それを男が諫める。皆の尊敬を集めた彼は、集落全体の長となり、ひとつの国が出来上がった……」
 ジュリアスの全身が総毛立つ。それは……もしや……と。
「その国の名はクゥアン……元々その地は、ルクゥアンと呼ばれていた。そこから取ったのだ」
 ジュリアスの待っていた答を、セレスタイトは静かに伝えた。
 そして、さらに……。
「クゥアンの太祖となったその男の名は、ジュリアスという」
 ノクロワが、小さく笑ってそう付け加えた。  
 

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