第二章 再 会

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 教皇庁、その執務室棟にある応接室に、スイズ国王であるリュミエールと内務大臣に就任したクリソプレイズ公ことスモーキー、そしてダダス大学の研究院に籍を置くルヴァが待たされている。
 教皇庁の旧派と呼ばれる保守的な年配の執務官たちからは、破天荒な……と何かにつけて言われるクラヴィスだったが、その彼らを持ってしても、『友人のご選択はさすがでいらっしゃる』……と言わしめる堂々たる顔ぶれである。
 彼らとのお茶会に関しては、それがたとえ突然のものであったとしても、執務官たちも快く、クラヴィスの予定を調節するのだった。
「お待たせしていて申し訳ございません」
 接客に現れた老執務官は深々と頭を下げる。
「いいえ、今朝方、突然にお茶会の申し入れをしたのは、わたくしの方ですから。ご多忙の教皇様にご無理を申し上げてしまって。執務官の皆様方にも手数をかけましたね」
 スイズ王であるリュミエールに、おっとりとそう言われた執務官は恐縮し、「いいえ、とんでもございません。教皇様も皆様とのお茶会はとても楽しみにしてらっしゃるのですよ」と答え、リュミエールだけでなく、スモーキーにも愛想笑いを送る。微笑みかけられたスモーキーは、ほんの一瞬だけ、にこりと口元を緩めると、ゆったりと座り直した。
“クリソプレイズ様は、このお若い方々の中にあってはさすがに落ち着いた貫禄をお持ちになっておるのう”
 スモーキーの過去がどうであれ、今は貴族として復籍し、スイズの押しも押されぬ内務大臣である。老執務官は、一番末席に、ぼんやりと座っているルヴァを、チラリと見る。
“このお方は、今はさほどの地位もなく、お名も通ってはいないが、教皇様が仰るには、いづれダダス大学長になられるお方だとか。粗相のないようにしておかねばならぬのう……”
 取って付けたような愛想笑いとありきたりの世間話で、老執務官がなんとかその場を繋いでいると、ようやくクラヴィスがやって来た。
「すまぬ、待たせてしまったようだな。ルヴァ、久しぶりだな」
「クラヴィス〜、本当にお久しぶりですねー。お健やかなご様子、何よりです。突然、予定を開けさせてしまってすみませんねえ。研究に必要な蔵書をスイズ大学にお借りすることになりましてね、こちらに来たんですけれも〜」
 例によってゆったりとした口調で話しかけるルヴァに、思わずスモーキーが横から口を挟む。
「今日の夕方には、もう帰っちまうって言うんだ。それで、リュミエールにも無理を言って時間を作って貰ったのさ」
「いや、かまわぬ。私の多忙など、スモーキーのそれに比べれば大したことなかろう? 今度の内務大臣は、民の側に最も近いと評判だぞ」
 昨年、内務大臣となったスモーキーが、国内の隅々にまで視察に出歩き、農政改革に力を入れていることは、教皇庁のみならず、ダダスにまで知られている。
「城の執務室にじっとしているのが性に合わんだけさ。お前の方こそ、音楽会や説法会を増やして頑張ってるじゃないか。民は随分喜んでる」
「まあ、お二人が、互いを褒め合って、お珍しいこと」
 たまに逢えば、挨拶代わりに皮肉を応酬しあう二人に、リュミエールが笑う。
「本当ですねぇ、でも、これって褒め殺しっぽいですねえ?」
「るせぇぞ、二人とも。俺とクラヴィスはお互い労り合ってるのさ。大人なんだよ」
「そうだ、社交辞令、というヤツだ」
「ク、クラヴィス様、……それは、結局、ただのお愛想ってことでは……」
「お前ってヤツぁ〜」
 先ほどまで静まりかえっていたのが嘘のように賑やかになり、その口調たるや、とても教皇様を相手に交わすものではない。老執務官は、尊い教皇の御名が出でくる度に目眩を覚える。ましてやそれが、呼び捨てにされているのだ。だが、相手が相手だけに、それを窘めることも出来ず、溜息とともに早々に退室して行った。
「ところで、ルヴァ。お前、変わりないのか?」
 スモーキーは、少し口籠もるようにそう尋ねた。クラヴィスとリュミエールの視線もルヴァに集まる。その何かを含んだような微妙な感じを、当の本人だけが気づかない。
「ええ。元気ですよー。お陰様でなんだかんだと忙しくてですねえ。タダスからフング荒野一帯には、手付かずの遺跡がまだまだありましてねー、調査のし甲斐があって……、はあ? どうかました……か?」
 スモーキーは、額に手をやり脱力しているし、クラヴィスは眉間に皺が寄っている。リュミエールは、困った顔をしてもじもじとしている。
「あのな……ルヴァ。気遣ってはっきりと聞かなかったんだが、お前には通じなかったみたいだな。フローライト嬢と婚約破棄、なんてことにはなっちゃいないか?」
 スモーキーは、鼻息も荒くルヴァに詰め寄る。リュミエールとクラヴィスも頷く。 スイズ城の動乱が落ち着いた後、皆からの後押しがあってフローライトの実家へと向かったルヴァは、彼女の父親と意気投合し、婿として迎え入れられることになったのだった。(外伝参照)
「えっと……、婚約破棄には、なっていません……が?」
「確かダダス大学の研究院に入って二年ほどして、落ち着いたら結婚すると聞いていたんだが、あれから、五年ほどになってるんだが、いつになったら結婚式の招待状が届くんだ?」
「毎年もうそろそろと仰っていますが……まさか……もう既に?」
 リュミエールに言われて、ルヴァは、手を振る。
「いえいえ、まだです。忙しいんですよー、私以上にフローライトが」
「フローライト嬢も?」
「ええ。ベリル家の所有する古い文献や美術品は、学術的に価値の高いものですが、これまでは個人の所有物としてあまり分類もされず、館の一室に保管されていましてねー、それをきちんと整理し、資料館を作ることになったんですよー。ああ、教皇庁からも補助金を頂戴していましたね。クラヴィス〜、あなたが、文化的価値が高いと助言して下さったおかげで募金も集まりました。その節はどうもありがとう〜。あ、それでですね、その資料館の展示物の監修は、フローライトが担当してまして、まあそれがもうじき終わるので、結婚はそれからにしようかとー」
 嬉しそうに答えるルヴァの横で、スモーキーが「似たもの夫婦ってヤツだな……ってまだ結婚してないけどな」と両手を上に向け、肩を竦める。
 笑い声が室内に響き、彼らの話題は、その後、近況や懐かしいあの道中での出来事に移った。そして、自然と、リュミエールやルヴァ、そしてクラヴィスが持つ例の石の事から、聖地の話題となる。
「クラヴィス、お前、相変わらず、魘されているのか?」
 クラヴィスに対しては、わざと意地悪な軽口を叩くことの多いスモーキーもその事だけは、茶化すことなく心配そうに尋ねる。
「ああ。だが、以前とは少し違う感じだ。何だろうな……上手く言えない……。何か薄絹のようなものが私の回りにあってそれに覆われてるような……」
 クラヴィスは、首を傾げるようにしながら呟くように答えた。
「それは、あのお苦しみが少しでも和らいでいる……ということですか?」
「そう……だな。たぶん。悪夢の中にあって、絶望の淵に追いやられていても……孤独ではない……そんな感じがするのだ」
「それは、セレスタイト様がお守り下さっているのではないでしょうか?」
「俺もそう思ったよ。お前の力……サクリアと言うのだったかな……それは、聖地よりの力なんだから、きっとお前の兄上が彼の地にいらっしゃるお陰なんじゃないかな」
 スモーキーとリュミエールは頷き合う。
“そして、東よりの来客の事も関係するのかも知れない……”
 とクラヴィスは思う。セレスタイトが聖地へ行き、不可侵とされた東から来客があるかも知れない。それまで、曖昧な輪郭だけしかなったもの……聖地に拘わる大きな動きが、自分のサクリアと繋がって、何かが確実に変わろうとしている……そんな気がクラヴィスにはしていた。
 

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