第二章 再 会

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  ダダスからルダへそして教皇庁管轄地へと列車は走り続ける。車窓から見える風景は、赤茶けた荒野ばかりが続く。そんな中で、話す時間だけはたっぷりとあるジュリアスたちとルヴァは確実に友好を深めて行くのだった。それから、二日が過ぎ、列車はスイズ東部に広がる農村地帯に入った。クゥアンの中央草原にも似た青々とした稲穂が揺れる風景を見た東の者たちは一様に心を和ませる。さらに明日の昼過ぎにはスイズ王都に到着すると聞き、その喜びは一層大きくなるのだった。
 翌日、太陽が真上に登る頃、列車は王都へと入り、速度を落とし始めた。騎士団の者たちは窓辺に全員が、それこそこぼれ落ちんばかりにして王都を眺めている。まだスイズ王城や教皇庁のある所からは離れているが、街の規模の大きさは、先に見たガザールやダダスとは格段違っている。
「王都は、城と教皇庁を中心にするように拡がってますから、この辺りは一番、外にあたる地域です。他の町や村からの出入りも激しく賑やかな所ですよ」
「なんて立派な町なんだ……これで町はずれだなんて」
 ルヴァの説明に、オスカーは赤い髪を風になびかせながら窓の外を見た。ジュリアスもオリヴィエも身こそ乗り出してはいないが、スイズ王都の街並みから目が外せないでいる。やがて彼らは、町の様子が少し変わってきたことに気づいた。それまでは比較的、日干し煉瓦や石造りの大作りな家や道だったのに対し、木と漆喰の組み合わされた小綺麗な家が増えているのだ。明るい色合いの薄い布が掛けられた窓辺には、花々が飾られている。余裕のある生活が伺えるその様子に、ジュリアスたちはこの国が本当に富める大国なのだと実感していた。
 列車がホームに滑り込み停車するや否や、ジュリアスたちの客室係りだったものが、馬車の手配の為に走っていく。スイズ駅には、要人の為の馬車が常に数台用意してあるのだ。
「驚いた……まるで、城の謁見の間のようじゃないの……」
 オリヴィエは、ドーム状になった駅の天井を見上げて感嘆の声を上げる。ルヴァは、荷積み人夫たちや商人たちでごった返す構内を通り抜けて、外路に続く車寄せに一行を案内した。ルヴァは、駅長と思しき人物に馬車の手配の礼を言うと、早々にジュリアスたちと騎士団の者たちを馬車に乗るように急かした。
「あ〜ワクワクしますねぇ。早く、クラヴィスやリュミエールと逢って戴きたくて、私の方が何だかドキドキしてしまいますよー。よっこいしょ……っと」
 一番最後にジュリアスたちの馬車に乗り込んだルヴァは、にこにこと笑う。馬車が動き出し、街中に出ると、騎士団の者たちが乗った後の馬車から歓声が上がった。
「連中……町の様子に驚いて、また騒いでるよ」
 オリヴィエは眉を顰めてそう言ったが、すぐに笑顔に変わる。
「仕方ないよね。綺麗に舗装された道と調和のとれた立派な家……。町ゆく人は皆、貴族のようだよ。それともこの王都には、貴族だけが住んでいるの?」
「いいえ。この辺りは、職人や商人や、役人や……。スイズ城と教皇庁からの下請けの仕事を担っている者も多いです。この大陸全土で最も裕福な地域ですから、立派に見えても仕方ありません。地方の民は、もっと質素ですし、貧しい地域もまだまだ沢山あるんです」
 馬車が大通りに出る。そこを通るときにルヴァはいつも感慨深い気持ちになる。武器を携え、北部の民と合流し、スイズ王城へと進行した時の事を思い出して。
「この大通りをまっすぐ行くとスイズ城なんです。ほら、城の塔が幾つも見えていますでしょう」
 ジュリアスは既にその塔の先に翻る王家の旗に気づいていたようで、「では、やはりあれがスイズの城……」と呟いた。スイズ城の一部だけしか見えないとは言え、城と言えば、日干し煉瓦や石造りの堅牢なものをまず思い浮かべる東の者たちにとっては、 華美な装飾が優先された華奢な塔の様子を見て、その違いに驚くのだった。
 馬車は大通りから左に曲がった。しばらく行くと舗装された道が途切れ、沿道の両脇に豊かな田園風景が拡がった。畑の手入れをする農夫たちがその合間に見える。東の者たちにとってもどこかしら懐かしい風景である。ガタガタとした馬車の揺れさえもが、彼らをのどかな気持ちにさせる。
 しばらくしてその風景が途切れ、再び、町へと馬車は入った。先ほどの大通りの街並みよりも幾分、雑多な感じがするが活気に溢れた雰囲気がある。
「教皇様んとこの馬車だよー、わあ五台も!」
 小さな子どもが叫ぶ声がジュリアスたちにも聞こえた。馬車の速度が遅くなり、再び、舗装された道に入ったため、揺れが治まってくる。前方に濠と木立塀で囲まれた広場が見えた。その広場の奥に開け放たれた大きな鉄門があり、門兵が数人並んでいる。教皇庁だった。そこが城ではない証拠に、 浅い堀で囲まれているだけで、外敵から身を守る高く頑丈な外壁も、不審者を見張る塔もそびえてはいない。ただ開放的なとてもつなく重厚で広い館がある……そんな感じだった。唯一の高い建物といえば、何体もの彫刻が掘られた外壁を持ち、幾つもの鐘が備えられた聖堂である。その鐘が突然高らかに鳴り響いた。
「ああ……確か、今日は、民に聖堂が開放されている日でしたね。クラヴィスのお祈りが始まったんですよ」
 教皇庁の敷地内に入っていく馬車の中で、ルヴァが言った。
「月に一度、民に開放される日で、教皇庁の音楽隊が演奏を披露して、クラヴィスが他国の……例えばダダスなどの様子を報告した後、聖句を読み上げるんです。時には、吟遊詩人なども招かれることもあって、民の何よりの楽しみになっているんですよ」
 馬車が教皇庁の車寄せに到着すると、いち早くルヴァが外に降り立ち、待っていた執務官の指示をあおった。
「お疲れ様でした。お客人が到着されたら、まずは迎賓館へと言いつかっております」
 と執務官は小声でルヴァに告げた。
「そうですね。皆さんお疲れでしょうし。教皇様のご予定はどうなっていますか?」
「この祈りが終わった後、今月生まれた赤子に祝福を与える儀式があります。迎賓館に行かれるのはその後ですので……早くても夕刻……晩餐にはご一緒できるよう手筈は整えてあります」
 ルヴァは、馬車からおずおずと……という感じで降り立った騎士団の者たちとジュリアスたちに、その事を告げた。
「ようこそいらっしゃいました。迎賓館までご案内致します」
と卒のない態度で執務官が挨拶し、聖堂とは逆の方向へ歩きだそうした時、ジュリアスが、ルヴァと執務官を呼び止めた。
「少し聖堂を覗かせては貰えぬだろうか?」
 執務官は一瞬、困った顔をした。教皇様が言葉を発する最も神聖なるひとときに、聖堂の扉を開けるのは、どうか……そう思ったのだった。誰か上の者に伺ってから……と思った時、ルヴァが「判りました」と応えた。
「あの……聖堂は後の席まで一杯ですし、通路にも民が立っていて入りきれない者たちは窓から中を覗いているような有様ですし……途中から扉を開けるのは……どうか……と」
 つまりは教皇様の迷惑になるのではないか……執務官は、来客の事よりも、そう考えて答えた。
「では、申し訳ありませんが、騎士団の方たちだけを先に迎賓館へお連れしてください。私は、こちらの王家の方たちだけをお連れします。三人くらいならばそっと行けば大丈夫でしょう」
 ルヴァは、わざと“王家”という言葉を使った。東からのお客人ということだけは知らされているが、その身分までは知らない執務官は、そう聞いて、やはり少し態度が改まる。「は、はいっ」 と答えて深々と頭を下げた。
 執務官と騎士団の者たちが歩き出した後、ルヴァは反対方向へとジュリアスたちを誘った。控えめな鐘の音が響いている回廊に入った時、ジュリアスは、何か妙な感じに囚われ立ち止まった。吉報を待っている時の胸騒ぎや、夕刻に墓場に足を踏み入れた時のようなゾクリとするような気配とは違う何か……。
「どうしました?」
「ジュリアス様?」
 先を行くルヴァたちが、止まったジュリアスに気づいて振り向いた。自分の心を落ち着かせるためにも、ジュリアスは今、自分が感じている事を、言葉にしてルヴァに伝えようと思うのだが、的確な表現が見つからず、「いや、何でもない」と答えてしまう。
「この回廊を抜ければ大聖堂の正面に出ますから」
 ルヴァは、先を指さす。午後の光が差し込む回廊の向こうに大きな扉が見えている。そこに一歩近づく度に、ジュリアスは、さらに強く何かを感じる。その時、鐘が一度、大きく鳴らされた。回廊にその余韻が残る。
“ああ、そうだ……余韻に似ている……音の消えた後も残る響き。心を湖面に例えれば、小石を投げ入れた時に拡がる波紋だ。何かが私の心を静かにそっと打ち鳴らすのだ……”ジュリアスはそう思いながら、ルヴァの後に続いた。回廊の出口で、ルヴァは、一旦、ジュリアスたちを止め、大聖堂の大きな扉の前に立つ衛兵に声を掛けた。彼らもまた、先の執務官のように、教皇の言葉の最中に扉を開けることを躊躇う。どんなにソッと開けても、うっかりギイッと音を立ててしまい、有り難いお言葉を遮ることになってしまったら……と。ルヴァは連れてきたのは、教皇様が待ちに待たれた大切なお客人で、一切の責任は自分が持つと説得し、ジュリアスたちを扉の前へと呼んだ。
「ここが大聖堂です。この西の地の、民の心の拠り所であり、最も神聖な場所とされています」
 ルヴァは、静かに扉を人一人がやっと通れる程度に開き中の様子を見た。ちょうどクラヴィスが、何かの話を終えて一区切りついた……という風情だった。年配の貫禄のある法衣を着た者が、祈りの為の鐘を打ち鳴らそうとしていた。ルヴァは、開いた扉の隙間から滑り込むようにして入り、オリヴィエ、オスカー、そしてジュリアスを入らせた。執務官の言ってたように座席に空きはなく、通路にも多くの人が立っていた。後から無理矢理入り込んできた彼らに、前に立っていた男が少し迷惑そうな顔をして振り返った後、鳴りだした鐘の音に、慌てて、瞳を閉じて頭を下げた。ルヴァは、ジュリアスたちにも、この場は同じようにして下さい……というように視線を送り、自分も頭を下げた。だが、オスカーもオリヴィエも、そしてジュリアスも、まさに立ち尽くすといった感じで聖堂内を見つめていた。色硝子で花が描かれた大窓、木製の梁や壁には、緻密な彫刻が施されている。ずらりと並べられた長椅子も、光の入ってくる位置も、天井を支える重厚な円柱も、全ては壇上に立つたった一人の人物に向かって計算されて配置されている。東のクゥアンの謁見の間もそのように造られてはいるが、大聖堂とは比べようもない。そして……。
 ジュリアスは、壇上にいる男を見る。距離があるためその顔までは見えない。誰よりも豪華な紫紺の法衣にその身を包んだ長身の黒髪の者が見える。ルヴァがこの道中で説明してくれた特徴と一致する。
“あの者が……教皇か……”
 そう思った時、その男……クラヴィスがスッと後方に動いた。自分の背後に控えていた者に、何かを告げると、すぐ近くにある扉の向こうに消えた。その様子はルヴァも見ていて、彼は、ジュリアスの上衣の裾を引いて、外に出ましょうと合図をした。扉を出たルヴァは、祈りの最中に出て来た彼らを非難するような目で見ている衛兵を尻目に「クラヴィスが 、こちらに気づいたのかも知れません」とだけ言って、聖堂の前方へと続く回廊へ急いだ。早足で回廊を左に曲がると、こちらに急いでやって来るクラヴィスの姿が見えた。
「ルヴァ!」
「ああ、クラヴィス〜、やはり気づいて貰えたんですね」
 オスカーとオリヴィエは、自然にジュリアスから一歩スッと身を引き、まずは、軽く頭を下げた。ジュリアスは、クラヴィスから目を逸らさない。
「クラヴィス、東からのお客人です。こちらはジュリアス。貴方のあの“声”の方でしたよ」
 これだけはまず先に告げなければと、ルヴァは早口で言った。クラヴィスの顔が、驚きではなく安堵したように頷いた。先ほど、余韻や湖面に拡がる波紋のようだ……とジュリアスが感じたそれと同じような何かをクラヴィスも先刻よりずっと感じていた。
「ようこそおいで下さいました」
 クラヴィスは、心を落ち着かせて言った。
「……お久しぶりでございました」
 一瞬の間の後、ジュリアスはそう言った。彼の言葉に、オリヴィエとオスカー、ルヴァはそれぞれ視線を合わせ微かに目元を緩ませた。クラヴィスは、何か照れたように少し視線を床に落とした後、ジュリアスを見た。そして、どちらからともなく差し出された手を握り合い、二人は同時に小さく微笑んだ。

 その時、遙か彼方の聖地、謁見の間で女王が静かに、『時が満ちたこと』を光の守護聖セレスタイトと闇の守護聖ノクロアに告げていた。
 
 

第二章 再 会……了
第三章につづく

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