第二章 再 会

  12

   
 ダダス駅から終着駅ガザールまで、途中にひとつ駅があるだけで、列車は、翌日の夜遅くに到着した。地区長に出迎えられたルヴァは、その夜を来賓室で過ごし、翌朝早くに、地区長と共に馬車に乗って、例の漁村へと向かった。賑やかな街中を過ぎると、 長閑な野道がずっと続く。ゆるやかな丘を登り切ると海が見え、ルヴァは思わず息を飲んだ。ルダの山中で生まれ育った彼にとっては、海の存在自体が未知に近いものがあった。遺跡の発掘現場の近く で一度だけ見た海は、冬の北部の海で、暗い色をしていて岩場にぶつかっては砕ける高い波が恐ろしげなものだった。こんな風に清々しく広がる海は初めて見るのだった。馬車の窓から見える海にルヴァは目を離せないでいる。不可侵とされる東から、このとてつもなく大きな海を越えてやって来た客人には、それだけで頭が下がる……とルヴァは思うのだった。
 やがて馬車は、丘を下りきり、海沿いの道を漁村へと入っていく。屋根を青く塗った白壁の建物が見えてくる。村の集会所だと地区長は言い、そこに馬車を着けるように御者に指示した。集会所の前には、村長が出迎えている。地区長とやって来た教皇庁からの使いが、いかにも学者風の若い男と判り、村長は不審な顔をしてい た。
「こちらは、ダダス大学の先生で、教皇様とはご友人でいらっしゃるのだ。今回の件の特使……というお立場だ。お客人の様子はどうかね?」
「はい。大人しくしています。怪我人と病人の手当に必要なものと、日々の食料だけは欠かさず差し入れておりました。我らの土地のことや教皇様の事を聞きたがっていて、書物の借り入れや、村人との接触の申し入れがあったのですが、教皇庁からのご指示があるまではと、待たせておきました 。あの……連中は、聖地のことさえ知らぬ様子なのです」
 重大な事を告げるかのように、村長は眉を潜めて言った。
「なんと。聖地によって守られている土地なのにか? もしや、聖地ではなく別の呼び名でもあるのか? ……まあ、いい。まだどういう輩かも判らぬでは、迂闊に情報を与えてならんからな。ともかくも、こうして、教皇様からの使いであるルヴァ殿が参られたのだから、早々にお引き渡しして、教皇庁に、ご同行願おう。ささ、早う、客人の所に案内して貰おうか」
 ガザール地区長は、村長を急き立てる。その様子を見て、ルヴァは少し不快な気持ちになった。海を越えてはるばる来た勇気ある客人に対する尊敬の念などは見られない。不可侵とされていた東からの来客は、彼らにとっては不安なだけのもので、何か問題が起きる前に、さっさと教皇庁に送り込み、教皇様の判断に委ねたい……そんな気持ちが見て取れる。クラヴィスが、教皇庁の役人にではなく、自分に接客を託した意図が 、殊更、判る気がしていた。
 集会所から村長に案内されて、船着き場へと着くと、そこでは何人かの水夫たちが船の修理をしていた。水夫の一人が、村長が誰かを連れてやって来たと声を張り上げる。
「ええっと……、君たちの長に降りて来るよう伝えてくれ」
 村長は、船の甲板を見上げて叫んだ。
「あ、待ってください。私の方から伺いますから。お二人は、ここで待っていて下さって結構です」
 ルヴァはそう言うと、立て掛けてある梯子に手をかけた。不満顔をしている地区長と村長を残して、梯子を上がると、甲板では、第一騎士団の男たちが、剣の型の稽古をしていた。その向こうにジュリアス、オスカー、オリヴィエが立っている。彼らはルヴァの姿を見ると側に寄ってきた。
「教皇庁からの使者とは貴方か?」
 ジュリアスは、まずそう問うた。
「ええ、そうです。ルヴァと申します」
 ルヴァが、丁寧に頭を下げると、ジュリアスたちは順に名乗りをあげた。ルヴァは、彼らに様々な事を尋ねたい気持ちをぐっと堪えて、これからの教皇庁に赴く予定を事務的に話した。
「教皇庁に同行するのは、私たち三人と、騎士団の者たちが何人かになると思う。今夜にでも正式に同行する者を決めよう」
 ジュリアスの返答に、ルヴァは小さく首を左右に振った。
「一刻も早く教皇庁にお連れしたいのです。出来れば、今すぐに。今からならば、正午に出る大陸横断列車に乗れますから」
「大陸……横断……レッシャ……?」
 オスカーとオリヴィエは顔を見合わせて呟いた。ルヴァは、彼らの世界には列車はまだないのかも知れないと思い、「馬車の代わりに大地を走る乗り物です」と言った。ジュリアスは何かを考えるように一瞬俯いた後、顔を挙げた。
「この地では、何をするにも、その教皇の指示の元でないと動けぬようだな。ならば、早く目通りした方が賢明なようだ。すぐに赴く者を決め、出掛ける用意をする。少しだけ時間を」
「急がせて申し訳ありません」
「それと、お願いしたいことが」
「何でしょう?」
「航海士、水夫たちは、この地にて船の修理をしながら、西方の造船技術を学びたいと願っています。先に村長にその事を申し出たのだが、教皇庁からの許可がないと返事が出来 ないと」
「判りました。すぐに手配させます。それでは、私は、船着き場で馬車の用意をして待っています」
 ルヴァが再び、梯子を伝って降りると、地区長と村長が、駆け寄ってきた。
「これからすぐに教皇庁に向かいます。支度をして貰っています」
 ルヴァがそう言うと村長は、重荷を降ろせたような表情を見せた。ルヴァが、水夫と航海士たちは、この地に残る事と造船技術を学びたがっている事を告げると、村長と地区長の顔が曇った。
「では、教皇様の了解を……」
「クラヴィ……、いえ、教皇様からは、彼らから何か要求があった場合、出来うる限り、叶えるようにと言われています。痛んだままの船では帰路に着くこともままなりませんしね。教皇様には私から報告しておきます。東からの来客についての処理は、丁重かつ迅速に……ということでしたよね?」
「え、ええ。わかりました。それでは、腕の立つ職人を何人か寄こしましょう」
「それと、航海に詳しい人物も。職人さんだけでなく、理論的に説明出来る人を寄こしてあげてください。あ、それから、すぐに馬車の用意もお願いします。ガザールまで戻るのに馬車一台では足りません。そうですね……大型のものを後二台は必要ですね」
「は、はあ」
「私は彼らの用意が出来るまで、あの船の造りを見てきますので、お願いしますね」
 ルヴァは、てきぱきと言うだけ言うと、彼らから離れた。
「何なんじゃ、あの男……教皇様のご友人か何か知らんが、教皇庁の人間でもないのに勝手に決めて」
 村長は、ルヴァの去っていく背中に小声で呟いた。
「まあ仕方がないではないか。どういうわけかは知らんが、教皇様があの男に来客の事を任されたのだから。ともかくも、早く教皇庁に送り届けた方がいい。不可侵とされた所からやって来たんだ、得体が知れぬからのう。さ、早う馬車の用意を頼むぞ。私は先に 自分の馬車に戻っているのでな」
「はい……」
 地区長と村長はそれぞれの方向に去り、船着き場には、のんびりと船の回りを歩いているルヴァだけになった。
 船などあまり見たことのないルヴァだったが、それでも目の前の帆船が、普通に使用されているこの大陸のものに比べて、粗野な構造をしているということは判る。けれどもきっちりと組み合わされた木や板、船体に掘られた飾り模様から、彼らが心を込めてこの船を造り上げたこともまた 見て取れる。継ぎ接ぎだらけの帆や、ひび割れて色の失われた船体を少しでも修復しようとして働いている水夫たちの姿を見ながら、ゆっくりとルヴァは船首の見えるぎりぎりの位置まで歩き、ジュリアスたちが降りてくるまで、ずっとそこで海を見つめていた。

■NEXT■

 聖地の森の11月 神鳥の瑕 ・第三部TOP