第一章 聖地で

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それは夢とは思えぬほどに現実味があった。九つの宝石の色も鮮やかで、闇を切り裂く閃光も鋭く……。
 目覚めた後もセレスタイトは、体を静かに横たえたまま、その夢の暗示するものが何なのかを考え続ける……。
 教皇庁内の執務室で、酷く吐血したセレスタイトが、突然現れた闇の守護聖によって、聖地に召還されてから一ヶ月が過ぎようとしていた。聖地にとっては、新しい光の守護聖を迎え入れたのと同時に、 そのままでは余命幾ばくもない重病人を運び込んだことにもなった。何もかもが前例とは違う中で、新旧の光の守護聖の交代が迅速になされた。セレスタイトは、女王陛下や他の守護聖との謁見もなしに、王立研究院に隣接する病棟で、すぐさま存命処置がなされた。彼のいた世界ではとうてい叶わぬ医療技術によって、 セレスタイトの体は、健全さを取り戻しつつあった。経過が安定した後、病棟内の個室から光の守護聖の館へと移されたが、その直後から、彼は意味不明の夢をよく見るようになっていた。ここ数日の夢は、極めて抽象的なものでありながら、目覚めた後も、本当にあったことのように 、ねっとりと自分の脳裏に貼り付いているような感覚があった。
 いくら考えてもその夢が何なのか判らぬまま、彼は起きあがり、身支度を調えて朝食を摂った。その後、館の中庭を一回り散歩に出ることにした。 聖地に来て初めて知った所である王立研究院の付近は、セレスタイトにとっては、建物の内装ひとつ取っても馴染みのない素材で出来ており、理解しがたい様々な機械の類に驚くばかりだったが、光の守護聖に与えられた館は、教皇庁の聖堂や私室のあった皇邸と似た雰囲気があった。よく整えられた庭で、しばらく花々を眺めた後、館内に戻った彼は、そこに闇の守護聖と夢の守護聖の姿を見つけた。病棟からこちらに移されて以来、日に一度は 、守護聖のうち誰かが見舞いに来てくれている。だが、それは午後のお茶の時間に合わせてのことで、 まだ朝早いこんな時間に、二人の守護聖が揃ってやって来たことはない。
「おはよう、セレスタイト。随分、顔色がいいね」
 セレスタイトに駆け寄り、挨拶を言ったのは、夢の守護聖シャーレンだった。金色の髪は彼の肩先あたりまで真っ直ぐに伸びており、そこから先は、毛先を故意に外側に跳ねさせている。セレスタイトから見れば、極めて変わった髪型をしていると いうことになるのだが、 薄い紫色のくっきりと大きい瞳を持つ彼の顔立ちによく似合っている。華やかな風貌で陽気な気質の彼は、接する者を明るい気分にさせた。
「ありがとう、シャーレン。もうそろそろ、午前中くらいは執務室に出させて貰えないかと思ってるんだ」
 セレスタイトは、シャーレンの希望もあって友人同士のような言葉使いで返事をした。実際、自分よりは五歳ほど年下で、話し上手の彼には、違和感なくそういう接し方が出来た。
「働き者だなあ、光の守護聖の気質ってヤツ? それに比べて……」
 とシャーレンは、 居間のソファにどっかりと座り込んで、眠そうな顔をしている闇の守護聖ノクロワを見た。シャーレンとは対照的な印象がある。彼の方は、腰の辺りまである長く緩やかに波打つ銀色の髪をしていて、上品に調った顔立ちをしている。 だが、その眼は意志が強そうな鋭いものだ。いかにも年長の守護聖といった雰囲気は、気軽に話しかけることを躊躇わせる。セレスタイトは当然のように敬語で話そうとしたのだが、ノクロワから「お前は肉体年齢から見れば私と同い年で、首座の守護聖となるのだから……」と窘められてしまったのである。戸惑いながらもセレスタイトは自分の置かれている立場を、その気質から素直に受け、彼に対してもなるべく気軽に話すことを心がけでいた。
「シャーレンの嫌みなど聞く耳を持たないな。私のサクリアは、別名、夜更かしのサクリアなんだからな。お前がとっくに寝ている頃に働いてるんだぞ」
 大あくびをしてそう言ったノクロワに、セレスタイトは小さく頭を下げ「おはよう」と言った。
「おはよう、セレスタイト。体の具合は本当にもういいのか?」
 ノクロワは、セレスタイトの調子を確認すべくそう言った。
「食事ももう普通だし、微熱も取れている。下界にいた頃のだるさなど微塵もない。腹を裂いて悪い部分だけを切り捨てたと聞いた時は、どうなるかと思ったけれど……」
 セレスタイトは、眉間に皺を寄せ、自分の胃の辺りをさすりながら答えた。
「ははは、それくらいの手術で驚くなんて、サファーシスは、まだまだ未開の地だからなあ」
 笑いながらシャーレンが言った“サファーシス”という言葉にセレスタイトは反応した。その表情を見て取ったノクロワが、静かに「サファーシス……お前の故郷のことだ」と言った。
「聖地ではそう呼ばれているんだ」
 それまで笑っていたシャーレンが、真顔になって言葉を継いだ。
 「サファーシス……」
 忘れたわけではなかった。なるべく考えないようにしていた故郷。初めて聞くその呼び名は、心に重く響くものがあった。
 

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