日が沈み、教皇庁のそこかしこに灯りがともされ、鐘が鳴る。澄んだ音色を、鉱夫たちは敬虔な気持ちで聞いていた。やがて鐘が鳴り終わると、それを見計らっていた支給係りの者たちが、次々とテーブルの上に料理を並べ始めた。今日の朝は、食べるものさえなかったというのに、今、彼らの前には、見たこともないような美しい器に盛られた料理がずらりと並んでいく。
「どうぞ、ごゆっくりお召し上がり下さいませ、私どもは、扉の向こうに控えておりますので、御用の時は、このベルを……」
些か慇懃無礼な態度で支給係はそう言い、スモーキーの目前に小さな金の鐘を置いて去って行った。
「これ……食べてもいいのか……? タダだよな?」
ゼンが綺麗に盛りつけられた皿のひとつひとつを確認しながら言う。他の者も同じ様な視線で料理を見ている。
「さあ、皆、醒めないうちに有り難く頂こう」
スモーキーが、フォークを手に取ると、鉱夫たちは一斉に料理に、まさにむしゃぶりついた。
「お、おい、がっつくな、みっともないじゃねぇか!」
と言う大男も、その両手にパンをしっかりと握りしめている。
「あっ、ゼン、私のお皿の料理を食べるのはよして下さい〜」
ルヴァは、ゼンに横取りされた料理の皿を奪い返すと、文官暮らしで少しは身につけたマナーなどに構っている余裕もなく、今まで食べたことのない料理に夢中になった。あっという間に半分ほどの料理を食べたところで、ようやく彼らも落ち着き出し、「うまい」以外の言葉を発する余裕も出て来たようだった。
「ねえ、クラヴィスの分、残しておいてあげてよ!」
サクルが、残り少なくなってきたパンの数を気にしながら叫ぶ。
「おお、そうだったぜ。遅いなあ、アイツ。なあ、スモーキー、なんだってクラヴィスを残したんだあ?」
「そんなの決まってらあ。教皇様、直々にお話されるんだぞ、アイツは、ちったあ学があるみたいだし、見た目もまあマシだしな」
鉱夫たちは、口いっぱいに食べ物を頬張ったまま言う。スモーキーはもう隠し通しておくこともないだろうと思い水を一口含むと、「あのなあ……。おい、ちょっと、皆、食べるのを止めて聞いてくれ、大切な話があるんだ」と立ち上がって言った。一斉に皆の視線が自分に集まり、静かになったのを確認すると、彼は座り直した。
「ふん、やっと白状しやがる気になったようだな」
スモーキーの横に座っている大男が、腕を組み、言った。
「お前、知っていたのか?」
「いや、何がどう知ってるってわけじゃねぇんだ。お前が何かを隠してるんじゃねぇか、とはずっと思ってたんだ。リュミエールのことだけじゃねぇよ。クラヴィスにしたってどうも生まれは良さそうだしな、それに、お前自身のこともな。学があるっていっても字や計算が出来るような生半可なもんじゃねぇし、貴族の出らしいって言う噂は前々からチラチラ聞いてたが、どうなんだよ?」
クラヴィスの話の前に、まず俺のことか……とスモーキーは、気の抜けたような溜息をついた。スモーキーは、手短に自分がかってスイズの貴族の子であり、ジェイド公とのいざこざの末、鉱夫になった経緯を語った。
「そんなの俺の生まれるよか前の話だ、関係ねぇし、改まって白状するもしないもねぇってば。スモーキーはスモーキーだもんな」
ゼンは、まったく気にする様子もなく、腰を浮かせて、遠くにある果物に手を伸ばそうとする。他の者たちも同様の反応だった。確かにリュミエールが実はスイズの王子だったことに比べれば、その程度の事、大した話ではないように思えてくる。だが、クラヴィスのことは……。
「待て、まだ続きがあるんだよ」
スモーキーは、ゼンを制し座らせた。
「クラヴィスのことなんだ。あいつなぁ……教皇様の息子なんだよ」
まず誰も言葉を発さないのは、リュミエールの時と同じだが、皆の心情がその顔つきから読み取れないスモーキーは、もう一度、同じことを言おうとした。だが、その時、大男が、「何の冗談だぁ、そりゃ」と言った。
「そんな風に言われるとかえってホッとするぜ。冗談に聞こえるわな、俺だって、冗談と思ったぜ」
「けどよ、スモーキー。クラヴィスは東の辺境にいる親の元に毎月、仕送りしてたぜ?」
サクルの父親が言う。
「それは親じゃなく命の恩人へ送ってたんだとよ。ある理由からクラヴィスは、旅先の東の辺境で命を狙われたんだ。崖から突き落とされてな。死にかけてたクラヴィスをたまたま通りかかった年寄りが助けた。そして怪我が癒えるまで半年ほど世話になったらしい。元気になったクラヴィスはそのまま管轄地に流れて鉱夫になったわけだ」
「クラヴィスは、どうして教皇庁に帰らなかったんだよ?」
「クラヴィスには良く出来た兄貴がいてな、あの皇妃様の本当の子じゃない自分が帰るとその兄貴の為に良くないと思ったんだ。まあ、いろいろ事情があったんだよ」
ジェイド公との経緯や、聖地からの力を引き継いだことなどは伏せてスモーキーはそう語った。
「俺だって、この道中でその事を知ってどれだけ驚いたか」
スモーキーがしみじみとそう言うと鉱夫たちは、やっとその話が本当だという実感が湧き、徐々に興奮し出した。
「ねぇ、じゃ、リュミエールとクラヴィスはお互いのことを知ってたの?」
サクルが目を見開いて自分の前に座っていたルヴァに尋ねる。
「ええ。先にリュミエールが気づいたらしいです。あの現場で事故の後、食堂で、お風呂から出てダークスの粉塵を落としたクラヴィスを見て。私も最初は知りませんでした」
「なんだかすごいな。スイズの王子と教皇様の皇子様なんだよ……そんな二人がそんな風に出会って、僕たちと一緒だったなんて……」
「俺もそう思う。荒野で追っ手が迫った時、年寄りの鉱夫が自ら犠牲になってくれただろう? その後、今後の話しをしているうちに、リュミエールとクラヴィスの事を知ったんだ。こんな偶然あってたまるか、これは、何かのお導きだと思ったよ。俺たちは絶対に正しい道を歩いてるんだって確信したんだ」
スモーキーはしみじみと言った。鉱夫たちもそれぞれ真面目な顔つきで頷いている。
「リュミエールはスイズの王となり、クラヴィスは、新教皇となる兄の側でそれを支える枢機官になるだろう。クラヴィスは、たぶん今日はここには来ないよ。もしかしたらもう逢えないかも知れないな。垣間見るくらいは出来るかも知れないけどな」
「ええっ、そんな。どうして逢えないの?」
「教皇の皇子様なんだぞ。今頃は、奥のお屋敷で綺麗にして貰って、あれこれと御用もあるだろうしな。クラヴィスが、望んだって鉱夫風情とは、謁見という形を通してしか逢えないだろうし、一般の民が謁見を申し込んだところで、目通りか叶うかどうか判らないんだよ」
スモーキーは、諭すようにサクルに言った。
「そうなの……」
しょんぼりしているサクルの横で、他の鉱夫たちがきまりが悪そうにしている。
「俺……クラヴィスに謝らないと。あいつが鉱山に来た最初の頃、あんまり何んも出来ねぇんで散々、うすのろ呼ばわりしちまった」
「俺もだぜ。そりゃ知らねぇわな、皇子さんがよ、ダークスなんか見たこともなかったに違いねぇよ。鍬なんて持ったこともなかっただろう」
「ぼんやりしてやがるからアイツのメシを掠め取ったこともあるぜ」
「俺は、賃金の計算をして貰ったことがある。それから田舎に出す便りの代筆もして貰った。いろいろ世話になってんだ。なあ、スモーキー。なんとかもういっぺん逢って御礼を言えねぇかなあ」
「俺も謝りてぇ」
口々に言う鉱夫たちの姿に、スモーキーは微笑みながら頷いた。
「判ったよ。明日にでも執務官に申し入れてみるよ。俺たちの今後の事もあるしな、まだ教皇庁のお役人との間で、いろいろな手続きがあると思うんだ。なんとか時間を貰えないか頼んでみる。さあ、残りの料理、頂いちまおうか」
「ってことは、クラヴィスの分、残しておかなくていいんだよなっ」
ゼンは、籠に残してあったパンを掴む。
「てめぇは卑しいんだよ!」
「るせぇ、こんなふかふかのパン、もう一生食えねぇかも知れねぇもん!」
「い、言えてらぁ、俺もっ」
「お、おいおい、ちったあサクルを見習って大人しく食べろよ」
いつもは、どこもかしこもシン……と静まりかえっている教皇庁に、豪快な笑い声が響く。最初はその声に眉を潜めていた支給係も、何ひとつ残っていない食卓の皿を見ると、呆れながらも笑いが込み上げてくるのだった。
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