第八章 蒼天、次代への風

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 クラヴィスは、スモーキーたちとは違い、教皇の私室で静かな夜を迎えていた。長患いをしていたクラヴィスが、突如として戻ってきたことに、教皇の私邸の側仕えたちは、戸惑いながらも、久しぶりに見る教皇と皇妃の明るい笑顔をただただ嬉しく思うのだった。
 食事の間中、クラヴィスは、教皇と皇妃の質問攻めに合っていた。クラヴィスは、ジェイド公から命を狙われたことだけを伏せて、鉱山での劣悪な環境についての実態を絡ませながら話し続けた。最後の料理の皿が下げられ、お茶が運ばれた後になって、ようやく一通りの事を話し終えたクラヴィスは、一番気になっていたセレスタイトの事を尋ねた。兄はどこに出掛けていて、いつ戻ってくるのかと。
「……クラヴィス、聖地を見てごらん」
 クラヴィスの問いかけに答えずに、教皇は、立ち上がると窓辺に行き、そう言った。
「はい」
 何か変だ……と思いつつも、言われるままにクラヴィスは窓辺に立つ。いつもの位置に聖地は輝いている。
「もう私には見えないのだけれども……」
 教皇の言葉に、クラヴィスは、持参していたあの金枠付いた紫水晶を取り出した。
「父上、これを持って、聖地をご覧下さい」
 クラヴィスは、教皇の手にそれを握らせた。どういうことかは判らないがこれを持つと聖地が見えるのですと、旅の道中に偶然、判ったその事を告げようとしたクラヴィスに、教皇はさほどの驚きも見せずに 、「おお。これは。聖地が見える。ということは、アレと同じくこれにもサクリアが封じ込まれているのだな、皇妃よ、ほら、ごらん」と言った。
「まあ、本当。では、これも聖地よりの賜りものだったということですの?」
 皇妃にまで、あっさりとそう言われ、クラヴィスは戸惑う。アレとは? サクリアとは? 聖地からの賜りものとは? クラヴィスの不審な表情に、教皇は小さく笑った。
「説明せねばなるまい。セレスタイトのことをな」
「兄上に何かあったのですか!」
「ありましたよ、もう大変ことが……」
 皇妃は、窓辺の椅子にそっと腰かけた。
「お前がいなくなった後、体調の優れぬ私を支えてセレスタイトはよく頑張ってくれた。私の代理として人前に立つことも多くなった。自ずと次期教皇としての期待がセレスタイトに集まる。自分は聖地よりの力を継いでいないのに……。それはセレスタイトのような真っ直ぐな性格の者にとってはかなりの重圧だっただろう。一年ほど前からだったか、セレスタイト自身の体調も悪くなってな……始終、胃の辺りを押さえて、食事もあまり取らず、日に日に痩せていく……」
 教皇の言葉に、クラヴィスの心はざわめき立つ。視界が狭まり、周囲の色が失せていくような感覚がする。
「スイズとダダスの情勢は日増しに悪くなり、この大陸全土でも不作の日々が続いている。私もとうに聖地が見えぬ。セレスタイトのためにも、もう曖昧な事は避け、秋に新教皇授与式を行うことに決めたのだ。もし秋までにお前が戻ってくればそれで良し、戻って来なければ、セレスタイトが教皇になるということで、あれもやっと承知してくれたのだ。だが、少し前の夕暮れの事だ……。私たちはセレスタイトと食事の約束をしていたのだが、約束の時間になっても来ないので、執務室に行ってみたのだよ。そうしたら、吐血して倒れているセレスタイトがいた」
「!」
 クラヴィスは立っているのが辛くなり思わず窓枠にすがりついた。
「クラヴィス、これは悪い話ではないのだよ。倒れているセレスタイトの傍らに、佇んでいるお方がいらしてな。聖地よりのお方だったよ。闇の守護聖様と仰り、お前の中にある聖地よりの力……サクリアと言うのだそうだ が、それと同じものをお持ちの尊きお方がいらしたのだ。アレといったのは、そのお方から賜った水晶球のことでな。今は大聖堂に保管してある。そのサクリアを封じ込めたものだそうで、それを手にすると誰でも聖地が見えるのだよ」
「おかけで、私のような者でさえ、聖地を拝ませて頂きましたの」
 皇妃は、窓辺の聖地のある方向を指して、微笑んだ。
「闇の……守護聖? では、古い文献にあった女王陛下にお仕えするという神のごとき守護聖様のうちのお一人……が?」
「うむ。病魔に冒され、死に瀕したセレスタイトの中に、光のサクリアというものが継がれたのだと仰ったのだよ。そして……」
 教皇は、あの日の事を、見たまま聞いたままに、ゆっくりとクラヴィスに語って聞かせた。
「セレスタイトのことはまだ伏せてあるのです。新教皇冠授与式を前に最後の遊学に出掛けたということにしてあります。ジェイド公にさえ黙ってあります」
 皇妃は、少し憂いを含んだような言い方をした。
「闇の守護聖様が仰っていたのだよ、サクリアは、お前の裡にしっかりと存在し、その気配を私は、さほど遠くない場所に感じることが出来るとな。私たちは、その言葉を信じ、待つことにしたのだ」
「クラヴィス、これをごらんなさい」
 皇妃は、そう言って白い絹の貼った箱の中から衿布を取り出した。
「新教皇となる者の法衣に使う衿布ですよ。私が刺しました。セレスタイトは貴方がきっと戻ってくると、貴方に似合うこの色を使って刺繍するように言ったのですよ。きっとセレスタイトよりも背 が高くなるだろうと思って長く作っておきましたよ」
 柔らかな絹地に繊細な紫紺の刺繍、クラヴィスは母と兄の思いに胸が詰まった。
「クラヴィス。お前にも思う所が多々あるだろう。だが、教皇となることを承知してくれるな?」
 クラヴィスに反論の余地はなかった。
「クラヴィス、もうひとつ解決せねばならぬことがあるでしょう?」
 皇妃が静かに切り出した。
「失踪したのは、セレスタイトを教皇にさせんが為に、身を引いた……、その事に偽りは、ないでしょうけれど。もしや、ジェイド公に命を狙われたのではありませんか?」
 皇妃の言葉に、クラヴィスは黙り込み、教皇は息を飲んだ。
「自領の武官まで付けて東の辺境への旅をお膳立てしたのは、ジェイド公です。貴方が教皇になれば、兄は第一枢機官にはなれません。血の繋がったセレスタイトが教皇になることを誰よりも願っていましたから……。その後の様子からも私はずっと引っかかるものを感じていました。まさか……と思いながら」
「クラヴィス、どうなのだ? 本当にジェイド公がそのようなことを?」
 教皇と皇妃、二人に詰め寄られてクラヴィスは、微かに頷いた。
「武官たちに崖から落とされました……。その武官は兄弟で、彼らはジェイド公の命により、ずっと私を探していたそうです。彼らは後に口封じの為に、ジェイド公から命を狙われ、弟は死にました。兄の名はジンカイトと言います。彼は命の危険を察知し、農夫としてやり直すべくジェイド公領から失踪しました。この道中で偶然、ジンカイトとも出会いました。彼もまたスイズの政策に疑問を持ち、南部、東南部の農民たちの束ね役となって、スイズ城へ嘆願するべく行動を起こそうとしていました。私たち 鉱夫と利害の一致を見、共にスイズ王都に入るべく合流したのです。スイズ王城に入って、北部からも同様の者たちが王都入りしていると聞き、そこでまた合流しました」
「あの広場に集まったという民のことだな……」
「はい。北部代表のサルファーは、スイズ王族を倒し、新政権樹立とともに、新国王としてジェイド公を推すつもりでいました」
「兄を?」
「はい。ジェイド公は教皇庁との繋がりも深く、高潔な人物と思われていたからです。けれど、ジェイド公の隠された面をよく知るジンカイトとスモーキーが反対し、リュミエールを新王に推すよう北部の者たちを説得したのです」
「スモーキー? さきほどの鉱夫のリーダーの男のことか?」
「スモーキーは、以前、ジェイド公領の隣の小さな領を収める貴族の子でしたが、ある事件があり、ジェイド公に刃を向けたため罪人となり鉱山に送り込まれたのです。家は途絶え、戻る家も無く年季が明けた後も留まり続けました」
「そんなことが……。貴族の出だったとはな。どうりで良い報告書を書くと思った。しかし、ジェイド公に刃を向けるとは大それたことをしたものだな」
「聞いたことがありますわ。私の輿入れが決まり、その祝いとしてスイズ王より近隣の小さな領が幾つかジェイド公領に贈られましたの。その中のひとつの領の息子が、その母の死を巡って兄と諍いを起こしたということ。皆、私の耳には入らぬようにしていたようですけれど、噂だけはどこからともなく……」
 皇妃は、じっと床を見つめている。そしてゆっくりと顔をあげた。
「兄に……、ジェイド公に死をお賜り下さい。人を手にかけようとするなど許されることではありません。ましてや、次代の教皇を。それと知っていて」
「皇妃よ。私は、人に罪を改め、心正しく生き直すことを説くことしか出来ない。許されざる罪であればあるほどに、天命の続く限り生き続けて犯した罪の償いをし続けなければならぬのではないかと思う。クラヴィス、お前はどう思う? ジェイド公が憎いか? 死 をもって償えと望むか?」
「いいえ。私には憎しみの気持ちはありません。スイズの大貴族であるジェイド公の影響力は多大です。スイズが、このような時期にある今、リュミエールの妨げになるような事を望みません。私が次代となれば 、おのずと現在の枢機官は解任されますから、伯父上には、今後、スイズの再建に尽力して頂きたい」
「クラヴィス……」
 皇妃は、涙ぐみながらクラヴィスの手を取った。
「ジェイド公に、親書をすぐに出そう。全てをより良き方向に向かわせるためにな」
 教皇がそう言うと、皇妃は立ち上がり窓辺へと向かった。
「クラヴィス、その石飾りを貸して下さいな、聖地を見せて頂戴」
 差し出された白く小さな手の上に、クラヴィスは紫水晶のそれを置いた。教皇は、皇妃の手に自分の手を重ねる。クラヴィスは彼らの後にそっと立った。
「セレスタイトは知っているかしら? クラヴィスが戻ってきたと」
「どうであろうな。闇の守護聖様は、この地を遠眼鏡で見ているようなわけではない、と仰っていたからな。だが、気配として感じていてくれるかも知れない。私たちが今、心穏やかになったと」
“兄上……、遅くなりましたが、戻りました……”
 見上げた聖地に向かって、クラヴィスは心の中でそう言った。
 
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