大聖堂の入り口に立っている二人の衛兵は、教皇たちの姿に、扉を開く。そして、「教皇様の御成である」と、大きな声で中の者に知らせた。鉱夫たちは、慌てて正座をし直し、床に額が着くまで頭を下げた。教皇と皇妃が祭壇まで歩むと、執政官は、平伏している鉱夫たちの丁度正面の位置に、二人の為に椅子を用意した。そして、自らは、丁度、教皇たちと鉱夫たちの間に立つような形で、「さあ、申したいことを
述べなさい」と促した。スモーキーだけが、やや頭を上げ、持参していた報告書と嘆願書を自分の前に置いた。
「余りに申し上げたきことが多うごさいます。これは、この道中にまとめましたもの、私めの拙き説明を長々とお聞かせするよりも、まずはお目通し頂ければ……と」
執政官は、スモーキーの差し出したものを床より拾い上げると、ザッとあらため、教皇に手渡した。
「うむ……しばし待て、読ませて貰おう」
教皇は、報告書を、側の皇妃も一緒に読めるように持つ。そこには、スイズの役人によるダークス搾取の事実を隠蔽するために亡き者にされようとた事、その為にルダの村がひとつ消えた事、鉱山の実態と、事故の事などの要約が、三枚に渡って綴られていた。筆跡も読みやすく、報告書としては申し分ない。何よりも、ザッと読んだだけでも何があったかが的確に判るように、要所要所を上手くまとめ上げてある。教皇庁の執務官の中にもこれほどのものを書けるものはそういない……と教皇は感心していた。そして、ふと遠い記憶が蘇ってくる。
“あれはどれ程前の事だったか? 二十年近くにもなるか……、名は何と言ったであろうか……?”
教皇は、自分の目前に伏している男を見た。
「そなた。もしや、以前、嘆願書を送って来た者ではないか? 管轄地で働く鉱夫たちの規約を作れと?」
それを聞くと、スモーキーは、また一瞬、顔を少しだけ上げた後、さらに深く平伏した。
「覚えていた下さったとは、有り難きことでございます。確かに、以前、嘆願書を送らせて頂きました者でございます」
「やはりそうであったか。あのような嘆願書を鉱夫から送られたのは初めてであったし、良く出来たものであったので記憶に残っていたのだ。今回のこれもよく出来ている。スイズ役人によるダークス不正搾取の件は、噂としては耳にしていた。内密に調査もさせたが証拠は挙がらず、多少の事なれば……と目を瞑っていたのだ。だが、この数値は捨て置けぬものだ。鉱夫の賃金までも搾取しており、その他、数々の規約違反もある。だが、その証拠となるものはあるのか?」
スモーキーは、さらに持参していた帳簿類と、ルヴァたちとまとめあげた書類を、執務官へ差し出した。執務官はそれを教皇へと手渡す。
「これは、二重帳簿の中から、私が証拠のためにと、剥ぎ取ったページと、教皇庁に提出されている偽の帳簿の写しでございます。添付の表が、二つの日付と産出量との差を抜き書き致しましたもの。鉱夫の賃金搾取や規約違反については、ここにいる鉱夫全員が証言致します。例えば、そこの少年……サクルは、この道中でやっと十二になったばかりですが、鳥持ちとして坑道に入らされていました」
スモーキーがそう言うと、サクルはパッと顔を上げて、ペコリとお辞儀をした後、慌ててまた頭を下げた。その幼い表情に、教皇は「うむ……」と言った後、またしばらく皇妃とともに報告書を読んだ。筆跡が先ほどのスモーキーの者とはまったく違うことに、教皇は反応した。スモーキーの筆跡は、筆圧の強い角張った読みやすい文字だが、こちらの方は、どうやら別の三人の手による者らしい。ひとつは、几帳面な文字で、文末にダダス出身の文官などが使うごく小さな区切りの印が入っている箇所があった。これは、先の報告書に書いてあった崩壊した村の出身者であるルダの文官の手によるものだな……と教皇は想う。そして、もうひとつは、明らかにスイズの貴族層の者が書いたと思われるような優美な文字だった。年配の者が書いたような癖がなく書写の手本のような端正な字だった。後のひとつは、それに似ていたが、多少癖があり、些か書き急ぐ癖があるようで、長い文末にやや筆跡が乱れる所があった。いずれにしても、鉱夫が書いたものとは思えぬ内容の確かさと良い筆跡である。
「この報告の内容は正しきもののようだな。むろん、今一度、こちらでも調べさせなければならないが。この文書を作ったものは、そなたと他には?」
「はい。まず、ここに控えております、ルダの文官ルヴァ、そして、リュミエール様にございます」
スモーキーの言葉に、教皇たちは驚く。
「なんと? 聞き違えたか? 面を上げなさい、よく聞こえなかった」
スモーキーは体を起こし、まっすぐに教皇を見つめた。そしてもう一度、「リュミエール様です」と言った。そして、その説明を促すように、ルヴァの背中を軽く叩いた。
「も、申し上げます。私は、ルダの文官ではありますが、ダダス大学を出て間もなかった為、音楽院に留学されていたリュミエール様の教育係として使わされました……そして……」
ルヴァが、その後の経緯を語ると、教皇も皇妃も熱心に聞き入っていた。
「なるほどのう……。リュミエール殿が。そういうことであったのか……。して、今、一人は? この鉱山内の規約違反に関する報告を書いたものは?」
教皇の言葉に、スモーキーは、頭を下げたまま、自分のやや後ろにいるクラヴィスの方をチラリと見た。
「それを書きましたのは、この三年ほど鉱夫として働いておりました、このクラヴィスです」
“クラヴィス……”
教皇も皇妃も、その名に自分たちの息子を思い出す。セレスタイトが聖地に去った後は、殊更、その帰りを待ちわびている息子を。スモーキーの少し後に平伏していたクラヴィスは、顔をあげることなく、さらに頭を下げることで、教皇への返事とした。
「そうか。この報告もよくまとめてある。規約によって守られているはずの鉱夫たちの人権が、かような形で踏みにじられていたことを遺憾に思う。この事は新しくスイズ王となられたリュミエール殿とも話し合って、早急に改善せねばならぬな」
教皇は、息子と同じ名前の鉱夫に声をかけた。そして再び、スモーキーに視線を移すと、「真に大儀であった。規約からすればそなたたちは逃亡したと見慣れるのであろうが、免罪符を発行させておく。それと、この報告によると、鉱山事故の際、暴動が起きスイズの役人を殺傷した者たちがいるな。これついては不可抗力とはいえ、免罪するわけにはいかぬ。スイズ役人の事なれば、やはりリュミエール殿の意向を聞かねばならぬので、しばらくその身柄は、教皇庁預かりと致す。そなたたちには、さらに詳しいことを書記官同席の上、改めて聞かせて貰わねばならぬが、皆、随分、疲れているようだ。もうじき日も落ちよう。今宵はせめてゆるりと過ごされるように」
教皇は、そう言うと執務官に、迎賓館に用意を整える手配を命じた。
「迎賓館を……でございますか?」
執務官は思わず聞き返した。
「何か問題でもあるのか?」
「い、いえ、ございません」
「良い。リュミエール殿よりの使者の方たちでもある。手厚くお持てなしするように」
教皇はそう言い、退出するために、皇妃とともに立ち上がろうとした。
「教皇様! お恐れながら」
スモーキーは、低い声で言った。
「何か言い忘れたのか? 早く申し上げぬか」
執務官は、鉱夫ごときが教皇を呼び止めた事に不快感を見せ、急かせた。
「はい。我らが一番、お願い致したいことは、やはり鉱夫の扱いの改善でございます。それについては報告にまとめ切れぬほどの事実があり、文書として残すには差し支えのあるような内密の事柄もありますれば、このクラヴィスを残します故、今しばらくお話しを聞いて頂きとうございます」
思わせぶりなスモーキーの態度に、教皇は「わかった。では今しばらく耳を傾けよう」とだけ答え、座り直した。
「ありがとうございます」
スモーキーはそう答えると、他の者たちを退出を促すように立ち上がらせた。最後に深々と礼をし、大聖堂の扉へと向かった。執務官が後を追い、衛兵の一人に迎賓館に彼らを連れて行くよう命じると、直ぐさま、教皇の前へと戻った。
残された床近くまで頭を下げたまま鉱夫の側に行くと、彼は、話しの続きを促すように、咳払いをした。クラヴィスは、そっと頭を上げた。その態度に執務官は慌てる。
「これ、お前、許しも得ずに顔を上げるとは無礼で……あ」
だが、語尾が言葉にならない。古参の執務官には、その鉱夫の面差しに見覚えがあった。別人のようではある、だが、しかし……と。
彼以上に驚いた教皇と皇妃は声が出ない。
「ただ今、戻りました」
クラヴィスは、小さな声でそう言った。沈黙の後、教皇は深呼吸、長閑ら振り絞るような声で、「お帰り。ずいぶん遅かったので心配致したぞ」と言った。皇妃の目には既に涙が溢れている。執務官は、理由が判らず唖然としたまま教皇とクラヴィスを交互に見ている。
「病気療養中のクラヴィスが戻って来たのですよ」
皇妃は、執務官にそう言った。もちろん、執務官は納得のいかない顔をしたままだ。
「執務官の中でも古くから私に仕えてくれているそなたには、本当の事を後で説明しよう。だが、今はしばらくそういうことに。このことはまだ口外してはならぬぞ。もうここは良いから、あの鉱夫たちのもてなしを頼む」
教皇は執務官を追い払うようにして行かせると、皇妃とともに立ち上がり、床に座ったままのクラヴィスの側に寄った。
「大きくなってしまって、まあ……。本当にこんなに……」
三年前、既に皇妃の背丈は軽く抜いていたクラヴィスだが、痩せている印象が、彼をまだ幼く見せていた。今は、肩幅も腕も青年のそれに変わったクラヴィスに、皇妃は穏やかな微笑みを浮かべて涙ぐむ。
「話をせねばな、積もる話を。もうすぐ食事時だ。一緒にな」
教皇は、クラヴィスの手を取って言った。その手は、余りにも荒れて汚れている。爪の間は、ダークスの粉塵で黒く染まっている。
「お前……本当に鉱夫をしていたのか?」
教皇の問いかけに、クラヴィスは、それが誇らしい事のようにしっかりと頷いた。
「そうか、そうか。けれど……まあ、まず風呂に入るべきだな」
教皇は、笑って立ち上がると、皇妃に手を差し伸べて立ち上がらせた。続いて、クラヴィスもゆっくりと立ち上がる。
「お前の側仕えたちは、執事夫婦以外はもう誰も残ってはいないのだよ。彼らには事情を話してある。いつかお前が帰って来ると信じて待っていてくれたのだよ。さあ、私室に戻って綺麗にしなくては」
教皇は笑顔でクラヴィスの背中を押す。
「あの、先に兄上に挨拶を……」
セレスタイト……、クラヴィスは心から留守を詫び、逢いたいその名を思う。だが、教皇も皇妃も、はっきりとは答えず曖昧に笑っただけだった。その笑顔の中に違和感を感じクラヴィスは、再び「兄上は?」と問うた。
「出掛けているのだよ、後で食事をしながら詳しく話そう。さあ、さあ、早く」
急かせる教皇の足元が些か心許ない。クラヴィスは咄嗟に、父の肩を支えた。
「大丈夫だ、大丈夫。お前の顔を見たら、安堵して食欲が湧いてきて、空腹を覚えたのだよ」
「わたくしもですわ、今日はたくさん頂きましょうね」
目を赤くした皇妃が、変わらぬ優しい声で言う。どれほどの心配を二人にかけてしまったことだろうか……とクラヴィスは思う。解決しなければならない幾多の事も、今はただ横に追いやって、今夜だけは純粋に彼らの息子として存在したい……と願うクラヴィスだった。
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