第八章 蒼天、次代への風

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 ジェイド公が自領に戻り、スイズ城からの早馬も帰って行ったばかりだというのに、今度は大きな馬車が、教皇庁の門前へと何台も連なってやって来る。先頭の御者は、「スイズ城からの御用でございます」とだけ告げて一旦 、馬車を止め、衛兵の出方を待った。鉱夫が乗っているのだとは言えなかった。もし追い返されでもしたら、自分がリュミエール新王のお叱りを受けるかも知れないと思い、御者は余計なことを言わずにいたのだ。常時ならば、中に乗っている者が、車両部分の窓にかけられたカーテンをそっと開き 、衛兵に身分を示すのが慣わしである。だが、それはまったく開かれない。衛兵は困った顔をして御者を見た。御者は、衛兵を急かすように、コホンと咳払いをする。
「もしや王族が乗られているのではないか? その……暴動から逃れて、ここに……。それで人目を憚って……」
 衛兵の一人が、仲間に小声で囁いた。
「そうかも知れんな。スイズ城の馬車なのは間違いないしな……よし、開門だ」
 衛兵たちが、開門すると五台の馬車は連なって、教皇庁の車寄せへと入った。スイズ王城からの馬車となれば、乗っているのがたとえ王族でなくとも、城からの来客と見なされ丁重にもてなされるのが常であったから、その出迎えには 教皇庁内の古参の執務官が行った。誰が乗っているにしても身分の高い貴族には違いないだろうと、彼は頭を垂れたが、馬車から降り立ったのは、汗と泥、血糊に汚れた平民たちだったことに、彼は、一瞬怯み、御者に向かって「これは何事か?」と叫んだ。
「この方たちは、教皇庁管轄地の鉱夫たちだそうです。新王より仰せつかり、お運び致しました」
 御者は、それだけ言うと、自分は関係ないのだと言わんばかりにそそくさと後方に退いた。
「新王様が何故……?」
 先ほどの早馬の内容は、たった今、教皇から直接、聞いたばかりだったが、このすえた臭いを巻散らかしている鉱夫たちをわざわざお使わしになった理由は何なのだろう? と彼は、鉱夫たちの先頭に立っている男を見た。
「教皇様にぜひ申し上げたき事がありまして参りました。リュミエール様もこの事は、ご承知下さっております」
 スモーキーは、左手を胸に置き、頭を下げた。些かなりとも礼儀の弁えた者なのだと判ると、執務官は、少し安心した表情を見せた。恐らくは鉱山での労働についての直談判であろうと思ったが、スイズ王の手前、無下に扱うことも出来ないと判断した彼は、鉱夫たちを謁見の間ではなく、大聖堂へと通すことにした。万人の上に平等に開かれるべし……と定められている聖堂ならば、このような者たちを何人も入れても咎められないだろうと思ったのだった。
「しばしここで待て。教皇様にお伝えしてくる。勝手に歩き回るでないぞ。神妙に跪いておれ」
 大聖堂の荘厳さに圧倒されている鉱夫たちは、声も出せず目だけをきょろきょろと動かして祭壇の前まで歩むと、石化したようにこじんまりと、直接床に座り込んだ。
「す、すっげぇ……な」
 執務官が行ってしまうと、ようやくゼンが呟いた。
「あの窓見てみろ、全部違う花模様になってる。それにガラスに色がついてるぜ」
「祭壇の彫り物、細けぇーー」
 鉱夫たちは、口々にボソボソと独り言のように言い合う。
「驚きました……。ダダス大学の聖堂を初めて見た時、こんな立派な建物があるのかと思いましたけれど、その比じゃありません……」
 ルヴァは、ずっと天井に描かれた蔦文様を見上げたままだ。貴族であった頃、数回はここに来たことのあるスモーキーと、クラヴィスだけが辺りを見回すこともなくただじっと前を見ている。祭壇の上、天井から垂れ下がった大きな神鳥の刺繍が施されたタペストリーを……。

 執務官は、大聖堂の入り口を衛兵に見張らせた後、教皇の執務室へと走った。そこには、皇妃の姿もあった。先ほどの使者の事を、皇妃に報告しているようだった。
「ただ今、スイズ城よりの馬車が着きましてございます」
「ほう、では早々にリュミエール殿がいらしたのか?」
「い、いえ。乗っていたのは、管轄地の鉱夫、まだ子どものような少年から、初老の者まで、ざっと十五人程でございます。リュミエール王もご承知だとかで……」
「鉱夫……というからは、嘆願であるな?」
 管轄地の鉱山でも暴動のようなものが起きている報告は耳に入っている。管理しているスイズの役人からは、全て解決済みとの事後承諾のような形でしか報告されていないが、 リュミエールが使わしたとなると、やはり何か問題があったのだな……と教皇は思った。
「恐らくは左様でございましょうが、如何いたしましょう? あの……見るからに酷い有様の連中でして、スイズ王からの使者でなくば、嘆願書だけ受け取り、すぐに追い返すのですが 、王城で動乱があった時期だけに、無下にも出来ず、一旦、大聖堂へと入れました。恐らくは、初めてみるであろう聖堂の厳かな様子に、連中の気持ちも幾分、治まるかと思いまして」
「よい判断である。リュミエール王が、どのような理由でその者たちをここに送り出されたのかを知らねばならぬ。逢おう。それに、はるばる管轄地から参った者たちだ、長い道中であったろう」
 教皇は立ち上がった。
「鉱夫の中に子どもとは、どうしたのでしょう? 鉱夫の子でしょうか?」
 皇妃はそれが気になる様子で執務官に尋ねた。
「そうでございますね……父親が出稼ぎ中、母親が死んだ場合など、引き取り手がなければ、鉱山の現場にいる父親の元に行かざるをえませんから。下働きしていたのでしょう」
「もしそうなら労しいことですわ……母が恋しい年頃でしょうに。私も参りましょう。不慣れな場所できっと緊張しているに違いないですわ。せめて一言、励ましの言葉を……」
 執務官、教皇と皇妃は共に大聖堂へと向かった。執務室棟を出て、大聖堂へと続く長い廊下に差し掛かった時、教皇は妙な胸騒ぎを覚えた。その感覚は、闇の守護聖がセレスタイトを迎えに来た時に感じたそれと似ている。かっては自分の裡にもあった聖地のよりの力、サクリアが、近くにあるような感覚である。
“あの闇の守護聖様から賜った、サクリアを封じ込めてある水晶球のせいだろう……”と、教皇はそう思い直した。水晶球は大聖堂の片隅に設えた飾り棚に収めてある。鍵の掛かった棚の中にあっても、その日によって何かを察知しているように強いサクリアを発していることがあるのを何度も体感している教皇は、スイズ王国の大きな変化を水晶球が如実に感じとったのに違いないと思った。

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