第八章 蒼天、次代への風

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 その小さな白い礼拝堂は、スイズ城の中で、リュミエールの一番のお気に入りの場所でもあった。祈りを捧げるから……と言えば、誰にも邪魔されずに一人で居ることが出来たのだ。長じて、上の王子と中の王子を取り巻く回り諍いを、肌に感じるようになってからは、城の中にあって唯一の偽りのない神聖な場所だった。
 一番に礼拝堂に乗り込んだ者が、まさに地下の通路から出てこようとしている王たちを見つけた。
「いたぞっ」
 その声が上がるや、あっという間にたち民は、礼拝堂へと雪崩れ込み、王たちを取り囲んだ。
「なんだ、お前たちは!」
 と怒鳴り声をあげたのは、王たちを誘導していた側近である。だが、お前には用はないとばかりに民に突き飛ばされる。
「王よ、どこにお逃げになるおつもりで?」
 サルファーは、王族に剣を突きつけていた者たちを一旦、退かせ、王の正面に立ち、その目を見据えて低い声で言った。
「に、逃げなどせぬ。ただ……祈りを捧げに参ったまでのこと。嘆願書の事なら、アジュライトに任せてあったのだが、何か行き違いでもあったのか? 民の為に最善を尽くすよう言ってあったのだが?」
 王が見え透いた言い訳をし、上着の裾を整え、些かの威厳を保ちつつなんとかそう言うと、王妃と上の王子も調子を合わせ、にっこりと微笑んだ。寵妃だけが、怒りに震えている。
「全てを中の王子になすりつけようとしてももう遅いのですよ。王座から降りて頂く。その理由は言うまでもない」
 冷静に言うサルファーの横で、他の者たちが殺気だった顔をしている。
「面倒だ、この場でやってしまおうぜ」
「そうだ、首を取って広場に掲げてしまおう」
 男たちは、剣の切っ先を再び、王たちに向けた。
「そ、そなたたち、ここは教皇庁をも抱くスイズの王都ぞ。このような暴挙を教皇様は、いかにお嘆きのことか! 私を王座から降ろすだと? そんなことは、お認めにはならぬぞ」
 震える声で王は言った。その時、王妃が、王の傍らからスッと前に出て、男たちを見据えた。
「民の生活が苦しいのは判りました。でもダダスとの戦いはもうすぐ終わります。現王は、ここにいる上の王子に王座を譲るつもりでいらっしゃいます。今、騒ぎ立てて、王から王座を奪うようなことをせずとも、もうすぐ新しい御代になるのですよ。戦いの勝利と、新国王の祝い、収穫祭……と今年の秋は、かつてないほどの祝福がスイズ国内にやって来るのですよ」
 彼女は、ここぞとばかりにそう言うと、「そうですわよね?」と念を押すように王に問いかけた。
「あ、ああ、そうだ、そうだとも」
 王の返事に寵妃は、その場にドッと倒れ込み、泣き叫んだ。
「何もかもあの子に押しつけて! あの子のせいにしてしまおうと仰るんですか? つい先ほどまでアジュライトを次期王にと仰っていたのに?」
「お黙りなさい、見苦しいですよ」
 王妃の言葉に、寵妃は掴みかからんばかりになった。回りにいた男たちが、それを押さえつける。
「黙るのはあんたもだ、王妃さんよ。次期王になるのは、そこのぼんくら王子でも、さっきのわがまま王子でもないんだよ。ここにいるリュミエール様だよ」
 大男が、得意のドスの効いた声でそう言うと、男たちの間に歓声が上がった。サルファーと大男がスッと間を開けると、そこにはリュミエールが立っていた。
「リュミエール! おお、リュミエール。お前、よく無事で!」
 王は、咄嗟にそう声をあげた。先ほどアジュライトが、言ったときのようなわざとらしい感じがしない。リュミエールはそれに動揺する。
「父上……はご存じなかったのですか?」
「何をだ? お前がダダス軍に殺されたかも知れないとどれほど案じたことか」
「リュミエール、今までどこにいたんだ? あんなに探したのに」
 上の王子の言い様にも嘘はないように聞こえる。
「私はダダス軍に捕まってなどいません。そのことは……中のお兄様がよくご存じのはず……」
「ははあ、やっぱりアジュライトのヤツが画策してたんだな。リュミエールが殺されたことにすれば、兵士たちの士気も上がるしな」
 上の王子は、寵妃をチラリと見て言った。
「本人のいないところで、アジュライトを貶めるようなことは言わないで下さい。リュミエール、お前もよ。行方不明になった経緯はどうだが知らないけれど、どうしてお前が、この民たちと一緒にいるのですか? 民をそそのかし、ここまで連れてきたのはお前なの?」
 寵妃は涙の溜まった目でリュミエールを睨み付けた。
「その経緯を今、話している時間はない。王よ、いますぐにこのリュミエールに王座を渡すのだ。彼を王にし、国政は、民からの代表を加えた者たちで行う。スイズにあってはお前たちの独裁ゆえに縁の無かった議会制という形でな」
 スモーキーの言葉に、回りの男たちの歓声が、また上がる。
「そんな馬鹿なこと! リュミエールが王ですって!」
 王妃が思わず叫ぶ。
「これはお前の考えた私たちへの復讐なの?」
 寵妃が呟いた。
「復讐……?」
「若く美しい新しい寵妃……お前の母を、正妃様が薬湯と偽って毒殺したから? 私が彼女に辛く当たったから? それとも、ただ単に王座が欲しかっただけ? 末の王子と蔑ろにされ続けたことに対する復讐?」
 寵妃は、半ば嗤うようにそう言った。リュミエールが答える間もなく王妃が口を挟む。
「リュミエール、そんなことは戯れ言です。確かに、寵妃が、貴女の母親の産後の肥立ちを悪くするようあれこれと画策したのは事実ですけれどもね!」
「ええ、そうですわ。体調を崩し、暇乞いでもして実家に帰ればいいのに……と思いましたの。でも、貴女のように殺そうとまでは考えませんでしたわ」
「何の証拠があって?」
 王妃が叫ぶ。二人は掴みかからんばかりになっている。
「おい、とりあえず、先に二人まとめて殺しちまっていいか?」
 大男が、目を据わらせてそう言うと、彼女たちは怯えた声をあげた後、口を噤んだ。
「お母様方、私は、実母の思い出を何一つ持っていません。私を抱いて下さった手も、髪を撫で下さった手も。私の思い出として心に残るその仕草は、実母のものでなく、貴女方のもの。お母様方の優しい手……です。愛されていると思っていたのが、たとえ私だけであったとしても」
 リュミエールの瞳から涙が落ちる。その言葉にさすがの二人も項垂れる。王と上の王子の方は、自分の命の行方を探るように、リュミエールを見つめている。 
「私は、三人の息子のうち、優れたものが王になるべきと思っていたのだ。リュミエール、お前は音楽にしか興味がないと思っていたのだよ」
「そうだよ、国政に興味がないと思えばこそ、音楽院への道を進ませてあげたんだよ、父上は。お前は、好きな道に歩めて幸せだなあと思っていたんだ。いいよ、リュミエールが、王になるといい。きっと民も喜ぶ」
 なんとかしてこの場をやり過ごそうとする王と王子の態度に、誰もが辟易している。
「リュミエール様、いかがいたしましょう。民の気持ちを思いやれば、すぐに広場にて処刑するのが後腐れもなくいいかと思います」
 サルファーは、わざと冷たくそう言い放つ。他の男たちも一斉に頷く。スモーキーは、リュミエールがなんと答えるかじっと待っている。リュミエールの性格からして処刑はありえない……と思うが、と。
「今、しばらくは、湖の離宮にてお過ごし頂きましょう」
 リュミエールは、静かに言った。
「牢に幽閉ではなく、蟄居ですか?」
 ジンカイトの問いかけに、リュミエールは頷く。
「しばらくってどれくらいだい? リュミエール。 ねえ、処刑だなんてそんなことはないだろう?」
 上の王子は、情け無い声をあげる。
「これからは、そういうことも皆で決めるのですよ、議会で」
「そんな! 民になんか決めさせたら結果はわかってるじゃないか!」
「判ってるさ。そうさせたのは、あんたら自身じゃねぇかよ! 牢に入れられないだけでもマシじゃねぇか」
 ゼンが、叫んだ。
「どうかお心を正しくお持ち下さい、これからは民のために。もちろん私は出来る限りのことをします」
 リュミエールの言葉に、大男は肩を竦める。
「親思いの子どもで良かったよなあ、さあ、とっとと連れて行こうぜ、その離宮とやらに」
「そうだな。だが、王にはまだ一仕事して貰わないと」
 サルファーは、王妃と寵妃、上の王子だけを、そのまま見張らせ、王を引き連れて、礼拝堂の外に出た。衛兵と民とがまだ戦いあうその最中に。
 羽交い締めされて出て来た王の姿に、衛兵と民の手が止まる。
「双方、退け!」
 サルファーが叫んだ。そして、渋い顔をしたままの王を促す。ようやく捕まえられていた手を解かれた王は、「末の王子、リュミエールがルダより戻った。これより王位はリュミエールに継がせる。ただ今より、リュミエールがスイズの王だ! 衛兵は武器を 置け!」と吐き捨てるように告げると、憮然としたまま王妃たちのいる礼拝堂の中に自ら戻って行った。側にいた民たちは何度となく歓喜の声を挙げ、衛兵たちは突然のことに唖然と立ち尽くす。
「すぐに皆に知らせろ、リュミエールが王になったと。スイズの王は代わったと!」
 サルファーがそう言うと何人もの民たちが、大声を張り上げて他の場所で戦っているだあろう者たちに告げるために走り出した。
「あなた方も戦うのを止めるようすぐ言うのです。捉えた民も釈放しなさい。そして怪我人の手当を」
 リュミエールは、側にいた衛兵に告げ、辺りを見渡した。そこかしこに怪我人が座り込んでいる。倒れている者は、死者なのか、気を失っているだけなのか判らない。 とりあえず、スモーキー、クラヴィス、ルヴァ、そして鉱夫たち、リュミエールの道中を共にした者たちは、皆、その場にいる。
“よかった……”と思うと、急に足の力が抜けそうになる。座り込んでしまいたい衝動に駆られながらも、リュミエールは自分を奮い立たせた。まだ終わったわけではない、と言い聞かせて。 

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