２１

　スモーキーたちの目前に、城の大きな鉄柵の門が見えている。だが、優美な曲線を縁取られたそれは、外から来る者を拒むというよりは、見た目だけの豪華さを追求している様である。スイズ王城は、城門、城壁、どれひとつ取っても、砦という機能的な部分は、欠落している城であった。この大陸の一番良い場所に、広大な領地を持ち、教皇庁をその王都内に抱くスイズ王国は、未だかって他国から攻められたことなどないのだった。敵対するダダス とでさえ、王都はもちろんのこと、その国内でも戦ったことはな い。城はあくまでも王族の権力の証しだけのものであった。
　無粋な石造りの城壁や、澱んだ水の流れる濠、外敵から守るものなど別に必要ないと歴代のスイズ王たちは豪語してきた。城の尖塔は見張りを置くために建っているのではなく、王家の旗を空高く翻す為にあるのだと。その奢りが今、打ち砕かれようとしている……。
　
「開門されたし！　昨日出した嘆願書の返答を王に願いたい！」
　声の大きいのをかわれて大男が、そう叫ぶ。門前にずらりと並んだ衛兵たちはじっと佇んだまま口を開かない。大男は、もう一度、同じように叫んだが、返事はない。業を煮やした男たちが、「王の返事を！」「開門！開門！」と怒鳴りだした。その幾つもの声が重なり合い、それは城内に居る者の耳にも届く。ようやく目覚めた王たちは、不快そうにその声を聞きながら身支度をし始める。門前では、衛兵たちの合間から、一人の文官風の男が出て叫んだ。
「嘆願書の件は善処する。その内容は、追って公布されるだろう！」
　昨日聞いた返答とまったく同じである。
「それはいつのことだ？」
「明日か？　明後日か？　それとも一年後か！　王の言葉を聞きたい、直接に！」
　サルファーは、文官を睨み付ける。
「直接になど……そんなことはできん」
「何故、出来ない？　己の国の民に何故、声を聞かせようとしない？　善処すると言ったその内容を何故、明確にできない？」
　スモーキーは、文官に迫りそう言った。
　サルファーやジンカイトの後にいる男たちは、すでに武器を固く握りしめ、いつ何時、衛兵や、文官に飛びかかっても不思議ではない形相をしている。
「し、しばし待て！」
　気迫に押されて、ついに文官は、慌てて衛兵の合間に逃げるように身を隠し、僅かに開いた門の隙間から城内へと駆け込んだ。文官は、内務大臣とアジュライトの元に行き、今の様子を息をきらせて告げた。
「……仕方ないなあ。私が出よう。けれど、もう少し待たせておけ。食事中なのでな」
　アジュライトは、ゆったりと座ったまま、目前の果物に手を伸ばす。
「父上たちはもうお目覚めになられたかな？」
「は、さきほど。お召し替えの最中でございましたが、現状お伝えしました。やはり任せた……と仰せです」
「うん。なかなか美味いな、これは。……ああ、そうだ、兄上はなんと？」
　アジュライトは、食べ物を口に運びながら答えた。
「あの……いまだ、寝台の中に……お声はかけたのですが」
「ふん、もう諦めているんだよ、兄上は。王座はもう手に入れられないと判ったらしい。昔はあれでも私とよく張り合ったものだったよ、勉学でも武術でも。けれど、飽きっぽい性格だから、長続きしないんだ、兄上は。毎日、楽しく過ごせればそれでいいのさ、野心なんてものはないお方だ。さすが正妃様のお子、お育ちが違うんだねえ。それを考えるとリュミエールならもっと野心家になっていそうものだけれど、あれは音楽以外、興味がないから な。それにしてもリュミエールの行方が掴めないなあ、ルダの文官も行方不明のままだし、本当に死んだか……ま、その方が好都合だが」
　民が押しかけているのにアジュライトは機嫌が良く、内務大臣を相手に饒舌になっていた。昨夜、スイズ軍が、ダダスの都の直前での戦いに勝ったとの知らせが入ったからだった。 恐らくは十日ほど、早ければ五日の後には、ダダスは降伏するだろう、恐らく父上は、勝利宣言と同時に、次期国王の発表もされるに違いない……と思うと心が浮き足立つのだった。民の怒号が、まるで遠くから聞こえる音楽のよう だと、アジュライトは思っていた。

　城の鐘が八時を告げた。民が門前に押し寄せてから一時間以上が過ぎている。文官が待てと言って城内に消えてからは半時ほどだが、皆はもはや待てない様子で苛立っている。 明るくなるに連れ、朝の爽やかな風が止まり、暑さが増してくる。そのことも苛立ちに拍車をかける。まさに一触即発で、サルファーと衛兵は、睨み合っている。後方にいる者が、門に向かって小石を投げた。空に向けて長槍を持っていた衛兵が、咄嗟にその手を民に向ける。ザッ、とスモーキーたちは一歩退き、乱闘になりかけたその時、門前の横にある見張り塔から声が響いた。
「皆の者ーーー」
　まだ若い男のよく通る声だ。一斉に皆がその方向を見た。塔の中ほどの位置にある窓に、その声の主であるアジュライトと内務大臣の姿が見えている。
「私はスイズ国王子、アジュライトである」
　彼はそう言うと、民を見渡すようにし、手を挙げた。
「アジュ……ライト……？　中の王子だ」
「あれが、そうか」
　口々に呟く声がしている。リュミエールは、久しぶりに見る兄の姿にグッと手を握りしめた。アジュライトの位置からは、民の顔までははっきりとは見えない。自分を見上げている者の中にリュミエールがいるなど思いもしていない。
「私は、王の代理としてここにいる。そなたらの嘆願書は確かに目を通した。何度も言っているが、善処する。昨夜、ダダス王都目前の原野での戦いに我が軍は勝利した……と報告が入った。今頃はダダスの都ら向かって行進しているであろう。まもなく戦いは終わる。秋の収穫祭の頃には、皆もその恩恵に預かるであろう。楽しみに待つがいい」
　アジュライトは自信を持ってそう言うと、皆に向かって微笑んだ。民の歓声が上がるものと思って……。だが、辺りは、シン……と静まりかえっただけで、歓声も拍手も上がらない。 コホン……と小さく咳払いをした後、 「この中には徴兵されているにも拘わらず出頭していない者もいると聞く。恩赦をもって対処しよう。すみやかに兵舎へと向かえば咎めはない。農夫は田畑へ、鉱夫は山へ、職人はそれぞれの仕事場に戻るのだ。お前たちがあるべき所に戻るのだ」
　と、アジュライトは、さきほどよりは強い口調で叫んだ。
「それだけか？　言うべきことは、それだけなのか？」
　隊列のいたスモーキーが声を張り上げた。その声は、アジュライトの耳にも届いている。彼は、キッと声の聞こえる方向を一瞥した後、ふう……と息をつき馬鹿にしたような素振りをした。アジュライトの背後から内務大臣がスッと彼の前に出る。
「これ以上、何を望むのだ？　こうして王子自らが皆にお声を掛けて下さっておるのだぞ？　身の程を知るがいい」
　その言葉に怒りというよりは白けた雰囲気が流れる。ジンカイトもサルファーもやるせないように首を振る。余りにも王族、貴族たちと自分たちとの気持ちの温度差が違うのだ。誠意がまったく感じられない口先だけのアジュライトの言葉に誰が納得しよう……。
　その時、誰かが叫んだ。
「恩恵……って何だよ？　今年は……収穫祭なんか出来るもんか……畑も作れなかったのに、収穫なんて無い！」
「明日、食べるものさえろくにないのに、秋まで待てってか？」
　後方からの不満の声がうねりとなって、城門のすぐ前にいるスモーキーたちや衛兵たちにも、そしてアジュライトにも届く。
“チッ……せっかく音便に済ませてやろうというのに”
とアジュライトは思い、内務大臣の顔を見る。彼もまた眉間に皺を寄せている。
「いかがいたしましょうか？」
「門前から押し戻すよう衛兵に言え。槍をやつらの方に向け、隊列を組んだまま歩けば、自ずと、下がらざるを得ないだろう。先頭のいる連中はそのまま突いてもかまわん」
「はっ。誰か。今、アジュライト様が仰ったこと門前の衛兵の長に伝えよ。その後、王にも現状をお伝えしておくように。民は、アジュライト様のお言葉を聞き入っていたようだ……と加えておくように。急げ！」
　内務大臣は、そう言われた側にいた兵は、塔の螺旋階段を慌てて下りてゆく。そして鉄門の内側から、それを外側にいる衛兵の長に伝えると、城内にいる王の元へと走っていった。
「全体、槍を前へ！」
　衛兵の長の号令がかかると一斉に長槍が、前に突き出された。
「ふん。見ろ、怖じ気づいて下がり出したぞ」
「おお、突かれて転びよったわ」
　内務大臣は、民が驚いて下がった様に笑う。
「今、しばらくは、見物といくか」
　アジュライトも笑う。民たちが、一斉にザザッという足音を立てて下がる。また、転んで突かれた誰かの叫び声がした。
「退かぬと容赦はせぬぞ！　さあ、このように、突かれたくなくば、すみやかに去れ！」
　衛兵の声が響く。サルファーは、剣を持つ手に力を込めた。と、その時、後方から何かざわざわとした雰囲気が前方にいる者にも伝わってきた。
「なんだ？」
　ジンカイトは、つま先立ち、その方向を見ようとするが後続の者の頭が見えるだけで何があったかは判らない。
「通して、サルファー、サルファーのところに……」
　ややあってそう言う声が聞こえ、人を掻き分けて女がやってくるのが微かに見えた。
「どうしたんだっ？」
「……が、……連れていかれ……」
　女が、歩きながら言う声が聞こえる。門前近くになると、女はいきなり「サルファーー」と叫んだ。
「広場に……、広場の方にも兵が来て……」
　女は、ようやくサルファーの元まで辿り着くと、その腕の中に倒れ込み、喉を詰まらせながらそう言った。
「なんだと？」
「待機していた男たち……怪我人や年寄りを捕まえて連れてったんだよ。女や子どもは、ちりぢりになんとか逃げたり隠れたりしたんだけど。そ、それで、その時、長老が……」
　そこまで言うと、女の目から涙が溢れた。
「長老は、ゆうべから足の具合が悪くて立つのもやっとだったのに……、それを無理矢理……それで、倒れて……引きずられて……。結局、長老を残したまま、兵は去ったんだけど、私らが 、介抱しに行った時は、頭を打ったみたいで、もう長老は……」
　女は、首を横に振るとその場に座り込み号泣し出した。
「長老が……」
　サルファーは、絶句し呆然と立ち尽くした。女の話は、その場にいた民たちの間にたちまちのうちに広がってゆく。誰もが、尊敬されていた長老の死に愕然としている。衛兵は男たちが動揺していることにつけ込み、一気に押し返そうと、尚も前進し始めた。
「広場にいたのは、弱い者ばかり……それを連行しただと？　立てもしない年寄りを引きずってまで……」
　サルファーは、込み上げる怒りを押さえることが出来ず、持っていた剣で前進してきた衛兵の槍を叩き落とした。スモーキーとジンカイトも剣を衛兵に向かって構えた。
「衛兵の中にも、平民はいるだろう？　お前たちの故郷が今、どうなっているか知っているだろう？　平民から城の衛兵になったのは名誉なことだろうが、お前たちが命を張って守るだけの価値のある者たちなのか？　この城にいる者は？」
　ジンカイトが叫ぶと、何人かの兵の動きが止まった。開門を促す民たちの声が響き渡る。
「何をしているのだ！　もういい、容赦するな！　突き返せ！」
　塔にいたアジュライトがそう叫ぶ。サルファーは、神鳥の描かれた黄色い旗を高く掲げた。そして力の限り振った。
「突入だーー」
「やっちまえーー」
　まさに堰を切ったように男たちが飛び出していく。衛兵たちが突き出す長槍に臆することなく。怯んだ兵士を払いのけて身の軽い男たちが城門に次々にしがみつき、登っていく。 そして中側にいた兵士たちを押し退けて、形ばかりの錠前を斧で壊すと、ぎしぎしと乱暴に門を揺すって開門し始めた。
「門が開くぞーー」
　大男は、後方にいる者の為にそう叫び、リュミエールの盾になりながら前へ前へと進む。武器を持つことに躊躇いのあるルヴァも、そんな悠長な事を言っている間もなく、迫ってくる兵士に向かって槍で応戦している。クラヴィスは、スモーキーから渡された棍棒を振り回すようにして、兵士を退かせ、大男とリュミエールの通る道を作ろうとしている。
「見張り塔を見ろ！　あそこにまだ中の王子と内務大臣がいるぞ！」
　そう叫んで男たちが一塊になって塔へと突進する。狭い螺旋階段で、衛兵たちと揉み合う。いかに良い武器を持とうとも、錆びた剣を持つ民の方が気迫では勝っている。次第に衛兵は城門付近から退却させざるを得なくなっている。中には持っていた長槍を捨てて、自分も平民の出であることを叫び寝返る者すらも出て来た。
「捉えたぞーー、アジュライトを捉えたぞーー」
　という声が響いた。応戦していた者たちの手が一斉に止まり、見張り塔の方へと向く。まず、内務大臣が、男たちに斧や鉄棒を向けられて降りてきた。その後にアジュライトが二人の男に羽交い締めにされているのが見えた。
「このような事をしてただで済むと思うな」
　アジュライトは、そう言うが男たちは口を固く結んだまま彼の腕をがっちりと掴んでいる。
「衛兵よ、道を開けろ、王の間に通せ！　王と直接、話をさせろ」
　男たちが、アジュライトと内務大臣を人質にして、そう言うと、衛兵たちは、長の指示を仰ぐべく困惑したように辺りを見回した。だが、長の姿はない。既に逃げてしまったか、倒れ伏した者たちの中にいるのか……。
「判った、判った、税の削減を二割ほどしてやろう。それから、幾ばくの見舞金もすぐに出してやる。私を放せ。王の所にご相談に行ってくるから」
　アジュライトは、そう言った。
「その返事を昨日、広場にいた時にすぐに聞かせて貰えていたら、また事態も違っていただろうに……今更……」
　ジンカイトが、情け無いというように溜息を付き言った。
「放して逃してしまえば、再びお前は、我らを攻撃するつもりだろう？　そんな手に乗るものか！」
　サルファーは、剣を向けて叫ぶ。
「ここまで来て嘘などつかん。私は次期、国王なのだぞ？　近い将来、そなたら民の上に君臨する身だ。嘘吐き呼ばわりはされたくないからな。いいか？　今、王に進言出来るのは私だけだ。すべては私に任せるとそう仰せられたのだからな。権限は私にあるのだ。だが、ここはまず 、王の顔を立てねばならんからな。一旦、私を城内に入れ……」
　アジュライトの表情には、まだ余裕が伺える。だが……。
「お前は次期、国王などではない！　誰がお前を国王と認めるものか！」
　スモーキーが叫ぶ。
「いやいや、私だともう決まっているのだよ。長子である上の王子は、タダスとの戦いで、私が参謀として汗水流している時にも、宴を開き贅沢三昧。あやつの遊興費をだけで城が建つわ！　そんな者を王にしていいのか？」
「王になるのは、上の王子でもお前でもない。リュミエール様だ！」
　誰かが叫んだ。
「馬鹿なことを。リュミエールは、まだ成人もしていない子ども。それに、その命さえ知れ……」
　アジュライトは、その時、大男の後に佇んでいるリュミエールを見つけた。
「お……まえ……、……い、生きていたのか？」
　アジュライトは、亡霊を見ているかのようにリュミエールを見た後、思い出したように、「ずっと、心配していたのだぞ」と付け加えた。　
「兄上、取り繕うのはもうお止め下さい。あなたは、私がルダの文官ルヴァ様と、ほんのひととき旅に出ただけと知っていたはずです。それをダダス軍に拉致され殺されたなどと嘘を……」
　リュミエールは、アジュライトの前に進み出ると静かにそう言った。
「噂だよ。噂だけが先走っていただけだ。なんだ？　お前、行方が知れないと思っていたら、農夫たちと一緒にいたのか？　ああ、わかった、農夫たちに捕まり、人質にされたのだな？　お前は人が良いから、それで丸め込まれて ここに同行したのか？。酷いことをするな、農夫どもも！　可愛そうに。そんなに薄汚れた形で辛かったろう？　まだ年端も行かぬ世間知らずのリュミエールを、こんな諍いに巻き込んで 」
　アジュライトは、回りの男たちに非難めいた視線を投げつける。
「兄上、私はつい先日、十六になりました。十四の者を戦場に送っているのはどなたです？」
　リュミエールが、そう言うと辺りがシン……となった。
「それに、私は自分の意志でここにいるのです。充分、世間というものを知りましたから！」
　リュミエールの言葉にアジュライトは、いきなり笑い出した。
「はは！　そうか……そうだったのか、お前も王座が欲しかったのだな？　おとなしいふりをして虎視眈々と狙っていたわけだ。非難はしないよ、判るぞ、その気持ち。正妃母上と上の王子の態度にはうんざりだったものなあ。私も、お前も寵妃の子、野心があって当然だとも。そうだ、リュミエール、お互い手を組もうじゃないか？　お前はまだ若い。ここは私が一旦、王となり、お前は内務大臣でどうだ？　お前が成人した頃に、王の座を譲るよ、いい考えだろう？　兄上の事は考えてあるんだ、最初から。ルダはスイズに落ちたも同然、あそこをスイズ国ルダ領として、その領主に兄上に押しつけるんだ。そこそこ広さはあるから丁度良いだろう？」
　アジュライトは、羽交い締めにされていた手を乱暴に振り解き、リュミエールに親しげに手を伸ばしかけた。それを横にいたルヴァが思わず掴みねじり上げた。回りにいるいかにも労働者風の男たちとは違う、自分と同じほどの 体つきの彼には、アジュライトも恐怖心を感じないらしく、ルヴァを睨み付けると「汚い手を放せ！」と罵った。
「汚れているのはあなたの手の方でしょう」
　ルヴァは、怒りの籠もった声でそう言い睨み返した。とその時、「こいつだな！　ダダスとの戦いをおっ始めやがった、馬鹿王子は！」
　と、後方から来た北部の男たちが、サルファーやリュミエールと対峙しているアジュライトを見つけて一群となってやって来た。
「やってしまえ！」
「お前のせいで息子も長老も死んだ！」
　男たちは一気にアジュライトを取り囲む。
「リュミエール、こいつに構っている間はない。ここは彼らにまかせて、王の間に急ごう」
　スモーキーは、リュミエールの背中に手を添えた。
「リュミエール！　おい、私も連れていくようにこいつらに言ってくれ」
　アジュライトは、初めて焦った声を出した。内務大臣の方は恐怖で声も出せず、ただひたすら震えている。
「リュミエール様、城内へ！」
　サルファーもジンカイトもリュミエールを促す。
「はい……」
　リュミエールは、一旦、目を辛そうに伏せた後、前を向いた。そして一歩を踏み出す。
「やめろ、髪を引っ張るな、放せ、無礼者！　リュミエール、リュミエール！　おいっ、兄を見捨てるのか？　待てよ、おい、待ってくれ、悪かったよ、リュミエール」
　アジュライトの懇願する声を背中で聞きながら、リュミエールは城内へと向かう。
　あんな者でも兄は兄であり、ずっと幼い頃は、たとえ見せ掛けだけのことであったかも知れないが一緒に微笑みあったこともあったのだと思うと、振り向き、彼に手を差し伸べて、どうかその命だけは助けてやって欲しいと叫びたいのを堪えて、リュミエールは走る。
　天が欲するならば、兄もこのような状況にあっても、まだその命を長らえるであろうし、そうでなければ……、と。

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