第七章 光の道、遙かなる処

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 日が沈みきった頃、一行は、山へと続く林の付近に着いた。疲れきっていた皆は、獣避けのための小さな火を焚くことがやっとで、各々、水と乾物を少し口にした後、木の根を枕にして横たわり始めた。
 頃合いの木の下で、休もうとしていたリュミエールは、クラヴィスの姿が近くに見えないことに気づいた。辺りを見回すと、随分離れた場所に膝を抱えてうずくまっているクラヴィスらしい人影が見つけた。
「クラヴィス様、どうされたのでしょう?」
「そういえば、さっき彼が担いでくれていた革袋から水を分けて貰った時、具合が悪そうでしたが……」
 ルヴァとリュミエールは起きあがり、クラヴィスの元へと移動した。
「ご気分でもお悪いのですか?」
 リュミエールの問いかけに、朽ち果てて倒れた木に体を任せたまま俯いていたクラヴィスが、顔を上げた。
「あ……いや、何でもない。少し疲れただけだ」
「そうですか……。お休みになるんでしたら、こちらに来ませんか? あの大きな木の根元、なかなか傾斜も緩やかでいい具合でしたよ」
 ルヴァはゴツゴツとした木の根の張っているここよりはましだと思いそう声をかけた。
「いや……ここ……で」
 クラヴィスが小さな声で断ろうとした時、スモーキーがやって来た。
「山が近いから獣がいるかも知れない。一塊になって休んだほうがいいだろ。来いよ、クラヴィス。具合が悪いんなら尚更、誰かの側にいた方が……」
 穏やかに声をかけるスモーキーを遮るように、「一人にしておいてくれ!」とクラヴィスは苛ついたように叫んだ。たちまちのうちに気まずい雰囲気が彼らを包む。
「すまない……。本当に一人にして欲しいんだ……」
 クラヴィスが、眉間に皺を寄せ、目を伏せたままそう言うと、スモーキーたちは、「わかったよ」と言い残してそこから離れ、元の木の辺りまで戻った。クラヴィスの体には、悪寒が走っていた。深い悲しみと憎しみが押し寄せてくるのだ、今夜。いつもならガネットの部屋に駆け込むところだが、草原のただ中にあってはどうしようもない。せめて皆から離れて、この夜をやり過ごすしかない……と、クラヴィスは、また膝を抱えた。
 やがて夜が深まり、リュミエールは、クラヴィスの唸り声で目を覚ました。起きあがった彼の気配で、ルヴァもまた目を覚ます。
「リュミエール……? どうし……、あ、クラヴィスが魘されているみたいですね」
「ええ……。随分、お苦しそうなんです、起こして差し上げた方がいいのではと思って」
 二人は小声でそう言い合うと、そっと立ち上がった。すぐ横で寝ていたスモーキーにそれに気づく。
「ん? あの唸り声、クラヴィスかぁ?」
「起こしてしまって申し訳ありませんねえ。お加減も悪そうでしたし、ちょっと様子を見てきます」
 ルヴァは、再びしゃがみ込んで、ぼうっとした様子のスモーキーにそう言った。その彼の横で寝ていた別の鉱夫が、目を覚ました。
「クラヴィスがまた魘されてんのかぁ? 放っておいたらいいぜぇ。どんなに揺すっても起きないんだから。そのうち、治まる」
 寝ぼけてまだ呂律の回らぬ口調で男はそう言った。
「どういうこった?」
 スモーキーは、再び目を閉じようとする男に言った。
「前から、時々、酷く魘されるんだ。アイツが新入りの時、来た早々、あんましやかましいんで、小屋の皆で、痛い目に遭わせてやったことがあったなあ。あん時ゃ、悪かったけどよぉ。ガネットんとこに行くようになってから静かになったけど……もう寝かせてくれよ……」
 男は言うだけ言うと、スモーキーに背を向けた。スモーキーは、自分の顔を数度、パンパンと軽く叩いて頭をはっきりさせると、立ち上がった。
「あんなに魘されてんだ、やっぱり起こしてやったほうがいいだろ。ケツでも蹴飛ばせば起きるって」
 彼らが、クラヴィスの側に行くと、彼は、背を丸めた赤ん坊のような姿勢で眠っていた。寝眠る……というよりは、何かに耐え苦しんでいるような感じである。
「クラヴィス、おいっ、クラヴィス」
 スモーキーは、クラヴィスの肩を揺するが、反応はない。ルヴァも同じように声を掛けるが、クラヴィスは、ただ呻き声をあげ、時折、「うわあぁぁっ」と声を張り上げるだけだった。
「どんな夢を見ているんでしょうか? こんな魘されるほどに……。私だって、故郷があんなことになってから、時折、辛い夢を見ます。瓦礫の下に埋もれていく両親の夢を見て……けれど、リュミエールが声を掛けてくれればすぐに目覚めますし、大抵は、自分で目が覚めるんですけれども……」
 ルヴァは、クラヴィスの背中に手を掛けたまま言った。
「そうだな。普通、そういうもんだ」
 スモーキーは、クラヴィスを揺さぶる手を止めた。
 クラヴィスは誰の声も届かぬ深い意識の中で、戦っていた。憎悪と恐怖で出来た波が、何度も押し寄せてくる。クラヴィスの心の中には、血と炎の中で消えていく幾つもの命が、映し出されている。ダダスとスイズの戦いが今日もまたどこかであったのだ……と微かに残る自分の意識の中で、クラヴィスは思う。戦いでの死だけではなく、病床で、あるいは、どこかの処刑所で、今まさに露と消えようとしている命の数々が、無意識のうちに、クラヴィスの聖地からの力の持つて安らぎを求めて集まってくる。それらのモノに全身を食い尽くされそうな感覚に耐えながら、彼らと悲しみを共有し、それを浄化してやることによってしか、その苦しみから自らが逃れる術が無い。やがてそんな感覚がようやく治まると、クラヴィスの回りには、突如として静けさが蘇る。何も無い空間の中に放り出されたような。無が絵に描けるならば、こんな場所だろう……とクラヴィスはいつも思う。草も木も音も光も何も無いのだ。自分の体さえ感じられないような闇の中、あるのは漂う意識だけ。まださっきまでの自分に救いを求める悪夢のひとときの方がましかも知れないと思えるほどの絶望に満ちた孤独。クラヴィスはいつもそこで、総てを諦めそうになる。このままこの中で眠り続けてしまえばいっそ楽になれるのだという気持ちと葛藤する。それを食い止めるのが、この闇のどこかに、ただ一点だけ存在する『暖かさ』だった。
“それはどこだ? どこにある?”
 クラヴィスの意識は、地を這いずるようにそれを探す。それは、例えば、いつか見た青空の記憶だったり、誰かの何気ない言葉であったり、自分の側で眠っているガネットの気配だったりした。クラヴィスの心の片隅にある暖かな思いが、凝縮されて彼を、この深淵から救う鍵となってくれるのだった。悪夢の部分が長ければ長いほど、それはなかなか見つからず、クラヴィスをまた苦しめることになった。
「クラヴィス様!」
 先ほどのような大きな声の呻きではないが、苦しそうな呼吸をし続けるクラヴィスの姿に、リュミエールは思わず彼の手を握りしめた。尊い教皇の皇子である彼が、何故にこんな荒野の中で、鉱夫として存在し、こんな風に苦しんでいるのか本当の所は判らないが、リュミエールには、総ての事象がスイズ王家の政策によって引き起こされたものであるかのように思えて、深い悲しみ、そして父王や兄、無力な自分に対する怒りが込み上げてくるのだった。
「クラヴィス様……どうか目を覚まして下さい」
 リュミエールは、そう言うと握りしめたクラヴィスの手を揺すった。その暖かさ−−−−−。
“ああ、あった……”
 闇の中で、クラヴィスは今日もなんとか“鍵”を見つけることが出来た、と思う。その安堵感が、それまでの闇の中に一条の光をもたらす。
“終わった……今日はとりあえず終わったのだ。朝が来るまで普通に眠れる……”
 これから本当の睡眠が得られると思った矢先、自分を呼ぶ声がして、クラヴィスは目を開けた。
「あ……」
 すぐ目の前にあったリュミエールの顔に、クラヴィスは些か間の抜けたような声を上げた。
「良かった……。お目覚めになられたのですね?」
「私を呼んでいたのは? リュミエール、それに……」
 クラヴィスは、リュミエールの背後で心配そうにしているルヴァとスモーキーを見た。
「酷い魘されようでしたよ。どんなに揺すってもぜんぜん起きないんですからねぇ、心配しました」
「すまない、世話をかけた」
 クラヴィスは、彼らに改めて頭を小さく下げた。
「気分はどうだ?」
 スモーキーは、クラヴィスの前にどっかりと座り込み尋ねた。
「もう大丈夫だ。時々、ああなる。終わった後は、すっきりしている」
「終わったあと? 一仕事終えたような言い方をするじゃないか? 定期的にそんなになるなら、ただの悪夢とも思えないな」
 スモーキーの問いかけにクラヴィスは答えることが出来ずにいた。
「夜明けまでまだ随分あるが、お陰で目が冴えちまって寝られない。この際だから、お前に聞きたいことがある。なあ、クラヴィス。お前、一体、何を抱え込んでるんだ? 東の辺境からやって来て、仕送りもしている。けれど、名前の後ろに、ヴィスってつく名は、ヘイヤ人によくあるものだ。食べ物の好みや、学識は、スイズ人の貴族階級のそれっぽい。お前の事は全部が全部、どうも辻褄が合ってない感じだ。知られたくない過去があって、適当に誤魔化してるヤツは、俺も含めて大勢いるがな、お前みたいに、若くて前科もないのに、素性の知れないヤツはあまりいない。ヘラヘラしてるんならともかく、どうにも、いつも何か辛そうな顔してるしな。いっそ……吐き出してしまうわけにはいかないのか?」
 しんみりと包み込むような言い方で、スモーキーはそう言った。クラヴィスは、彼の目を見たまま、何も答えられないでいた。スモーキーは、チラリとリュミエールの方を見た。そして、「お前もだぞ、リュミエール」と低い声で言った。

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