第七章 光の道、遙かなる処

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 先ほど、スモーキーと共に食堂に入ってきたクラヴィスの顔に、リュミエールは息を飲んだ。彼の記憶に残るその人と、名さえ一緒であるとは、とても他人の空似では済ませられなかった。
 クラヴィスが、サクルたちのテーブルについたから、ずっとリュミエールは、そこから目が離せずにいた。
 四年近く前に、たった一度、束の間言葉を掛け合っただけの教皇の第二皇子の顔だったが、クラヴィスの事を含め、あの日の事は、リュミエールにとっては、全て忘れられない日だったのだ。
 初めて教皇の御前に上がって竪琴を演奏することになり、その後、尊敬するセレスタイトとの縁に続いた大切な日であった。祝宴での演奏の終わった後、一気に緊張が解け一人、客室に下がった後、その中庭で クラヴィスに出逢った時、彼は教皇の皇子であるにも係わらず、寂しげで、所在無さげに見えたのだった。皇妃の実子ではないという彼の生い立ちに、自分のそれを重ね合わせたリュミエールだった。そのクラヴィスが大病を煩い、ジェイド公の館で療養生活を送っていると聞かされ、少なからず心を痛めもした。
 今、自分の前にいる第二皇子様とよく似た男は、すらりとした長身はそのままだが、あの時の様子とは少し違っている……とリュミエールは思う。年齢差による身体的な変化だけではなく、あの時のような薄羽蜻蛉のような儚い風情はせず、薄い粗末なシャツに沿う骨格は、かっちりとした青年のそれであり、物静かな雰囲気ではあるが、決して何かに遠慮をしているようなものではない……。
“けれど……あまりにもよく似ている、お名前まで一緒とは……”
 こんな所で皇子である彼が鉱夫として存在するのは信じられないと否定しながらも、自分もスイズの王子でありながらここに居るのだから……と思うと、リュミエールは、ますますクラヴィスの姿に視線が釘付けになる。
「リュミエール、どうかしたのですか?」
 彼が、じっと横を向いたままなのに気づいたルヴァが声をかけた。
「あ、い、いえ。賑やかにお話しされているので、良かったなと思って……」
 リュミエールは、とっさにそう誤魔化した。その時、大男とスモーキーが、クラヴィスたちのテーブルから離れ、部屋の角にいる別の者たちの席へと移動した。 同行する者たちと何か打ち合わせをするようだった。
 「リュミエール、私もスモーキーさんたちに、これからの道中について少しお話を聞いてきます」
 ルヴァは、そう言うと立ち上がり、スモーキーを追うようにして部屋の角のテーブルへと向かった。先に食事を終えていたサクル親子も立ち上がり、食器を片づけ始めた。
「じゃあな、クラヴィス。夜明けの少し前に出発するらしいから、ちよっとサクルと仮眠してくる。お前も今日は疲れただろ、少し横になっておけよ」
 サクルの父親はクラヴィスにそういうと、息子を伴って食堂から出て行った。
 クラヴィスの回りには、一気に人が減り、二人ほどの者がたわいもない話しをしながら残された料理を突いているだけだった。声をかけるのには好都合だと思ったリュミエールは、思わず立ち上がった。“確かめなければ……”と。

「あの……」とクラヴィスの背中に声を掛ける。振り向いた彼を見て、リュミエールは、やはり彼は自分の知っているクラヴィスだと確信する。だが、どう切り出したものか言葉が出て来ない。何かの事情があっての事だろうというのは容易に察しがつく。いきなり「教皇の皇子様のクラヴィス様ですね?」と聞くのも、 多少なりとも回りに人がいる以上、躊躇われる。
「今回の事故、ご無事で何よりでございました」
 とリュミエールは、まず頭を下げた。
 鉱夫仲間の間では、絶対に聞くことの出来ない丁寧な物腰と言葉に、クラヴィスは、一瞬戸惑った。
「あ……ああ。スモーキーが言ってた……ルダの文官の……?」
「文官は、あちらのルヴァ様です。私は従者の……リュミエール、と申します」
 リュミエールは、名を名乗り、クラヴィスの反応を待った。もしや、彼が覚えていてはくれまいか? と。だが、クラヴィスは特に何の反応も見せなかった。あの時、自分は十一歳の子どもだったのだ。この四年近くの間の体の変化は著しい。背丈はもちろん、声さえも変わってしまっていたのだから……。
 リュミエールは、ふと良い問いかけを思いついた。遠回しではあるが、教皇という言葉を出さずにいても、確実な問いかけを。
「あの……もしや、貴方様のお兄様の名は、セレスタイト様と仰いませんか?」
 その場に傅くような控えめな物言いでリュミエールはそう尋ねた。  クラヴィスが、息を飲んだのが聞こえたようにリュミエールは思った。 返事のないクラヴィスに、リュミエールはさらに続けた。
「以前、一度だけお逢い致しました。お兄様の成人の儀の祝宴で。私も……以前、スイズ王都に住まっておりました」
 彼は、そう言うと、周りの視線を気にしながら再びクラヴィスに向かって小さく頭を下げた。
“何故、この者は私を知っている?”
 クラヴィスは、混乱する頭の中で、必死で彼が誰であるか模索していた。
 『スイズ王都に住まっていた、祝宴で逢った』、その言葉と、リュミエールの年齢と容姿から割り出される記憶が、クラヴィスの中で、輪郭を持ち始めた。 名前が思い出せない。スイズの末の王子……そう朧気な記憶が答えをだしてはいる。だが、その王子は、ダダスに拉致され、暗殺されたらしい……という酒場で聞いた噂が、 クラヴィスの頭を過ぎる。彼は、目の前にいる少年を見つめた。服装も質素で、顔も髪も汚れてはいる。だが、他の誰とも一線を引くたおやかなその雰囲気は、やはり……。
「まさか……あの、スイズの末の?」
 クラヴィスは、聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟いた。リュミエールはしっかりと頷いた。二人の間に沈黙が続いた。 
「とんでもない場所で再び逢ったものだな……」
 気が抜けたようにクラヴィスが呟いた。
「大病を患って、ずっと療養されていると伺っていましたが……」
 リュミエールは、細くはあるが筋肉のついたクラヴィスの腕を見ながら言った。
「ダダス軍に捕まって殺されたと噂を聞いたぞ」
 クラヴィスの方も、リュミエールの足元を見ながら言った。二人とも、お互いの事情は判らぬものの、意外な所で、再び出逢ってしまったことに、驚きを通り過ぎ、何かしら笑いが込み上げて来るのだった。 二人は俯いて、控えめに笑い合う。
 
「おや? リュミエール、一体どうしたのでしょう?」
 ルヴァは、クラヴィスと微笑み合っているリュミエールの様子を見て意外そうに呟いた。
「何だ? クラヴィスが、笑ってやがる。リュミエールって、そんなに気さくな性格だったのか?」
 スモーキーも、初対面であるはずの二人が笑っているのを見て不思議そうに言った。
「いいえ、どちらかというと彼は人見知りな性格ですよ。あのクラヴィスさんと言う方が、よっぽど陽気な方なのでしょうねえ」
 ルヴァがそう言うと、スモーキーをはじめ、クラヴィスを知る鉱夫たちが、一斉に首を横に振った。
「はあ? そうなんですか?」
 ルヴァとスモーキーたちの腑に落ちない様子に気づかず、クラヴィスとリュミエールは話している。
「先ほどのお話しが、聞こえましたけれど、教皇庁に行かれ……戻られるのですか?」
 リュミエールは、周囲を気にしながら言った。
「ああ。まだ心を決めかねている所はある……けれど」
「何か大変なご事情がおありなのですね……」
「お互いに、そのようだな。事情を聞きたい所だが、ルダの文官とスモーキーたちが、こちらを訝しんで見ているようだ」
 スモーキーたちの視線に気づいたクラヴィスに、彼らは、こっちへ来いと手招きを繰り返す。
「よう、クラヴィス。リュミエールともう仲良くなったのか? お前、坑道ン中で死にかけて人が変わっちまったか?」
 クラヴィスと同室だった鉱夫が囃し立てた。クラヴィスはそれを無視して、スモーキーの側に行くと、いつもの無愛想な口調で「なんだ?」と言った。
「彼がさっき言ってたルダの文官のルヴァ。紹介しようと思ってな。従者のリュミエールは……、もう紹介するまでもないか」
「ああ」
「クラヴィスさん。ルヴァと申します。リュミエールともども、どうぞよろしくお願いします」
 ルヴァがそう言って頭を下げると、クラヴィスは「こちらこそ……」と言った。
“この男は、リュミエール王子とどういう関係なのだろう? 彼の従者だと言っていたが……”
 クラヴィスはそう思い、ちらりとリュミエールを見た。
「あの……クラヴィス様、ルヴァ様の事は後ほど……」
 と小声で言いかけたリュミエールは、ハッとして口を噤んだ。
「鉱夫に、様付けたぁ、こりゃまたご丁寧な兄ちゃんだぜ」
 笑い声と共に誰かが言った。
「俺の事は、スモーキーさんと呼ぶのに、なんでコイツがクラヴィス様なんだよ?」
 スモーキーはふざけたような声でそう言った。だが、その表情は、リュミエールがなんと返事するのかを、しっかりと待っている。
「あんな事故から生還なさったんですから、私たちのような非力な文官にとっては、敬意に称しますからねえ。リュミエール、そうでしょう?」
 リュミエールの様子から、何かある……と察したルヴァがそう言った。リュミエールは頷いた。
「おいおい、それを言うなら俺たちだって、ルダから生還したんだぜえ、俺も、様付けで呼んで貰いてえ。なあ、スモーキー」
 大男が笑いながら言う。
「目の当たりに見たわけではなかったものですから、申し訳ありません。では、今からでも、スモーキー様と……」
 リュミエールは、ルヴァの助け船に気持ちの動揺を隠して、そう言った。
「やっぱりやめてくれ……ケツの辺りがこそばゆくなってくる……。いっそ“さん”付けもやめてくれ。スモーキーでいい」
 彼が、大袈裟にもぞもぞと動きながらそう言うと皆の間に笑いが起こった。それに乗じて、それ以上の話を断ち切るように、クラヴィスは、「ここを発つのは夜明けの少し前 と聞いたが、まだ時間はあるな。疲れた……私も少し眠ってくる」と言った。
「そうですね。あんなことがおありになったのですから……」
 ルヴァの言葉に、クラヴィスは頷くと、彼らのいるテーブルを離れた。

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