第七章 光の道、遙かなる処

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「聖地よりの力は、ここ一、二年ほどの間に、総て私の元へ来てしまったのだ。父の教皇としての気力が消えかけている……その気配は常に感じていた。だが、旧坑道の中で、体の具合までもが悪く、兄が代行して民の前に出ていることを聞いて驚いた……」
 クラヴィスは、自分の手を見つめた。
「そんな状態であるなら、貴方が見切られたのなら、教皇の交代がされるはずでしょう? 貴方のお兄様が新教皇になると。でもその気配はありませんね。教皇が代わる時は、盛大に、総ての民にまで公布されるのだと聞いたことがありますよ」
 ルヴァは、穏やかな口調で言った。目を伏せたクラヴィスに、さらにスモーキーが言葉を続ける。
「お待ちになっているんだな。お前が戻ってくるのを。けれど教皇様のお加減が良くないのなら、いつまでも待っているわけにはいかない。きっと辛い決断を強いられて、どんなにか心を痛めてらっしゃることだろう」
 スモーキーの言葉が、クラヴィスの心を締め付ける。
「酷な言い方だが、もうお前だって気づいているはずだ。自分はどうすべきか。だからこそ、俺と一緒に教皇庁に行くと決めたのだろう?」
 クラヴィスは目を伏せ、そして頷いた。
「クラヴィス様は、どうしてもセレスタイト様を次代の教皇様に?」
 リュミエールの問いかけにクラヴィスは、三人の顔をそれぞれに見つめてから深く頷いた。
「言いたい事はハッキリ言う。どうしても譲れない、通したい事があるなら、逃げずに、相手を説得しないとな。今のお前なら出来るだろう」
 スモーキーは、わざと“何でもない、簡単なことさ”とでもいうようにそう言うと、クラヴィスの肩を軽く叩いた。そして、そのにこやかな表情から一転して、低く大きな溜息をわざとらしくついた。
「ああーー、なんてこった。俺は、鉱山での事を教皇庁に暴露する事で、いっぱいいっぱいだったんたぞ。ちょっとでも身軽になりたい一心で、お前たちの事を聞いたんだ。これ以上、よけいなことに気を使いたく無かったからな。それなのに……お前たち……」
 スモーキーは、リュミエールとクラヴィスを睨み付けた。リュミエールもクラヴィスも申し訳なさそうな表情のまま、小さく頭を下げた。
「それで、結局、どうするんだよ? 俺たち鉱夫とこのまま教皇庁へ行くつもりか? それとも別行動を取るか? 何も野宿しなくてもお前たちなら、宿を取る路銀くらいあるんだろう」
「私は一緒に行く。一文無しだからな。鉱山での賃金は、半分はラーバに仕送りしていたし、残りは酒場への支払いに使い果たした」
 クラヴィスがそう言うと、スモーキーはルヴァとリュミエールを見た。
「実は私もそんなにお金を持っていないんです。こんな事になるとは思っても見なかったので、ルダ王都と故郷の村との往復一人分の路銀だけで……」
 ルヴァがそう言うと、リュミエールは腰に付けていた袋を取り出した。
「私もお金は持っていません。ただ路銀の代わりになるかと思って、身の回りの宝石類を差し当たり持って飛び出したのですけれど」
 スモーキーは、その袋の中を覗き込み、ヒューと口笛を吹いた後、溜息をついた。
「大層な代物だな。換金するには、それなりの大きな町に行かなきゃならない。こんなもの、そこいらの宿屋の支払いで使ってみろ? どこかで盗んできたものかと疑われて厄介なことになるぜ」
「そうなんですよ。一番安そうな銀細工のものを馬車代に支払ったのがせいぜいでした」
 ルヴァは、笑いながらリュミエールを見た。
「申し訳ありません……。何も知らなくて……」
 俯いたリュミエールに、スモーキーが、穏やかに話しかける。
「今まで、金銭とは無関係なとこにいたんだ。仕方ない。でも民の暮らしがどんな水準か判っただろ? だからもう良いんだよ。ふう……結局、皆、今まで通り、一緒に行くしかないか……」
 スモーキーは、同意を確かめるために皆を見回して言った。
「路銀だけのことではない。やはり、私は、スモーキーたちと同行したい。まずは鉱山での実態をはっきりさせたい気持ちがある」
「私もです。私も、スイズとダダスの戦いは、スイズが先に仕掛けたものであることを教皇様にまず話したいのです。私の警護と称し、スイズがルダに……侵略して行った経緯もお話ししなくては。この事は、鉱山でのスイズ役人の搾取とは、決して無関係ではありません」
 リュミエールは、小声ではあるが、自分自身の決意を固めるようにそう言った。
「リュミエール……。そうすることによって不利益になるのは、お前の……家族なんだぜ?」
 スモーキーの言葉に、リュミエールは、ふっと気が抜けたように微笑んだ。
「いいのです。スイズの腐敗した政治は、咎めを受けるべきことです。スイズのせいで、故郷まで失ったルヴァ様にお詫び出来ることがあるとしたら、一刻も早く、スイズとタダスの戦いを止め、ルダからスイズ軍を撤退させることしかありません」
 スモーキーはそれを聞いて、しばらく俯いて考え込んだ後、顔を上げた。
「リュミエールの話と、鉱山でのダークス搾取、規約違反の数々、これだけ訴えが揃えば、前例がなくとも、すぐに教皇庁が動いてくれるだろう。鉱夫だったクラヴィスは、証拠そのものになるしな。教皇庁が、もっと睨みを効かせてくれれば、スイズ全土の暮らしもよくなるかも知れない……」
「大国スイズの影響は、他国に対しても計り知れないほどのものがあります。時代が、この大陸全土が良い方向へ動くかも知れないと期待するのは、あまりにも楽観的でしょうか?」
 ルヴァがポツリと呟く。
「いいや。この大陸の頂点にある身分のリュミエールとクラヴィスが、揃って豪奢な館や城ではなく、この原野に存在していることを俺は運命と呼びたい。俺という些細な人間の些細な行動を助けてやろうと、聖地が思われたに違いないと。教皇庁に一石でも投じられればと思っていたが、一石どころじゃないだろう。それに、ルヴァ、お前も。貧しい平民の出でありながら文官にまでなったお前のような役人の存在が、民の生活を良くするんだと信じたい。お前たちのような若者の力で、変わっていくんだ、いろんなことが。なんか希望が湧いてきたよなぁ、なんかこう忘れかけてた夢と希望がよぉ」
 そう言った後、スモーキーは、照れて、頭を掻きむしった。その姿に、クラヴィスたちも笑い合う。

「あ〜あ。結局、夜が明けてしまいましたねぇ」
 ルヴァが空を見上げて言った。
「近くに小川でもないか一回りして探して来ましょうか?」
 ルヴァは、辺りを見回して言った。
「そうだな。頼むよ。昨夜は、皆、何も食べる気にもならず寝ちまったからな。残り少ない乾物で、スモーキー様特製のスープでも作ってやろう。クラヴィス、火を起こすから、枯れ枝を集めてくれ」
 クラヴィスの身分を知った後でも、スモーキーは変わらずにそう命令すると、ニカッと歯を見せて笑った。
「では、私も、ルヴァ様と一緒に行って、何か食べられそうな野草でもないか探してきます」
 リュミエールは、ルヴァの後を追った。
「あー、野兎でもいませんかねぇ」
「念の為、麻袋でも持っていきましょう、ルヴァ様」
 足取り軽く二人が歩いていく姿を、スモーキーは見て笑いを噛み締めていた。その後で、「あの二人に捕まる野兎がいるとは思えない」とクラヴィスが真顔で呟いた。それを聞いたスモーキーは、腹を抱えて笑い出す。
「お、お前に言われたかないだろうよ、あの二人もよー」
「ふん、ほら、枯れ枝だ、早く火をおこせ」
 クラヴィスは、手にしていた枯れ枝の束を、地面に置いた。
「もっと拾ってこい。ぜんぜん足りない。なにしろ野兎を焼くんだからな」
 スモーキーは、まだ笑いながら、ヒィヒィと息を継ぎそう言った。クラヴィスは、中腰になり、頃合いの枝を拾い続けた。一抱えほど集まったところで立ち上がる。夜が完全に明けきり、地平線から青さが迫り上がってくる。美しい水色だった。その日の晴天を予測させるような澄み切った空の色である。教皇庁の館では、女官たちがそれを、セレスタイトブルーと呼んでいたことを、クラヴィスは思い出す。セレスタイトの身に付けるものに、その印として使われている色だからだ。
 新たな決意を持ってクラヴィスはその空を見上げ、その色を感じていた。
 そして、その頃、教皇庁では、セレスタイトが、心の中にあるもやもやとした思いを、どうすれば良いものか、自身に冷静に問いかける為に、重い足取りで大聖堂に向かっていた。

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