第七章 光の道、遙かなる処

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“父や祖先に成り代わり……”
 その言葉が、スモーキーの中で、カチッと音をたてた。
「リュミエール、どういうことだ?」
「私は、スイズの……第三王子です」
 リュミエールは、顔を下げたままである。
「第三王子って……、末の王子は、確か……」
 スモーキーは、歯切れ悪く言った。
「ダダス軍に拉致され、行方不明で、その生死すら判らないという噂は、嘘です」
 リュミエールの声が微かに震えている。ルヴァはついに言ってしまったのか、というように小さな溜息をついた。リュミエールは、ようやくゆっくりと顔をあげたが、スモーキーと視線を合わせることが出来ずに話し出した。
「私のルダ音楽院へ留学は、その背後にダダスとの戦いを踏まえてのことでした。私をルダに送り込むことによって、スイズはルダとの関係を保持し、私の警護と称して武官を送り込み、駐屯地を作りました。戦いが始まると、私はスイズに呼び戻されるどころか、半ば人質としてルダに留まることになったのです」
「そこらあたりの事情は、おおよその察しがつく……」
 スモーキーは頷いた。
「スイズとタダス、両国間の関係が本格的に悪化すると、音楽院は休校となり、私はルダ城内に軟禁状態となりました。身の回りの者たちは、アジュライトお兄様……第二王子の手の内の者たちで、私の事よりも、お国と兄の命令が絶対で、私は孤立しておりました。唯一の心の拠り所であったのは、教育係りのルヴァ様だけでした」
 リュミエールがそう言うと、スモーキーは、ルヴァに視線を移した。
「じゃあ、ルヴァもスイズの文官なのか? あの故郷のことまで嘘か?」
「いいえ。私がルダの文官というのは嘘じゃありません。当時、私はダダス大学を出たばかりの文官見習いで、王子の教育係りにちょうど良いからと使わされたのです。南部で大きな戦いがあったと聞き、視察を兼ねて故郷に戻ってきたのも本当です」
 ルヴァは、慌ててそう説明した。
「ルヴァ様が、しばらくの間、留守をされると聞き、軟禁状態に耐えられなくなっていた私は、ルヴァ様に同行すべく南部行きの駅馬車に乗ってしまったのです。いてもいなくても良い存在であるなら、少しの間、旅に出たところで、誰も困りはすまいと……」
「そんなことをして、追っ手はかからなかったのか?」
「すぐに追っ手の武官に見つかりましたが、身分を隠しての旅ならばということで了解してくれたのです。私の気持ちを察してくれての事だとその時は思いました……」
「なるほど……。それを利用され、ダダス軍に拉致されたと噂を……」
 考え込みながらスモーキーは呟いた。
「ゼンが聞きつけてきたその噂を聞いて、このままルダに戻っても、リュミエールは、軟禁されるだけではすまないかも知れないと思ったんです 。スイズから随行していた方たちの、リュミエールに対する態度は、本当にあまり良いものではありませんでしたからね」
 ルヴァの言葉にスモーキーは、ふう……と大きく息を吐いた。
「この噂が、第二王子であるアジュライトお兄様の仕立てたことなら、スイズ城に戻っても同じ事です」
「それで教皇庁に逃げ込むつもりだったのか……」
「ええ。自分の命の保障……それもありますが、スイズとダダスの戦いを止めさせたいという気持ちに嘘はありません。詳しく状況をお話しすることで、特例として教皇庁が動いて下されば……と」
「参ったな……。とんでもない身分じゃないか……」
 スモーキーは、額に手をやって呟いた。そして、まったく言葉を発しようとしないクラヴィスをチラリ……と見た。リュミエールがスイズ王子であったという事実を聞いても、驚きの声どころか、眉ひとつ動かさない。 あの日、食堂で、初対面のはずの二人が、何かを話しながら、ふと漏らした笑みにはやはり意味があったのではないか? スモーキーはそう思う。  
「クラヴィス、お前、リュミエールの事、前から知っていたのか?」
 スモーキーが問うと、クラヴィスは僅かに頷いた。スモーキーは、今度はリュミエールを見た。そして、同じようにクラヴィスを知っていたのかと聞いた。
「はい。ずっと前に一度だけ、お目に掛かったことがありました。ですから、現場で改めてお逢いした時、とても驚きました……」
 リュミエールが、慎重にそう答えると、スモーキーと、そしてルヴァは、クラヴィスの言葉を待った。二人に見つめられてクラヴィスは、
「私も……まず、あんたに謝っておこうか……」と、言った。
 それを聞くとスモーキーは、鼻先で嗤った。
「お前も俺に謝るって言うのか? おう。悪いのは誰だ? お前の親か兄か? もう何を聞いても驚きはしないぜ」
 スモーキーは、リュミエールを見て、肩を竦め、小さく笑いしながら言った。
「ジェイド公は、一応、私の伯父……だからな」
 クラヴィスがそう言うと、スモーキーの眉が少し上がった。だが、普段と変わらぬような声で彼は「ふうん」と言った。
「大貴族ジェイドの親戚筋か。リュミエールの事を知る前なら、それでも充分驚いただろうが。でも、お前が、ジェイドの繋がりのある家柄の出とはな。本家筋ではないにせよ、そこそこの名門か……家名はなんと言う?」
 スモーキーの質問にクラヴィスは答えることが出来なかった。家名などないのだから。教皇とその皇子は、個人名しか持っていない。
 答えようとしないクラヴィスに、スモーキーは痺れを切らした。
「言うのに差し支えがあるような名家なのか? ジェイドが、おじだと言ったな? 父方か、母方か……ジェイドの親戚と言えば……」
 そこまで言いかけてスモーキーは、口を噤んだ。世間に知られている限り、ジェイド公には、教皇に嫁いだ妹が一人いるだけだった。
 彼の額に冷や汗が滲んでくる。しかし世間的に認知されていない兄弟姉妹がいたのかも知れない、きっとそうに違いないと、スモーキーは、自分に言い聞かせた。
「家名はない。強いて言えば、正式に署名をする場合などは、名前の後に神鳥の紋の印を入れる……」
 クラヴィスがそう言うと、スモーキーは聞きたくない事を聞いてしまった子どものように耳を押さえて、溜息をついた。 そして、冗談だと、クラヴィスが言いはしないかと期待し、顔を上げた瞬間、ルヴァが、「ええっ!」と、あまりにも分かり易い叫び声を上げた。
「す、すみません、あんまり驚いたもので……」
 ルヴァは、小さな声で決まり悪そうにそう言った。
「なんでだ……なんで、教皇の皇子が鉱夫なんだよ。お前、東の辺境にある家族へ仕送りしてるじゃないかよ? おいっ、リュミエール……って、身分が判ったからって、今更、俺は様付けになんかしないぞ。お前、 クラヴィスの事情、知ってるのか?」
 スモーキーは、口数の少ないクラヴィスより、リュミエールのほうがまだしも話が早いと思ったのか、そう言った。
「いいえ。私もそれが不思議でなりません。クラヴィス様は、大病を患われて、ジェイド公の館で何年も療養してらっしゃると聞いておりました」
 リュミエール自身も、その事がずっと聞きたかったのだった。皆の視線が、再びクラヴィスに集まった。自分の事を語るのは、クラヴィスにとっては苦手なことだった。たわいもない話ならばともかくも。
 クラヴィスは、重い気分を引きずりながら、やっとの事で口を開いた。まずは自分が、ヘイヤの平民の母親から生まれ、教皇の元に引き取られた経緯と、東の辺境地 にある伯父の墓参に行くことになったことまでを手短に話した。
「旅に出たのが、かれこれ……三年半ほど前。旅のお膳立ては、ジェイド公がしてくれた。従者もジェイドの武官が二人。その墓参の帰り、私は、この武官たちに命を狙われ 、崖から突き落とされたのだ……」
「何故、命を狙われるなんてことに?」
 皆の疑問を代表するようにルヴァが言った。クラヴィスは、軽く頭を左右に振った。 自分が次代の教皇になることを、血の繋がりのないジェイド公が疎んだことまでは、まだ口に出したくはなかった。
「ある事情で……」と、クラヴィスは曖昧に答えた。
「まあ、いい。それから、崖から落とされて、どうしたんだ?」
 話の続きをスモーキーは、急かした。 
「大怪我をしたが、秋で枯れ落ち葉が溜まっていたことが幸いし、私は一命を取り留めた。たまたま、山菜を採りに山に入っていた者がいて発見されたのだ。私は、その者の家に運び込まれ、なんとか意識を取り戻した時は、それから 、一週間近く経っていた……」
 その時の記憶を確かめるように、右腕に付いた深い傷跡に触れながら、クラヴィスは、ゆっくりと話し出した。

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