第七章 光の道、遙かなる処

 11


 今、スモーキーの脳裏には、緩やかな丘の上に建つ館が思い浮かんでいる。さほど大きくはないが、よく手入れされた美しい館だった。丘から村に続く道の脇には、果物の木が植えられていて、狩の行き帰りには、頃合いに熟したものをもぎ取って食べたものだった。
「俺の実家は、スイズの貴族階級だったんだ」
 スモーキーは、まずそう言うと、頭髪をクシャクシャと掻きむしった。
“だった?”ルヴァとリュミエール、それにクラヴィスは同時にそう思ったが、何も言わず、スモーキーの話の続きを待った。

「スイズは、王族を頂点として、その下に大貴族の家柄が幾つかある。俺の家は、その他大勢の末席の貴族さ。それでも小さな領地を管理しながら何不自由のない暮らしをしていた。俺は、スイズ大学に入ったばかりでな、今から……二十五年ほど前のことだ……隣の領地のジェイド公の妹君が教皇様へ嫁ぐことになってな」
 ジェイド……その名が、スモーキーの口から出て、クラヴィスは思わずハッとした。
「隣と言ってもジェイドは大貴族。領地もウチの数倍の広さ。何もかも格が違うが、隣は隣、そこから教皇様へ嫁ぐ姫君が出たんだ。領地内はお祭り騒ぎだったぜ。いや国中がそうだったな。ダダス王家の姫が皇妃として有力だって噂がずっとあったからな。スイズ王家も大層喜んで、数々の祝いの品をジェイドに贈ったんだ。そのひとつが、隣の俺たちの家の領地だったのさ」
「え? どういうことですか? 貴方の家の領地をどうして、王家が賜り物に?」
 ルダ出身のルヴァは、訳がわからずに尋ねた。
「ジェイドのような大貴族は別として、スイズでは領地は全部、王家のものなんだ。それを各貴族が賜って管理している。賜ったと言っても自分のものになったわけじゃないのさ。借りている、と言ったほうが分かり易いな。家名を汚すようなことがあれば、すぐに召し上げられるし、王家の事情でも取り上げられることもある。そんなに珍しいことじゃないんだ」
 国政に携わっていないとはいえ、リュミエールにもその辺りの事情は知るところであった。
「あの……でも召し上げられたほうはどうなるのですか?」
 ルヴァは、リュミエールを気にしながら尋ねた。
「違う領地を割り当てられる時もあるらしいが、ジェイド公のような大きい領地の一部になった時は、そのまま変わりなくそこに住まうのが通例だ。だが、領主ではなくなり、ジェイドの配下に入る……という形になるんだが」
「それでは何か不満の声があがりそうなものですけれど……?」
「心の中ではな。だが、どうして王に逆らえる? 下手に異議申し立てをして、そこに住まうことも許されなくなったら?」
 スモーキーは、そう言うと力なく笑った。
「末端の貴族は、領地を奪われるのが辛い。だから誰も王家には逆らおうとしない。領地を拡げたい者は、何かと王家に取り入ろうとする。すべての権力が王族に集まるような仕組みになっているんだ。それがスイズ王家が長く栄えてきた理由だな」
 リュミエールが、項垂れているのに気づかず、スモーキーは、吐き捨てるようにそう言った。
「ともかく、俺の家はジェイドの配下に入った。だがむしろそのことで、裕福なジェイド家との交流が盛んになり、小さな領地内は栄え始めた。そして花嫁の衣装作りの為、母は、他の貴族の奥方たちと一緒に、ジェイドの館に行き来する機会が増えたんだ。貴族層の女性にしか出来ない独特の刺繍があって、近隣の貴族の奥方と共に、母もそれに借り出されたというわけだ。なんたって教皇様に嫁ぐんだ。持参する衣装の数も質も並のものじゃなかったらしい。衣装作りのための作業場は、華やかなサロンになっていて母は、随分楽しげだったな。俺はその頃、大学寮にいたんだが、休暇で帰った時、母が垢抜けていて驚いたよ。そんな母と対照的に父は、日増しに無気力になって行った。領地の管理の仕事はそのままでも、もう誰 からも領主様とは呼んでは貰えない……、その事が父を引き籠もりがちにさせていたし、母もジェイドの館に行ったきり。次第に酒に溺れ、あっけなく死んでしまったんだ」
「お気の毒に……」
 ルヴァはそう呟いたが、スモーキーは首を左右に振った。
「領主という名前ばかりにこだわり、酒に逃げ、前向きになれなかったんだ。最後には、俺や母上、館の使用人にまで辛く当たることもあった。だから、父上のことは仕方ないと、俺は思う。……父の死後、俺はまたスイズ大学へと戻り、母はますます花嫁衣装作りに精を出した。少したって、俺は、乳母からの手紙で、母とジェイド公が良い関係になったことを知らされた。不思議なことにショックじゃなかったんだぜ。ジェイド公は立派な方だと思っていたし、母もまだ若く美しかったから、たとえ寵妃という形であっても、ジェイド家に入るのは喜ばしいことだと思ったんだ。すぐに母へは祝いの便りを書いた。そして、教皇様との婚礼も間近に迫ったある日……」
 スモーキーは、そこで一瞬、言い淀んだ。ルヴァは小首を傾げ、リュミエールは、項垂れていた頭を上げた。クラヴィスは、スモーキーの横顔から目を逸らさない。
「母の訃報が届いた……。事情の判らぬまま急いで俺は館に戻り、侍女から母が自害したのだと聞いた」
「一体、何故どうして……?」
「侍女の話では、ジェイド公は、母を寵妃として迎え入れる事は、出来ないと言ったそうだ。皇妃を輩出するのだから身辺は綺麗にしておかなくてはならないと。随分、冷たい言い様だったそうだ。母を取り巻いていたサロンの奥方たち にも、寵妃としてジェイド家に入られないのだと知ると、所詮、田舎者の格下の貴族の後家、ただ遊ばれただけ……と陰口をたたかれ、いたたまれなくなったのだと」
 スモーキーは、ふぅ……と大きく深呼吸をした後、言葉を続けた。
「母の弔いの準備が何も出来ていないのを執事に問いただすと、母の亡骸が無いと言うんだ。侍女の話では、母は、ジェイドの館の近くにある見張り塔から投身したと言う。引き渡せないほど酷い有様なのかも知れないと思ったが、それならば尚更、手厚く葬ってやりたかったし、一言、ジェイド公から弔いの言葉も聞きたかったので、俺は、ヤツの館へと出掛けたんだ」
 “ヤツの館……”という言い方に、リュミエールはこの話の先が見えた気がして、また俯いた。クラヴィスは無表情のままだ。
「母の骸は既に始末された後だった。弔いの言葉どころか、妹が婚礼の朝、通る道をよくも汚した、困ったことをしてくれたものだと言われたよ。さっさと片付け、清めなくてはならなかったんだとよ」
 スモーキーの手が、ギュッと握られた。
「それを聞いた瞬間に、俺は、ジェイド公に飛びかかっていたよ。一発殴りつけ、護身用の短剣を引き抜いてしまっていた。すぐに回りにいた者たちに押さえつけられて、政治犯用の牢獄行きさ。本当ならその場で手打ちにされても当然なのを、祝い事の前だからと、総ての財産の没収と向こう十年間の教皇庁管轄地での強制労働を言い渡され、俺は放免された。慈悲深いジェイド公の取り計らいによって、だとよ。我慢すれば良かったのかも知れない。そうすれば、少なくとも家名は残り、今まで通りに館には住めたし、使用人たちも一夜にして路頭に迷うこともなかっただろう……。だが、俺も若くて、後先を考えて行動できるような歳じゃなかった」
 スモーキーは、そう言うと、ふうっ……と息を吐いた。
「鉱山に送り込まれてからしばらくは、怒りの矛先をジェイドに向けることで生きていたなあ。何でこの俺が、字も読めないような連中と一緒にダークスにまみれてなきゃならないのか、腹が立って仕方なかった。怒っているうちは まだ良かったが、そのうち、だんだんと自分が価値のないどうしようもない人間に思えてきて荒れてくる。けれど何年か経った頃には、ようやく俺にも世間ってものが見えてきたんだ。スイズという国の成り立ち、仕組み、教皇庁との関係、ダダスを始めとする他国との関係、社会の底辺である鉱山の現場でのこと……。採掘現場では、事故や怪我、病気で簡単に仲間が死んでいく。弔いもなく、家族にすら知らされないままに骸は始末され、何事もなかったように日々が流れていく。ある時、大きな落盤事故が起こり、それがきっかけになって、俺は現場の改善に取り組みだした。教皇庁へ出した嘆願書によって、現場での事故死に見舞金が出される事を始めとして幾つかの案が通った時は嬉しかったなあ……」
 そこまで話した時、スモーキーは、リュミエールが異様なまでに項垂れているのに気づいた。自分の過去と、リュミエールの生い立ちに何かしら重なる部分でもあったのかも知れないと思い、スモーキーは、過去についての話しはそこで止めた。
「ま、隠すほどの話でもないけどな。もう大昔のことさ。今じゃ、ジェイド公のことも何とも思っていないよ。強いて言えば、スイズの中央集権に問題があるんだと思うくらいだな。王族とごく一部の貴族だけでこの国を好きにしている。教皇庁も、スイズ王都の中にあるというのに、もっとスイズに対して睨みを効かせてもいいじゃないかと思うんだ。俺たちが、スイズによるダークス搾取の暴露を呈することで、一石投じることになり、鉱山現場での改善は元より、スイズの国政に対し、教皇様がもっと不信感や危機感を持ってくれればと思うんだが……」
 スモーキーにすれば、話を自分の過去から、現実問題へとすり替えたつもりであった。だが、スイズの国政に触れたその内容に、リュミエールは、ますます悲壮とも思える面持ちで地面を見つめているし、ルヴァは、どうしたものかといった風に、肩を落としている。クラヴィスに至っては、口を閉じたまま息さえしていないように見える。
「スモーキーさん……」
 ふいに地面を見つめていたリュミエールが、小さな声で言った。ルヴァは、ハッとしてリュミエールを見つめた。
「いいんです、ルヴァ様。この方と私が出逢ったことは、私の大切なかけがえのないことのひとつになっていますから」
 リュミエールは、スモーキーの方へと向き直った。
「あなたのご家族の事……元はと言えば、総ての土地が王家のものであるという制度そのものに問題があると思います。土地はそこに住む者たちのものであるべきです。王家でも貴族のものでなく。農地は特にそうですけれど……」
 スモーキーは、リュミエールがそう言うところから話し出したので、おや?……と思いつつも黙って、彼の目を見つめていた。
「私がお詫びしても仕方のないことだと思いますが、父や……祖先になり代わり、まず、あなたとあなたのご家族にお詫びさせて下さい」
 リュミエールはそう言うと頭を深く下げた。スモーキーは、その姿を意味の判らぬままに見ていた。

■NEXT■

 

 聖地の森の11月 神鳥の瑕 ・第二部TOP