第六章 帰路、確かに在る印

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 平坦な道が続いた後、道が急激に細くなり上がり坂が続く。砂漠から吹き上げてくる風には細かい砂が混じっている。スモーキーたち一行は、西へと続く山道を黙々と歩き続けた。土地勘のまったくないリュミエールにとっては、どこか別世界に迷い込んだような気分で、ただ男たちの後から付いていくのが精一杯だった。
 日が沈み、岩場の影で僅かばかりの夕飯を取った後は、皆、無駄口を叩く余裕もなく眠りに就いていた。
 二日目、三日目も同じ様な道……とはいえないような山の中を一行は歩き続けた。最初に持参していた小動物も食べ尽くし、僅かに残っている乾物と水だけで、なんとか腹を膨らませて、剥きだしの土の上で眠った。
 四日目の昼過ぎ、休憩の為に留まった木陰で、スモーキーは、ゼンたち若い者を数名呼び寄せて、何か指示を告げていた。遠巻きにそれを見ていたルヴァとリュミエールは、何かあったのかと、スモーキーの側に行った。スモーキーは、心配そうにやって来た二人を見ると上機嫌で言った。
「もうさっきルダの国境を越えたんだぜ。ここは教皇庁管轄地さ。もう少し行けば、森は途絶える。そこからは、鬱蒼とした森はない。愛想のない鉱山と、貧祖な林だけが点在する原野が広がってたり、岩場ばっかりだったりするんだ。人が住むには適さぬ所さだけどな」
 それは知っている……とリュミエールは心の中で呟いた。大陸横断列車の窓から七ヶ月ほど前に見た。砂色の壁の民家、赤茶けた大地と呪われたような灰色の山々が延々と続く管轄地、ほとんど初めて見るスイズ王都の外の風景は、合間に見える木々だけが、かろうじて美しい色合いで、それ以外は、誰にも忘れ去られて色褪せた絵画のようだと思ったのだった。
「それで、ゼンたちに様子見に先行して貰おうと思ってな。コイツらなら顔も余り知られてないし、足も早いし強いからな」
「まかしとけって、バッチリ見て来てやるって。もうちょっと休憩したら行くよ」
 ゼンは、木陰に寝ころんだまま言った。
「スモーキー、竪琴を弾いてもいいですか? ゼンに聞かせて欲しいと言われてたんです。夜、食事の後で、といつも思ってたのですが、歩き疲れてしまってそんな気になれなかったので……」
 リュミエールは、気持ち良さそうに寝ているゼンを見て、スモーキーにそう頼んだ。
「へえ? 竪琴か……、もちろん、構わないぜ」
 スモーキーは、リュミエールが荷物の袋の中から小さな竪琴を出すと珍しそうに見て快諾した。
 弦を二度、三度と軽く鳴らし、楽器の具合を確かめた後、リュミエールは、静かに音を奏で始めた。
 休憩中のゼンや鉱夫たちが、その音に、“おっ?”という顔をし、鳴り始めた音楽に笑みを浮かべた。
 スイズ城やルダ音楽院で使っていた竪琴は、今、リュミエールが手にしている携帯用の小さなものとは比べようもないほどに、立派で深みのある美しい音が出せるものだった。
“せいぜいが初心者の練習としての音色しか出ないはずの携帯用の竪琴の、この澄んだ音はどうしたことでしょう……”
 リュミエールは、自分で弾きながら、かって味わったことのないほどの満足感を感じていた。枯れた原野でも、赤茶けた土の荒野でも、岩場ばかりの山道でも、壁の崩れた貧しい民家の側でも、どこにでも、明るい日差しは降り注ぎ、小さな草花が咲いている。粗野だけれども生きる力に満ちた世界も、また愛おしく美しいものだったのだと、リュミエールの心は感じていた。真新しい絵筆と絵の具で、本物以上に鮮やかに描かれた風景画のようなスイズ城の中にいては、決して見ることの出来なかった世界の中で。
 歩き疲れている鉱夫たちを労うように、先行して視察に走ろうとしているゼンを励ますように、そして、故郷を亡くしたルヴァを癒すように、リュミエールは竪琴を奏でる。この時、彼の裡にあるものの殻が外れた。それは、卵から雛鳥が孵化する様に似ている。まだ開けやらぬ目で、自身の嘴を使って、懸命に外に出ようと殻を打ち破る様に。
 スモーキーは、リュミエールに背を向けて岩に凭れて、一人、その演奏を聞いていた。何故か自然と涙がこぼれ落ちる。壮齢の逞しい男の顔に似つかわしくない涙が、頬を伝う。
 この前、泣いたのは、もう二十年以上も前だ……とスモーキーは、思い出す。全てを失った時に、悔しくて、腹が立って。あの時の涙に色が付いているとしたら、血の赤だったと、思う。
“だが、こんなに美しい透明の涙を俺は、今、流している……ああ……優しさが、波のように満ちてくるようだ”
 スモーキーは、流れ出る涙を拭うことなく空を仰いだ。

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