第六章 帰路、確かに在る印

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 男たちがいつもより陽気なのは、今日が賃金支払日だからだった。クラヴィスは、渡された金の中から、仕送りの金を封筒に戻し、残りを数えた。ガネットの所で、使うであろう金を除けば、ほとんど何も残らない。
「お前も親への仕送り、大変そうだなあ」
 クラヴィスの横で、出稼ぎに来ている家族持ちの男が、ボソッと呟いた。
「ああ……」
 クラヴィスは、愛想なく答えた。親への仕送り……。毎月きっちりと東の辺境にある実家に金を送り続けている無口な孝行息子……それが皆が持っているクラヴィスの印象だった。
「クラヴィス、すまねぇが、ちょっと見てくれないか?」
 一人の老人が、貰ったばかりの金を持って、クラヴィスに声を掛けてきた。
「何だい? じいさん」
 と返事したのは、クラヴィスではなくその隣にいた家族持ちの男だった。
「どうも賃金の支払い金額が違うんじゃねぇかと思うんだ。これ儂が働いた時間の事だろう?」
 老人は、封筒に記された賃金の明細をクラヴィスに見せた。
「そうだ。全部で二百五十時間働き、そのうち百時間ほどが夜勤だ」
 クラヴィスは、字の読めない彼の為にそれを読んでやった。
「いっぺん、これとつき合わせて計算してくれないか? 働いた時間を毎日つけてたんだ」
 老人は、クラヴィスを手招きし、自分の寝間の敷いてある頭上の柱の傷を見せた。
「あ、こんな所に釘でひっかいてやがる」
 家族持ちの男は、呆れた顔をした。
「こっちの傷は夜勤、こっちは通常時間に働いたものだ。ひとつの傷で五時間働いたことにした。短い傷は、二時間ってことだ」
「よし。クラヴィス、お前は、夜勤の方の目盛りを数えろ、俺はこっだ」
「わかった」
 二人は細かい釘の傷跡を数え、老人の賃金と照らし合わせた。
「合わないな……。夜勤の分に誤差がある。三日分ほど損をしているようだ」
 クラヴィスがそう言うと、老人は頷いた。
「やっぱりそうか。先月もおかしいと思って記録をつけといて良かったぜ。儂が字も計算もできねぇ年寄りと思ってだましやがったな」
「スモーキーがいなくなったとたん、これか……。俺の賃金はたぶん間違いないと思う、クラヴィスも大丈夫だろう。字や計算のできるヤツの分は、抜かれてねぇはずだ」
 家族持ちの男は、溜息をついた。
「一年ほど前から、こういうのが目立つようになってきて、スモーキーがよ、役人と話し合ってくれて、一旦は治まったんだがな……」
「賃金の事だけじゃねぇ、飯の事や、労働時間の事だって、ここんとこまた、悪くなってきたじゃねぇか。スモーキーのお陰で改善されることになってたのによ」
「ちくしょう。文句言って来る」
 老人は、鼻息荒く立ち上がった。
「じいさん、待ちな。俺もついてってやろう」
 人の良い家族持ちの男も同じように立ち上がる。そして二人は、役人たちの悪口を言い合いながら小屋を出て行った。

 やがて夕飯が済み、鉱夫たちの小屋に、半数ほどの男たちが戻って来た。残りの男は、貰ったばかりの賃金で、近くの町の酒場へと繰り出しているのだ。小屋にいる男たちは、カードゲームに興じている。誰かが、小屋の掃除当番を賭けて勝負しようと言い出し、部屋の隅で、古本を読んでいたクラヴィスも無理矢理、仲間に引っ張り込まれた。
「いいか、十回勝負だぜ。最後に負け数が一番多いヤツが当番だ」 
 勝敗が決まるたびに、笑い声と唸り声が交錯する。そんな中、小屋の扉が開いた。
「よう、じいさんたち、遅かっ……」
 扉に向かって振り向いた男は、顔を腫らした家族持ちの男と、彼に肩を貸して貰いながらヨロヨロと入ってきた老人を見て驚いた。
「どうしたんでえっ?!」
 彼らが殴られたことは見ればすぐに判る。血の気の多い鉱夫たちが直ぐさま、立ち上がって聞いた。
「証拠があるのかって……役人のヤツ……」
 悔しそうに男が俯く。
「こんな老いぼれが柱にひっかいた記録などあてになるか、とよ。小屋の柱に傷を付けたのは、きぶつ……なんとか……損だってよ、なんとか損でなんとか……するぞって。ちくしょう、小難しい言葉使いやがって」
 老人は、出てこない言葉の助けを求めるようにクラヴィスを見た。
「器物破損で弁償要求する……か?」
 クラヴィスが言うと、老人は大きく頷いた。
「待遇の悪化の事もあるし、俺がつっかかったら、いきなり殴りやがった」
「止めようとしたら、儂も一緒に蹴りを入れられて、転んでこの様だ」
「年寄りにまで、ひでぇことしやがる」
「なあ、皆、気になることがあるんだ……」
 家族持ちの男が、腫れた顔を手押さえながら小声で言った。
「何だ?」
「飯の事で文句言った時、役人が言いやがったんだ。待遇改善だと? スモーキーの真似事をするつもりなら、どうなっても知らないぞ、同じようになりたいのか? って。その後、別の役人が、そいつの事、よけいな事言うなって、睨み付けてよう。スモーキーは、戦に巻き込まれて死んだんじゃない、実は殺られたっていう噂……、本当じゃねぇか?」
「スモーキーだけじゃねえ、北の方の現場にいたリーダー格の男も同じようにルダの新採掘現場に呼ばれて死んだと聞くぜ」
「体のデカイ男だろ? 俺は助っ人でちょっと前に北の現場に行ったことがある。あそこは特に人使いが荒かったからな。スモーキーとその大男が、改善要求を出して、飯だけは食いっぱぐれることはなくなったんだがよう」
「そういえば……」
 とボソッと言ったクラヴィスに皆の視線が集まった。
「西の方にある現場で、何かあったらしい……。酒場で聞いた……」
 西の現場で、鉱夫と役人の間で衝突があり、死者も出て採掘場がひとつ閉鎖されたのだという。それは、ガネットから聞いた話だった。ガネットは、店の女たちが使う小間物を売りに来た行商人から聞いたと、言っていた。そのことをクラヴィスは皆に話した。
「西の現場か……スモーキーは元々、西の現場に長いこといたからな。知り合いも多い。スモーキーが死んで、皆、荒れてんのかも知れねぇな」
 鉱夫生活がもっとも長い年配の男がそう言った。
「スモーキーって、そんなにすごいヤツなのか?」
 新入りの少年が不思議そうに尋ねる。
「二十五年ほど前までは、まだ賃金も日銭払いでな、鉱夫は使い捨て同様の扱いだった。坑穴の外で、怪我をしても何の保障もねぇし、寝泊まりする小屋だって、水も引いてなかったとこが多かった。それをスモーキーが、交渉してひとつづ改善して行ったんだ。鉱山で働く者が、病気や怪我で仕事に出られない時にでも、食いっぱぐれがないようになってたり、僅かばかりだが見舞金が出たりするのは、スモーキーが教皇庁に直接、文書を送って訴えたからなんだぜ」
 自分の自慢をするように年配の男が言った。
「教皇様に手紙だなんてすげぇな。住所とか知らねぇよ、オレ。それ以前に、字もロクに書けねぇけどよ」
 少年の言葉に、男たちは笑う。
「ま、それで、スモーキーは、皆の人望も集めて、何年か前からは、管轄地内のあっちこっちの現場で鉱夫たちの現場監督なんかのまとめ役の仕事もしてたんだ。役人に楯突く気の荒い連中も、スモーキーの言うことなら聞いたからな、トラブルの度にスモーキーが呼ばれてた。それに新しい現場を作る時は、鉱夫たちの組織作りなんかもまかされてたな、」
「けどよう、それなら、役人にとってもスモーキーは、利用できる人物だったわけだろ? 殺される理由はなんだい?」
「知らねぇ。けど、最近の待遇改善の交渉で、疎まれてたのかもなあ目障りだってことさ」
 男たちがスモーキーについて話し合っているのを、クラヴィスは黙って聞いていた。
 
 スモーキーとは、大した面識はなかった。彼が、皆に慕われているリーダー格の男だと知ってはいたが、寝泊まりしている小屋も違うし、まだまだ下っ端として、坑穴に入りこんで働いているクラヴィスとの接点はなかった。だが、彼がルダに出発する前日、食堂にいるクラヴィスの元に 、スモーキーの方から寄ってきたのだ。
「おう、お前が本好きだって聞いてな。良かったらこれ読むか?」
 自分の持っていた数冊の本をクラヴィスの前に置いた。何人もの手を経たボロボロの本だったが、クラヴィスにとっては何よりのものだった。大陸横断列車の各駅の紹介がされている旅の本と ダダスやその周辺に伝わるお伽噺が書かれたもの、もう一冊は……。
 最後にその本を、スモーキーは、躊躇いながらクラヴィスに見せた。スイズ大学で学ぶような数学の本だった。幾つもの数式が書かれたその本を、クラヴィスは心から欲しいと思った。それに書かれた問題を解くのは、娯楽の少ない夜のどんなに良い退屈しのぎになるだろう、と。
「こんなもの……まあ、面白いもんでもないけどな、もし入り用なら……」
スモーキーは、クラヴィスに渡すか渡すまいか戸惑ってそう言った。
「貰う!」と子どものように思わず声が出た時には、その本を掴んでいたクラヴィスに、スモーキーは笑った。
「変わったヤツだなあ……。普通こんなの欲しがるヤツはここにはいないぜ。これをくれと言ったのはお前が初めてだ、ここに出てる問題が解けるということはそれなりの学歴があるということだが?」
 クラヴィスの素性を探るように尋ねた彼に、クラヴィスは「持ち主のお前もじゃないか」と言い返した。
「違いねぇ。お互い、よけいな詮索はやめとくか」と笑った。
「ところで、その本の最後の問題、どうしても俺には解けないんだ。もしもお前が解けたら、ルダの鉱山から帰ってきたら教えてくれ」
 スモーキーは、笑いながら去っていった。
 
「おい、クラヴィス!」
 ぼんやりとスモーキーの事を思い出しているクラヴィスは、ふいに呼ばれて我に返った。いつの間にかゲームの続きが始まり、クラヴィスの前に、カードが突き出されていた。
「お前の番じゃねぇか、早くカードを引け」
「あ、ああ……」
 クラヴィスが、慌ててカードを一枚取り、皆に見えるように提示すると、歓声が上がった。
「クラヴィスの負けだ」
「お前が掃除当番に決定だ」
「隅々までちゃんと掃除しろよぉ」
 男たちが囃し立てると、クラヴィスは力なく笑い、持っていた残りのカードを手放した。部屋の片隅にある自分の寝床に戻り、スモーキーから貰った例の本を開く。ほとんどの問題は既に解いてしまっていた。スモーキーが解けないと言った最後の問題以外は。
“死んではいない……”
 スモーキーの死の噂を聞く度に何故かしらそう思う、クラヴィスだった。

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