第五章 月の涙、枯れ果てて

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 スイズとダダスの関係悪化に伴って、一旦、自国に帰国するものも出始めていたせいもあり、図書館は、いつもにもまして人気がなかった。入り口付近の閲覧室で、もう帰ろうとしているらしい学生にルヴァは出くわした。
「係の人はもう帰りましたよ。僕が最後ですけど」
 学生が入ってきたルヴァを見てそう言った。
「そう……ですか。貸し出しはしません。この本を返すだけですから」
 ルヴァは、先ほどフローライトの乳母から手渡された本を見せて、そう取り繕った。
「なら、すみませんが、最後になられると思いますから、入り口扉を開け放して置かずに締めておいて下さいね」
「鍵は?」
「鍵は管理人のおじさんが後で締めてくれます。扉だけしっかり締めてください」
 ルヴァは頷くと、幾つもの扉が続く廊下の、一番奥の部屋に向かった。
「フローライト、いるんですか?」
 ルヴァは、歴史書室の扉を開け、静まりかえった部屋の奥に向かって声をかけた。
「ルヴァ様!」
 フローライトが戸棚の向こうから駆け寄って来た。
「ルヴァ様……見つけて下さったのね、あのメモ」
 フローライトはホッとしたような顔して言った。
「どうしたんです? 一体」
「ごめんなさい。乳母の目を欺くにはこうするしかなくて」
「欺く……って? 乳母さんは、貴女がダダスに帰ると言ってましたが?」
「父が急に迎えを寄こしたの。こんな状況だし、もう単位も取り終えているからルダにいる意味もないだろうからって。それに父も寂しいみたいで、便りにも早く戻って来て欲しいと、そればかり。だから、明日……帰ります。戻る前にお逢いしたかったの……。その事をお伝えしに、文官の執務室に行きたかったのだけど……ご迷惑かも知れないと思って」
 確かに、まだ文官補佐の身の上のルヴァの所に、妙齢の彼女が訪ねてきたなら、それを囃し立てる者もいたかも知れない。
「乳母には、学友と一般寮でお別れ会をして貰っていることにしたの。二人で逢っているなんて聞くといろいろと心配するから」
「そうでしたか。乳母さんには申し訳ないけれど、それなら少しお話しできますね」
 ルヴァは微笑んだ。そして、「私も貴女と話しがしたかったんです。明日、私も故郷に帰るんです。でも視察を兼ねて、ですけど」と言った。
「南部でスイズとダダスの軍の衝突があったんでしょう? 大丈夫だといいわね」
「ええ。もっとも私は、両親の無事を確かめたら、すぐに戻りますが……」
 ルヴァがそう言うとフローライトは俯いた。そしてその後、キッと顔を上げた。
「私は……もう……戻って来られないわ。……たぶん。ルダ音楽院を出たら、家を継ぐことになっていたの。一人娘ですものね……。父がもっと横暴な人なら良かったわ。反発して、家を捨ててしまうことも出来たかも知れない。けれど、優しい人なの よ。だから、私はダダスに帰って、いずれ婿を取って家を継ぐわ……」
 自分の決意を確かめるようにフローライトはそう言うと、ルヴァを見た。そしていきなり彼の腕の中に飛びんだ。
「フ、フローライト」
 ルヴァは慌てて彼女を抱き留める形になった。
「私、ルヴァ様の事が好き。けれど、ダダスに帰るわ。家の為にダダスの貴族の誰かと結婚するわ。けれど、今は、今は、貴方が好き」
 ルヴァの胸に顔を埋めたまま、フローライトはそう言った。泣いている弱々しい声ではなかった。強い意志を込めた、むしろ明るいしっかりとした声だった。
「私も……貴方の事が好きですよ、フローライト。出逢えて良かった。ありがとう」
 ルヴァはそう言うと、自分の胸にあったフローライトの頭をそっと起こし、離れようとした。彼女の体を抱きしめていることが辛かったのだ。柔らかな胸の感触や、良い香りのする髪が自分の手の中にあることが。けれど少し体が離れたことで、フローライトとの間に、頃合いの距離が開いた。ルヴァを見上げた彼女の瞳がゆっくりと閉じられる。ルヴァの視線が自然に彼女の瞼から唇へと映る。
“あ……私は……何を……?”
 ルヴァがそう思った時には、二人の唇は微かに触れあい重なっていた。
「ルヴァ様も好き。けれど生まれ育った家も父も大事。小さいけれど領主ですもの、民の事も考えなくては。……だから自分で選んだ明日からの人生に後悔はしたくないの」
 再びルヴァの腕の中にいるフローライトが言った。
「貴女は聡明で前向きです。私はそういう所が好きなんですよ」
「私が後悔のない人生を歩めるように、少しだけ協力して下さる?」
「もちろんです。私に出来ることなら」
「ルヴァ様にしか出来ないことよ」
「何ですか?」
「抱いて下さい」
 フローライトは、らしからぬ小さな声で言った。長い沈黙があった。  
 ルヴァは、ただただ彼女の瞳を見つめるだけしか出来なかった。

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