第五章 月の涙、枯れ果てて

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 文官の画策を知る由もないリュミエールとルヴァは、穏やかな気持ちで南部への旅を続けていた。馬車が時折止まる村や町は、ルヴァの言っていた通りどこも寂れた感じがし、人々の様子はいかにも貧しげだった。そんな風景を目の当たり にしたリュミエールは、心を痛める一方、初めて見る王都以外の世界に歓喜の声を上げることもあったのだった。日が暮れると、駅馬車は、小さな民家の納屋で停泊する事になっていた。御者も乗客も、一緒に干し草に布を張った上に、薄汚い毛布にくるまって眠る。初めての体験にリュミエールは戸惑いながら横たわったが、数分後にはもう眠りの世界へと入っていた。
 そして翌日の夕方、駅馬車は終着である中央砂漠の手前の町へと辿り着いた。今まで通り過ぎた町や村よりも、そこは賑やかな風情があった。南部地域の拠点の町であり、行き交う人や荷物も多い。また砂漠を越えた所にある鉱山で働く者たちが休暇でやってくることもあって、女たちが踊りを見せる小屋や酒場と言ったリュミエールにとっては、話しにすら聞いたこともないような場所が多く存在する町でもあった。
「ルヴァ様、壁際に並んだ女の人たちがジロジロと見ていますが何なのでしょう? あの方、私に手招きしているようなのですが、何か御用なのでしょうか?」
 リュミエールは、ルヴァの後に隠れるようにしてそう小声で問うた。ルヴァとて、そんな女たちとは無縁の生活を過ごしてきたのだが、それでも彼女たちの職業が何であるかぐらいは知っている。
「あの人たちは、売っているんですよ。その、まあ、自分自身を。そういうことをして」
 ルヴァが言いにくそうに答えると、リュミエールにも、おぼろげながら意味が判り、思わず嫌悪感から、女たちから遠ざかるような仕草をしてしまった。
「悪い人たちじゃありません。もちろん悪い人もいるんですけれど……。それぞれ事情があってのこと……貧しくて仕方なしにという人もいますからね。 そんな人はどんなにか辛いことでしょう。興味のない時は相手にしないで黙って通り過ぎるのが礼儀ですから。さあ、行きましょう。なるべく静かな宿を探しますからね」
 ルヴァが、やんわりとそう言うと、リュミエールは頷いた後、彼の後に寄り添って歩いたのだった。
 結局、ルヴァは町はずれにある小さな宿に一夜の休息を求めることにした。ルヴァが主と部屋の交渉をしていると、隣にいた女将が、形ばかりの宿泊名簿を書くようにと、リュミエールにペンを渡した。 名前やどこから来たのかを書く欄に彼は戸惑った。
「ルヴァ様、何と書きましょう?」
 リュミエールが、そうルヴァに問うと、主と女将が一瞬黙り込み、彼らを胡散臭そうな目で見た。
「様……だって? あんたたち何者なんだい?」
 ルヴァは、リュミエールが持っていたペンをそっと取り上げた。そして自ら台帳に名前を書き入れ始めた。
「私はルダ王都の文官なんですよ。南部を視察しに行くんです。これは私の従者の見習い文官です。すみませんね、視察に出るのが初めてなもので」
 ルヴァは、そう言いながら、文官であることを示す証しである腕章をマントの前を開けて見せた。主と女将の愛想がとたんに良くなった。
「そういうことですかぃ。別に旦那さんの名前だけでようございますよ。その他一名とでも書いておいて下さい。さあさ、温かい夕飯を準備しますんでどうぞどうぞ」
 ルヴァとリュミエールは、簡単な食事を食堂で取った後、その宿で一番良いとされる部屋に通された。と言っても、二つ並んだ寝台があるだけの清潔なだけが取り柄の狭い部屋だったが。荷物を置いて主が出て行くと、ルヴァは、ほぅ……と息を継ぎ、リュミエールに向かって頭を下げた。
「先ほどは申し訳ありません。従者などと」
「ルヴァ様、いいんです。年齢的に見ても、その方が自然ですから。旅が終わるまで、私は、ルヴァ様の従者で。ふふ、なんだかちょっとどきどきしますね」
 リュミエールは、楽しそうに笑った。ルダ城内ではほとんど見られなかった彼の笑顔にルヴァもまた微笑んだのだったが……。
「リュミエール、正直に言って、私はとても驚いているんですよ。貴方がこんな事をするなんて。貴方のご身分を思えば、やはり、砂漠を越える前に引き返した方がいいと思うんです。もう二日間の旅で、外の空気を吸って気分転換も出来たと思……」
「いやです」
 ルヴァが、穏やかな口調でそう話しているのをリュミエールは遮った。
「リュミエール……」
「私の文官は行っても良いと言いました。私の気持ちを察してということもあるのかも知れませんけれど、それだけ私の存在は軽んじられているのです。旅先で何かあったとしても特にどうということもない。たぶん文官はそれだからこそルヴァ様に同行することを許可したのです」
 ルヴァがチラリと懸念していた事をリュミエールは、あっさりと言い切った。
「……スイズの王子としてではなく、従者もつけない、こんな旅をする機会は、私にはこの先、二度とないはずです。お願いですから、もう少し……一緒に行かせて下さい。ご迷惑は掛からないように努力しますから」
「迷惑だなんて、そんなことはないんですよ。けれどこの先、砂漠地帯は、今までとは違って過酷な道のりになります。馬車に乗っているうちはまだましです。サンツ渓谷地帯に入ってから、私の故郷あたりに行くまで丸二日、砂漠馬を借りて行くんですよ。日が暮れるまでずっと荒涼とした山の麓の道を進むんです。宿なんてありません。食べ物だって乾パンや干葡萄位しか。野宿だって覚悟しないと。口の中は砂だらけになって、貴方のその綺麗な髪は随分傷んでしまうでしょうし。行きがあると言うことは帰りもあるんです。そんなことが何日も何日も続くんですよ」
 ルヴァがそう言っても、リュミエールは、一向に動じる様子はない。返って瞳を輝かせているようにすら見える。その表情は、スイズの優雅で大人しい王子のものではなく、初めての大冒険に心躍らせる少年のそれだった。
「ふう……もういいですよ」
 ルヴァは、根負けした形になりそう呟いた。
「ごめんなさい」
 リュミエールは、ルヴァの様子に困惑したようにそう言った。
「さあ、もう寝ましょうか。明日の砂漠越えに備えて充分に睡眠を取っておかねばなりませんからね」
  ルヴァはリュミエールを元気づけるようにそう言うと、自分もベッドに入り 、瞳を閉じた。スイズの王子が、一介の文官と旅しているなどと誰も思いもすまい、そんなに心配しなくてもいのかも知れない……そう思い直すと気持ちも軽くなってくる。 それに、旅の共として、リュミエールが一緒なのは、嬉しいことでもあった。後は、ダダスとスイズの戦いの 傷跡がどれほどの規模なのか……それだけが気がかりなルヴァだった。

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