第五章 月の涙、枯れ果てて

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 リュミエールとルヴァを乗せた駅馬車は、ルダ王都を抜け南へと向かい、やがて太陽が真上に差し掛かろうとする頃、小さな町へと着いた。駅馬車の停車場付近には、雑貨屋や簡単な食べ物を扱う店もある。
「小一時間ほど休憩しますんで、合図の鐘が鳴ったら、引き続き乗る人は集まって下せえ」
 御者がそういうと、乗客は、前の席の者から順に降りたち、各々、思う所に散って行った。一番、最初に馬車を降りたルヴァは、停車場に設えてある簡易なベンチまで行くと荷物を置いた後、手足をぶらぶらとさせて体をほぐしていた。最後に降りたリュミエールは、キョロキョロと辺りを見回した後、ルヴァのいるベンチの側まで歩いた。
“ルヴァ様、驚かれるでしょうか……”と不安に思いながら。
 両手を空に向けて体を延ばしていたルヴァは、リュミエールが気まずそうに歩いてくるのを見ると、前方を凝視したまま、そのままの姿勢で固まった。
「ルヴァ様、あの……」
 リュミエールが声を掛けると、やっとルヴァは両手を下ろして、「ど、どうしたんですか? 何故、こんな所にいるんです?」
と辺りを慌てて見回した。リュミエール専用の馬車も馬も見あたらない。
「まさか、私の乗っていた駅馬車に?」
 ルヴァが言うと、リュミエールは頷いた。
「何て事を……。従者もつけずに? どうして?」
 リュミエールは、部屋を塔内に移された事や、図書室で立ち聞きした男たちの会話などを話した後、見送るだけのつもりがどうしても来たくなったのだと、涙目で訴えた。我が儘な態度など一切見せず、思慮深いリュミエールが、後先も考えずこんな行動をとったのだと思うと、よほど辛かったのだろうと、ルヴァは胸が詰まる思いがした。
「とにかく……座りましょう……」
 ルヴァは、リュミエールと共にベンチに座ると、改めて彼の顔を見た。
「皆さん心配していますよ。この町で馬を借り、戻りましょう。今ならまだ半日ほど留守をしただけ。ちょっと遠くまで散歩した、ということで済むでしょうから」
 ルヴァが、そういうとリュミエールは首を左右に振った。
「心配する者などいません。少し旅に出ると書き置きも残して来ましたから。どうか、」
 どうか一緒に行かせて下さいと、リュミエールが頭を下げようとしたその時、馬の嘶きが聞こえ、馬が掛けてくる音がした。振り向いた二人の目に映ったのは、いつものあの冷たい文官とその護衛役の年若い武官 の姿だった。ルヴァとリュミエールは思わず立ち上がった。
「どう!……やはりこちらへおいででしたか……」
 手綱を制止ながら、文官たちは馬から下りた。
「ルヴァ様が、南部に視察に出られる予定は把握しておりましたので、もしやと思い、駅馬車のルートを追って正解でしたな。一体、どういうことですか? 末の王子」
 文官がそう言うと、リュミエールは黙ったまま、彼から目を逸らし、一歩下がった。
「まさか、ルヴァ殿、貴方が王子をそそのかして……」
「違います! ルヴァ様はたった今まで何もご存じありませんでした。私が勝手にしたことです」
 ルヴァに嫌疑が掛かりそうになると、リュミエールは再び文官の前に出て、そう言った。
「今がどういう時期がお判りのはずです。南部でのスイズとダダスの諍いの後、今は、さして大きな衝突もなく双方とも様子見をしている状態とはいうものの 、スイズから来た私どもは、本国との連絡で多忙だいうのに好き勝手されては……。困ったお方だ」
 文官の言い様には、リュミエール自身の事を気遣う様子はまったくない。
「音楽院は休校中、ルダ王族の皆さまは、離宮にお移りになったらしい。ルヴァ様の個人授業もない。あそこで私のすることは何もないんです。ただ居るだけでいい存在なら、居ることにしておけばいいでしょう! 少しの間、旅に出たって何の支障があるんですか」
 怒りの籠もったリュミエールの声を、その場にいた文官も武官もルヴァも初めて聞いた。文官は言葉がすぐには返せず、眉間に皺を寄せて俯き、しばらく何かを考えている風だった。ルヴァはなんとかしてやりたいと思い、 許されるならば旅の許可を文官に願い出ようとしたその時……。
「判りました……」
 と顔を上げた文官がそう言った。
「確かに仰る通りかも知れませんな。塔内でのご不自由な生活、お辛いことだと思います。それでは、今しばらくルヴァ殿と行動を共にされますか?」
 冷たい口調は変わらないが、文官は手のひらを返したようにそう言った。
「かまわないのですか? もちろんそうできれば」
 リュミエールの顔がパッと明るくなる。
「ルヴァ殿、どうでしょう?」
「え……ええ。私はかまいませんが……。この後、南部の様子を見ながら、私の故郷の村に数日、滞在し帰路に着くつもりでいますが……」
「くれぐれも軽はずみな言動だけはお慎み下さい。末の王子は成人の前ですので、ルダでお顔や名前が知れているわけでもありませんし、ご身分を隠せば、さぼど危険な事もありますまい。お国や、末端の警護の者には、お風邪でも召されて部屋にて療養中……ということにしておきましょう。」
 まだ何か釈然としないルヴァの言葉を遮って、文官はリュミエールに言った。
「判りました。承知してくれてありがとう。いろいろと手数を掛けますが頼みましたよ」
 リュミエールは素直にそう言って、久しぶりに文官に向かって微笑んだ。
「それでは、私どもが、ここに留まっていればよけい怪しまれます故、失礼いたします。お気を付けて行ってらっしゃいませ」
 文官と武官は、二人に一礼した後、ルダ王都へと引き返して行った。その姿が小さくなりほとんど見えないほどになると、リュミエールは、ほっ……と息をつき、ルヴァに向かって頭を下げた。
「ルヴァ様、どうぞよろしくお願いします」
 リュミエールは嬉しそうにそう言う。そして、御者が出発の合図の鐘を鳴らし始めるとると「ルヴァ様、早く、早く!」と彼の袖を引っ張った。
「あー、そんなに慌てなくても大丈夫ーー」
 リュミエールに引っ張られながら、ルヴァは馬車まで戻った。白髭の御者は、乗るときは別々だった二人が連れ立って戻って来たのを見ると「おお、若いもん同志、意気投合したようじゃのう。旅先ならではじゃ」と笑った。

 リュミエールとルヴァが仲良く肩を並べて、再び馬車に揺られ始めた頃、ルダ王都に向かって戻って行った先ほどの文官たちは、とある三叉路で立ち止まっていた。文官は、武官に馬を任せ、道の傍らに座り込み、一心に何かを記していた。やがてそれが書き上がると、「お前、この文を持って、このままスイズの中の王子アジュライト様に報告に行ってくれ、大急ぎでな」と武官に命令した。
「いいか。今回の末の王子の事をご説明申し上げた後、この文を渡すんだぞ。もちろんアジュライト様以外の者には知れぬよう。念の為に言っておくが、誰に問われても、今後一切、末の王子の事は知らぬで通せ」
 そう念を押された若い武官は、何かを企んでいるような文官の口調に、渡された文を見つめて、緊張した面持ちで頷いた。
 文に書かれた内容をその若い武官が知り、事実との相違に心を悩ませた末、その地位を捨てることになるまで、さほどの月数は掛からなかった……。

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