第四章 鐘声、それぞれの場所

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 「リュミエール……、私も貴方に自分の事をお話ししましょう……」
 ルヴァは、顔を上げずに涙を堪えているリュミエールに言った。
「私の故郷は、ルダ南部のサンツ渓谷にあります。山間部の畑と鉱山の発掘で、生計を立てている貧しい村です……」
 ルヴァが話し出すと、ようやくリュミエールは顔をあげた。ルヴァは、村の期待を一心に背負って、片道の路銀だけを手にダダス大学に入ったことを話した。
「……ですから、鉱山の採掘権が切れる二年後には、どうしても大学を卒業し、ルダで官職を得なければならなかったんです」
「それで……異例の早さでご卒業された……と」
「ええ。採掘権は得られましたから一安心ですが。村が貧しいことには変わりありません。中央砂漠は年々、最南部から迫り上がるように拡がってきていますし、別の土地に越しても、生活が苦しいのは変わらないのですよ。ルダの南部は、 特に皆、貧しいんです。木の根を噛み飢えをしのぐこともあるんです。王城のある都周辺や、ダダスの都に近い国境付近は、一応は栄えているように見えますけどもね……」
 リュミエールは、ルヴァが自分の事を話し出した意図を、探るように彼の目を見た。遠くを見つめる眼差しが、穏やかに輝いていた。
「村には、書物はたった三冊しかありませんでした。村長が持っていた過去の暦を書き記したものと、私の父が持っていた代数とルダについての歴史書と……。私の父も、かって採掘権を得んが為に村の代表としてダダス大学に入り、官職を目指した人でした。けれど、志半ばで病に倒れたんです。村に戻った父は、畑仕事に従事しながら、村の子どもたちに読み書きを教えていました。そして、父は自分の持てる知識の全てを私に教えてくれました」
「大変なご苦労がおありだったんですね……」
 リュミエールの言葉にルヴァは頷くと、彼の目をまっすぐ見て、さらに言った。
「人は自分の宿命を受け入れなければならないと思うんです。王の子として生まれたならばそれを、貧困の中に生まれたならばそれを。まずそうしないと決して前には進めないと思うんです。私は本当は、もっとじっくりと時をかけて自分のしたい学問を身に付けたかった。官職でなく、古い時代についての研究者か、子どもたちの教師になりたかったと思います。けれど、家族や村の人たちの事を思うとそれは叶いませんでした。自分の思いとは別の所にあるもののせいで道を変えざるを得ない。その道の途中で歩くのを止めてしまったら、もうそこからは抜け出せません。不運や苦悶……そんなことに耐えながら、心を奮い立たせて歩いていけば、いつかきっと道は開けると思うのです」
「宿命を受け入れる……スイズの王の子として生まれたことを……。今は、王座争いの道具になっていることを受け入れる……」
 リュミエールは、噛み締めるように呟いた。
「受け入れることは、諦めてしまうことと違うのですよ。苦しい状況の中でも光の差す方向はきっと見えるはず、心を澄ませれば自分が為すべき事が判るはず。貴方ならきっと」
 リュミエールは、ルヴァの言葉を心の中で咀嚼するかのように押し黙った。
「あのね、今の話は、私の父の受け売りなんですよ。私は子どもの頃、才能も学問もあったのに、と父の不運を嘆き、可哀想だと言ったことがあるんです。けれど、父は、自分の人生をまったく悔いていないと、清々しい顔をして笑ったのです。私には父が何故、笑ったのか理解できませんでした。今はまだ判らなくていいよと、また父は笑いました。今なら、父の笑顔の理由が判る気がするんです」
「ルヴァ様、わたくしにも、なんとなく判ります……。お父様は、ご自分の人生に誇りを持っていらっしゃる……愛してらっしゃるんですね。わたくしは、スイズの王子であることを誇りに思ったこともありませんし、今の自分の境遇を好ましいと思ったことは一度もありませんでした……私は何不自由なく育ち、こうして好きな音楽も学べ、ルヴァ様という教師まで付けて貰っているのに……」
 リュミエールが神妙にそう言うと、ルヴァは微かに頷いたものの、少し困った顔をした。
「あー、なんだか、お説教臭くなってしまいましたね。すみません、自分の事を引き合いに出してしまって。私や父に比べたら貴方は恵まれているとかそう言う意味ではなくて、つまりですね、ええっと、私も頑張るから貴方も、そんなに悲しまないで、一緒に頑張りましょうと、言いたくてですね……もっと、こう簡潔に貴方をお慰めする言葉を言えればよかったのですが……回りくどくていけませんでした……」
 先ほどまでの思慮深い物言いとはかけ離れた様子で、慌てながらルヴァがそう言うと、リュミエールの口元が緩んだ。
「ルヴァ様、判っています。どうかそんなに恐縮なさらないで」
 リュミエールがそう言うと、ルヴァは、安堵した顔をした。
「ふう……やっぱり、今日はまったく勉強になりませんでしたねえ、仕方ないですかー。今年、最後の授業でしたのにねえ」
 ルヴァは、そう言いながら立ち上がった。そして扉を開ける間際、振り返って、「あの……リュミエール、大丈夫……ですか?」と言った。
「はい。大丈夫です。お話を聞いて頂けて、心に染みるお言葉を頂戴しましたから。ありがとうございました。ルヴァ様、どうかよいお年をお迎え下さいね」
「ありがとう、貴方も」
 扉の控えていた文官に送られてルヴァが帰って行く。その後ろ姿に、リュミエールは、改めて頭を下げた。

 二階の私室に戻ったリュミエールは、一人きりの部屋で、先ほどのルヴァとの会話を思い出していた。 窓際に置かれた椅子に腰掛けて、どんよりと曇った空を見上げながら……。
 少し経って扉を叩く音がし、側仕えが、茶の用意を調えてやってきた。銀の盆に置かれた美しい花模様の茶器に、スイズよりの土産であるあの砂糖菓子が添えてある。見るのも味わうのも、うんざりしている この高価な菓子は、ルヴァの故郷の村の者たちは、一生、口に出来ないかも知れないのだ……と思うと、リュミエールはなんとも言えない気持ちになり、ひとつ摘み上げた。そして、そっと口に運んだ。それを好きだった幼い頃の事が思い出される。ただひたすら甘いものが口中に拡がり、最後に少しの酸味と共にふわり……と花の香りがする。
 ふいに、その香りが、リュミエールの記憶の片隅を突いた。
「何故……どうして今まで気づかなかったんだろう……」
 リュミエールは、そう呟き、小さな菓子を再度、見た。
 その花の香り……、あの日、セレスタイトの成人の儀の祝宴があった夜、案内された寝室から続く中庭に、咲いていたあの花の香りだった。
“あの方は、どうしていらっしゃるんだろう?”
 星明かりの下、ぼんやりと白く咲いていた甘酸っぱい香りを放つ花とともに、そこで出逢ったクラヴィスのことも思い出された。
“ご病気で長きに渡って、養生されているとお聞きするけれど、お元気になられたのだろうか……”
  晴れやかな宴の席なのに、常に後ろに控えて、静かにしており、中庭であった時も、どこかひっそりと息を潜めるようだったクラヴィスの姿に、あの人もまた、教皇の皇子として生まれた自分の宿命に思い悩んでいらっしゃったのかも知れないと、リュミエールは思うのだった。
  
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