ルダ王城の時計塔の鐘が正午を告げる。ルヴァは、書類から目を離し立ち上がった。文官の補佐の仕事は午前中で終わり、午後はリュミエール王子の教育係としての仕事をすることになっている彼は、他の文官仲間に挨拶をし、執務室を引き揚げた。もう七日ほどで年明けとなる。ルダ音楽院は
、既に冬期休暇に入っており、大半の生徒は帰省していたので、音楽院の建物がある辺りは静まりかえっていた。図書館には僅かだが係の者と、居残り組の生徒が、チラホラと見受けられた。ルヴァは、
リュミエールとの授業で使うための本を借り受けに、一番奥の部屋、歴史書関係の書庫の扉を開けた。
「あら、ルヴァ様」
軋む扉の音に振り向いたフローライトが明るい声を上げた。彼女は、長い外套を着ており、その足下に大きな鞄があった。
「こんにちは。おや? 帰省なさるところですか?」
「ええ。忘れものをしてしまったので立ち寄ったんです」
彼女は、古い革表紙の本を手に微笑んだ。
「リュミエール王子との授業の件、残念でしたね。すみませんでした」
ルヴァは、まるで自分が断ったかのように謝った。
「いえ、ルヴァ様がお悪いんじゃないです。私が軽はずみな事をしてしまって。リュミエール王子付きの文官の方から、不用意に王子にはお近づきになられませんように、と釘をさされてしまいました。よく考えれば判ることでしたのにね」
フローライトは、恥ずかしそうにして言った。
「随分とあの文官殿は、露骨な言い方でお断りされたのですね。けれど、リュミエール王子は貴女と授業を受けるのはかまわないと仰ったんですよ。とても残念そうにしておいででしたよ」
「そうでしたの。なら、まだ良かった。リュミエール王子は、とてもお優しい良いお方ですけれど、一緒にスイズからいらした方はちょっと嫌な感じがしますわ。あら……またこんな事を言ってしまって。私ったら」
フローライトは、思わず、口元を押さえた。
「あー、でも、私もそう思いますよ。ここだけの話、ですけれども、ね」
ルヴァもそう小声で言って、二人はクスクスと笑い合った。
「フローライトさん、歴史がお好きなんですか?」
ルヴァは、彼女が手にしている本の表題を見て言った。
「ええ。私の父の領はダダスの北方に位置するのですけれど、領内に古い遺跡があって子どもの頃からよく訪れていたんです
。遺跡に纏わる話は大半が作り話らしいですけれど、子どもの頃は、とても心が躍ったものですわ。どこまでが本当なのかな……と思って、ルダとダダス辺りの歴史に興味があるんです」
「貴女の故郷の古い遺跡はどんなものなんですか?」
「たぶん天文所のようなものではないかと言われてます。小さくて特に出土したものもない価値のない壊れかけた塔ですけども。 私、本当はダダス大学で、古い時代の事を学びたかったんです。それで、リュミエール王子の特別授業にそういうものがあるらしいとお聞きして、つい、申し出をしてしまったんです」
「そうですか。私はルダで文官になるため政経学を治めましたが、本当は貴女と同じような事が学びたかったんですよ。それで余暇は、全部、歴史の授業に出ていました。少しはお教え出来ることもあるかと思いますから、年明けからでも授業をしましょう」
「とても嬉しいです。けれど、お時間は大丈夫でしょうか? リュミエール王子の授業の予定が詰まってらっしゃるんでしょう?」
「図書館で調べ物をする時間を取ってあるんです。週に、一、二度はここに来ますから、その時にでも」
ルヴァが、そう言うとフローライトは心から嬉しそうな顔をした。
「ルヴァ様、ありがとうございます。私、もう行かなくては。馬車を待たせてあるんです。」
フローライトは、小さく頭を下げると、本を鞄に仕舞い込み、代わりに防寒用の白い毛皮の帽子を取り出した。緩やかに波打つ長い髪を整えて、帽子を被ると、その姿は雪の精のようにルヴァには見えた。
「では、ルヴァ様、また年明けに。どうぞよいお年をお迎えください」
彼女は帽子が落ちないよう小さく頭を下げて出て行った。
「ごきげんようーー」
ルヴァも笑顔でそう答え、扉が閉まった後、側にあった書棚から、何気なく二、三冊の本を引き抜いた後、ハッとして振り返り、フローライトの後を追った。扉を開けて、“フローライトさん、お鞄、馬車までお持ちしましょう”と、叫ぼうとして、ルヴァはそれを止めた。彼女は既に図書館の出口付近で、迎えにやってきた馬車の御者らしい男に鞄を預けている所だった。
“あ……どうも、私は、ちょっと遅れがちでいけませんねぇ……”
頭を掻きながらルヴァは苦笑いした。
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