第四章 鐘声、それぞれの場所

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 一方、スイズからルダの音楽院に留学したリュミエールは、彼の心を痛めさせていた家族の確執のない穏やかな日々の中で、古楽器の演奏に打ち込んでいた。特に彼が関心を持ったのは、月光琴というものであった。木製の円筒型の小さな胴に皮を張り、長い棹を胴に貫通させ、三弦を張ってある。それを砂漠馬の尾毛で作った弓で擦奏する。竪琴の原型とされるその古楽器は、座った足の間に置き演奏する。指でつま弾く竪琴とは違い長い弓を操りながら様々に音を出していくには相当の慣れが必要だった。納得のいく音が出ず、何度も 、何度も同じ所の演奏をリュミエールは時の経つのも忘れて繰り返す。そんな彼の背後からやんわりと彼の側仕えが声を掛けた。
「末の王子様、スイズよりの使者が参りました」
「わかりました。すぐに参ります」
 三週間に一度の割合で、スイズからは使者が訪れることになっていた。リュミエールが、月光琴を置き控えの間に行くといつものように使者の男が待っていた。中の王子アジュライトの腹心の者であるその使者は立ち上がり、リュミエールに向かって頭を下げると、決まって「王族の皆様よりのお心使いでございます」と言った後、砂糖菓子の入った小さな包みを差し出す。手間暇の掛かった高価な菓子ではあったが、それが好きだったのは、やっと文字の綴れるようになった幼児の頃の事なのに……と、リュミエールは溜息が出そうになるのを押さえて 包みを受け取る。
「末の王子様、何かお変わりはございませんか? ご不自由なさっていることはございませんか?」
 判でついたように毎回、彼はそう言い、リュミエールが「変わりありません」と答えると、早々に引き揚げていく。 その使者にとっては、スイズの王族の報告やリュミエールの安否を尋ねるというのは表向きで、敵対するダダスでの動きや、ルダの内情を探るのが訪問の真の目的なのだ。ところが今日は 、必要な事しか言わない使者にしては珍しくスイズ王やアジュライトの多忙な様子を述べた後、「……年末の帰省はお控え下さるようにとの事でございます」と言った。
「え?」
 一瞬、リュミエールは何故? という顔をしたが、すぐにいつも通りの表情に戻り、使者の言葉を待った。
「スイズ国内では質の悪い風邪が流行っておりますので。念の為」
 使者が、見え透いた言い訳を言うとリュミエールは諦めたようにごく小さく溜息をついた。
「そうですか……判りました。父上、母上、兄上たちにもどうぞお気を付けて下さるようにと。それと、戻らないとなると教皇庁の新年の演奏会には出席できませんね……どうかその旨を失礼なきように教皇様、セレスタイト様に伝えて下さるよう 。わたくしからも便りを出しておきますが……」
「承知いたしました。では、これにて失礼致します」
 使者が退出した後、リュミエールは心底ホッとしたように息をついた後、「戻ってくるな……ということなのですね」と寂しげに呟いた。スイズ城に戻れないことが悲しいわけではなかった。スイズとダダスの関係の悪化はここ数週間の間にも進んでおり、そこから推し量ると自分がルダに留まっていることが、迂闊にダダス側にルダ侵出をさせない意味合いを持つことくらいは、リュミエールにも察しがついていた。ただ血を分けた家族に 、手駒のように政略の為に使われていることが悲しかったのだった。
  気持ちを切り替えようと、リュミエールは立ち上がり、ベルを鳴らして側仕えを呼んだ。
「はい何でございましょうか?」
「音楽院に新しい曲の楽譜を取りに行ってきます」
「では、すぐに馬車を武官に用意させますので」
 側仕えは、そう言って礼をし、一旦、下がりかけた。
「城の敷地内です。それには及びません。城内での移動には共は必要としません。私は学徒としてここに参っているのです。 いちいち馬車は不要です。それに、武官も必要ありません。過度な警護は、ルダ王家の皆様にも失礼になります。前にもそう言いましたが」
 リュミエールは冷たく言い放ち、マントを羽織ると、どうしたものかと困り顔の側仕えの前を無言のままで通り過ぎ、部屋を出た。側仕えはスイズから同行した者で、言いつけを忠実に守っているだけなのに……と思うと、つい、らしからぬ態度を取ってしまった自分に後悔しながら、リュミエールは 、賓客用の館を出て音楽院へと向かった。

 ルダ城は、スイズのように大きな王都の中に、城や各種の機関が点在しているのではなく、外壁に囲まれた城内の中に、王の居城であり国政の場であるルダ城と、音楽院それに付随する学習院と図書館などが、こぢんまりと造られていた。リュミエールは、音楽院生が使う寮とは別に館を用意されてそこから音楽院へと通っていた。
 石畳の小道を一人歩きながらリュミエールは、そっと背後の気配を伺う。距離を置いているとはいえ、武官らしい者が付いてくるのが判る。やはりどう言ってもまったく警護を付けずに歩くのは許されない事らしい。それでもすぐ真後ろにつかれて何人もで歩かれるよりはましだと思い直すことでリュミエールは、平常心を保とうと努めた。
 リュミエールにとってルダの王都は、何もかもが慎ましやかな気持ちの良い場所だった。 古い歴史の上に積もる垢を、その都度、削ぎ落として本当に残すべきものだけを次代に継いで行ったような文化のあり方に、 格式と伝統を過剰に重んじるスイズとまったく違う所を感じるのだった。国が大きくなるにつれ膨張し続けていったスイズの文化は、華やかではあったが、今のリュミエールには、それが虚飾に満ちたものに思えるのだった。

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