第三章 砂の城、虚像の楼閣

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 スイズ城から、先頭に騎兵隊を伴って豪華な馬車が出る。乗っているのはリュミエールとそのお付きの武官たちである。城門の前の広場には、民が集まっており馬車が出てくると 、歓声が上がった。
 リュミエールは、控えめに手を振ってそれに応えた。見張り塔の上からその様子をアジュライトは、内務大臣と共に見ていた。
「皆、末の王子様のご留学を祝っておりますね」
「大した人気だな。リュミエールの竪琴は素晴らしいと噂が噂を呼んで、その演奏を聴くことが出来れば長生きできるだの、病が治っただの尾ひれがついているからな」
 アジュライトは鼻先で嗤ってそう言った。
「ルダ音楽院に入られることで、一層その演奏に磨きがかかるだろうと、皆、期待しているのですよ」
「確かに、あいつの演奏は心に響くものがあるからな。出来れば音楽家としてその道を全うして欲しい、よけいな道に進もうとせずにな」
 アジュライトの言葉に、内務大臣は頷く。
「ともあれ、これで駒が確実にひとつ動いた。要所にな。もう今までのように兄上を立てているふりをするのは終わりにしないと。お前にも、いろいろと働いて貰わねばならないことがあるが、よろしく頼む」
 今までのあの殊勝な態度からは思いも寄らない、こういう裏のお顔がおありになったのだ……と改めて内務大臣は思う。だが、上の王子よりもアジュライト様の方が、現段階では確実に数歩抜きんでていらっしゃる……内務大臣は心の中でそう呟き、彼の未来を確信するように深く頷いた。
 
 城を出た馬車は、大陸横断列車の始発駅に着く。駅で出迎えを受けたリュミエールは、従者とともに列車の客室に案内された。特別の者しか乗れない列車の中の特別室へ。備え付けのテーブルの上に、小さな花束と季節の果実が籠に入れて置いてある。添えられたカードをリュミエールは手に取った。留学を祝う言葉と他国へ行くことを 労る暖かい言葉が添えられていた。
「セレスタイト様からのお心使いです。後で皆で頂戴いたしましょう」
 リュミエールは嬉しそうにして、従者たちに声をかけると座席に腰掛け、セレスタイトに当てた礼状を書くために紙と筆記具を取り出した。そして「発車までどれほど時間がありますか?」と傍らの従者に尋ねた。
「あそこで休憩している者たちがおりますでしょう? 荷物運びをしている者たちです。彼らが乗り込むと出発と聞いておりますから、今しばらくはまだ……と思います」
 従者は車窓の外から、ホームの片隅にたむろしている男たちを指し示した。それぞれ飲み物や煙草を手にして喋っている。
「そうですか。では、やはりお礼状を書いてしまいましょう。発車前に書けたら、そのまま駅員に言づて出来ればいいのですけれど」
 列車が出てしまうと揺れて文など次の停車まで書けない……、リュミエールはそう思い、ペンを走らせる。大急ぎで礼状を書き上げ、封をすると、リュミエールはそれを従者に手渡した。従者は一旦、列車を降り、出発の合図を送ろうとしている駅員に事情を話し、駄賃と共にそれを手渡した。そして、人夫を急かして列車に乗り込ませるとその駅員は、威勢良く発車のベルを打ち鳴らした。
“いよいよルダに行くのですね。音楽院はどんな所でしょうか……”
 リュミエールは、純粋に音楽的興味への期待に胸を躍らせた。一時的にせよ、王族内の思惑などと無縁な場所に行けることに、ホッとしながら。上手く行けば、この留学が終わる頃までには、次期スイズ王の決定が下され、 いがみ合っていた母や兄たちも落ち着きを取り戻すかも知れないとそんな期待さえするのだった。
 だが、時代の流れはそう易々と彼を逃してはくれなかった。スイズ城という温室の中で過ごしてきた彼が、今、他国に身を置き、外の世界を見る。その事が、自分自身の中でどのような変革をもたらすのか……、この時は、まだ考えもしなかったリュミエールだった。

  そして、夕刻の教皇庁。もうそろそろ執務室を後にしようという頃になって、セレスタイトは、大陸横断列車の駅員が持ってきたというリュミエールの礼状を受け取った。
 スイズ王子という身分に恥じない美しい筆跡と、上手く纏まった内容の礼状に、リュミエールの利発さが現れている。そして新しい一歩を踏み出すことに喜びを感じている少年らしさも垣間見ることが出来た。セレスタイトは、今まで処理していた無味乾燥した書類との違いに心を和ませた。
「お発ちになられたか。今頃はどの辺りを列車は走っているのだろうな……」
 セレスタイトは壁に掲げられた路線図を見る。東の辺境へと延びる線路……それを見るうち、心に思い浮かぶものは……。彼は、室内に誰もいないのをいい事に大きな溜息をついた。
 三年前、リュミエール王子が乗ったのと同じ車両の同じキャビンに、クラヴィスも乗っていた……。事情は違うが、その時のクラヴィスもこれから始まる旅に胸を躍らせていただろうか? 
 セレスタイトは暮れゆく薄暗い部屋で頭を抱え込む。
“もう何度、クラヴィスの無事を祈ったことだろう? 心の中で何度、帰って来いと叫んだことだろう……それなのに……いっそ……”
 セレスタイトは、立ち上がり、窓辺へと移動する。朱に染まった地平の上から紫紺の帳が落ちてくる。その空にはもう星が出ている。セレスタイトが見上げた空に今夜もまた、聖地は見えない。クラヴィスが生きている証拠に……。
 ホッとすると共に、セレスタイトの心中には、何とも言えない冷たい風が吹き過ぎる。ほんの一瞬でも、クラヴィスの死を願ってしまった自分が、セレスタイトは許せない。震える指先を強く組み合わせ、まるで懺悔をするようにその場でじっと祈りを捧げて耐える彼だった。


第三章 砂の城、虚像の楼閣 終
第四章 鐘声、それぞれの場所 へ 続く
 

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