第三章 砂の城、虚像の楼閣

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 今日は演奏会の為に、リュミエール王子がやって来る……そう思うとセレスタイトの気持ちは鬱いでいた。リュミエールに問題があるわけではない、彼は本当に、まだ若年なのに思慮深く、何よりその竪琴の演奏は素晴らしい。だが……。
 セレスタイトは、なんとか気持ちを切り替えようと考えながら王の執務室の扉を開けた。いつもは執務室には、あまり来ない皇妃も控えている。演奏会に向かうため、皆で待ち合わせたのだった。
「ただ今、参りました」
「もう執務は終わったの?」
「ええ、母上。今日は演奏会があるので早めに」
「リュミエール王子はもういらしているのでしょう? 先にお声を掛けてあげなくてもよろしいの?」
 セレスタイトは、いつもなるべくそうしていた。初めてリュミエールに逢ったのは成人の儀の祝宴だった。まだ十かそこらの幼い彼の演奏に驚いた。次に逢ったのはその一ヶ月後だった。教皇庁主催の演奏会に招かれた彼と……。セレスタイトは、その時の事を思い出す。初めて大聖堂で演奏するために緊張している彼に、励ましの声をかけた。少し話しをするうちにリュミエールは落ち着き、ふいに「クラヴィス様はいらっしゃいませんか?」と言ったのだった。祝宴の夜に中庭でクラヴィスと出会ったと、リュミエールは言った。多くは語らなかったが、寵妃の子であるというリュミエールが、同じような立場のクラヴィスに、何かしら共感するものでもを覚えたのだろうと、その時、セレスタイトは思っていた。
「クラヴィスは、今、スイズの伯父の館に行ってるんだよ。次の演奏会には同席できるだろう」とセレスタイトは答えた。秘密裏に旅に出たクラヴィスは、ほどなく戻ってくると、その時、セレスタイトは信じていたから……。
 だが、リュミエールが次の演奏会に訪れた時にもクラヴィスはいなかった。その次も、その次も……。
「どうしたのだ?」
 急に黙りこくったセレスタイトに、教皇が声を掛けた。
「父上、リュミエール王子は、クラヴィスの事を心にかけている者の一人です。もう彼は、クラヴィスがいつもいない事を私に尋ねたりはしませんが、演奏会が始まる時、その目は、私の隣の席を確かめている。リュミエール王子だけではない。教皇庁の役人たち……もうあれから三年。皆、おかしいと思っている!」
 セレスタイトは、いつかは言わねばと思っていた事をついに口に出した。
「あなた……私もそう思います。体を壊し、ジェイド公の……兄の館で養生している……そんな作り話も限界ですわ……」
「クラヴィスの側仕えだった者たちから、何度も見舞いに行きたいと声が上がっています。それさえ出来ぬほど具合が悪いなら、自分たちがクラヴィスの世話をしたいとまで言っているのですよ」
「判っている……だが……どうせよというのだ……どうせよと」
 教皇は大きな溜息をつく。それを聞くと、皇妃とセレスタイトは、その横で思わず俯いた。その場にいる皆の心に、ジェイド公が、武官二人を引き連れて血相を変えてやって来た時の事が蘇る……。

 てっきりクラヴィスも共に旅から戻ってきたと思い、出迎えたものの、そこにはクラヴィスの姿はなく、ただ平伏すばかりのジェイド公と武官の姿があった。西の辺境で、クラヴィスが行方不明になったとジェイド公は言った。
 クラヴィスは、墓参の帰りに、何か思う所があったらしく、散策をしながらゆっくり戻ると武官に言ったという。先に武官は道を行った。墓から鉱山の町までは一本道だったから、やや遅れた形になって、クラヴィスが後ろから付いてきているはずだったが、一向に追いついてくる気配がなく、武官は後を引き返した。帰り道とは、反対方向の見晴らしの良い場所に出る小道の崖の木に、クラヴィスの衣服らしい切れ端が掛かっていた。滑った跡もあった。付近の者たちを雇い、手を尽くして探したが、結局、見つからなかった……崖は急な傾斜が途絶えた跡、そのまま谷底の川へと繋がっている。流されたのかも知れないと、下流の村も当然調べたが、辺りは深い森林地帯で運良く川岸に打ち上げられても、野生の獣も多く、屍などあっという間に跡形もなく食べられてしまうと言われやむなく一旦引き揚げて戻ってきた……というのが武官の言い分だった。
 クラヴィスの死をジェイド公も武官たちも確信しているようだった。だが、その時、教皇がそれを否定した。
「いや……クラヴィスは生きている」
 父親としての思いがそう言わせたのではなかった。教皇は事情を知らない武官たちを一旦、下がらせると、ジェイド公や皇妃、セレスタイトを前に、自信に満ちた様子で言った。
「クラヴィスが、本当に死んでしまったのなら、あれと聖地よりの力を共有する私には判るはず。セレスタイト、お前、何も感じないか?。その身に何か変化はないか?」と。
 セレスタイトは、ハッとして窓際に走り、夜空を見上げ、安堵したように言った。
『見えません、父上。私には聖地が。だとすれば、力はクラヴィスの中にある。クラヴィスは生きているんですね!』
 二人は喜び合っていた。ジェイド公は、それを聞くと険しい顔のまま、『それならば、怪我をしたまま、どこかで助けられたのかも知れない。もしや頭でも打ち、記憶を失っているとも考えられる……この上は、私が責任を持って探し出しましょう。クラヴィスは私の館に身を寄せていることになっていますから、教皇庁の者たちには、クラヴィスが発見されるまで、そのまま引き続き伏せておかれたら……』
と言った。
『怪我が癒えればクラヴィスは、じきに戻りますよ』
 とセレスタイトは、伯父と父を励ますように言い、その場は一旦治まった。だが、あれから三年、クラヴィスの消息は依然として知れない。
 
「何故、クラヴィスは戻って来ないのだ! どんな酷い怪我をしていようと、三年もあれば癒えようものを! 記憶を失っているような事があったとしても、身分の判るものを何か身に付けているでしょうに……。最近は父上の体調も優れないご様子なので、役人の中には、私が皇位を継ぐのも間近との噂も流れているのです。それが耳に入る度に私は、嘘を付いているという罪の意識に苛まれる」
 セレスタイトが、いつになく声を荒げた事に、教皇も皇妃も驚く。
「すまぬな、セレスタイト。私の体の具合が良くないばかりに代わりとなって、教皇の仕事をさせている事、私も気にしているのだ……」
 その弱々しい言い様に、セレスタイトは自分を取り戻し、父に向かって頭を下げた。
「いえ……申し訳ありませんでした。私もつい、苛々としてしまって」
 セレスタイトが詫びると、何かしらその場に気まずい雰囲気が流れ、皇妃はそれを感じ取り、「もしや、クラヴィスはわざと戻らないのではありませんか?」と言った。
「私もそれは考えました。けれど、列車に乗る間際、私はクラヴィスに念を押したのです。もう遠慮はするな、と。クラヴィスは頷いてくれた。判ってくれたと信じています」
 セレスタイトは心の中に一抹の不安を感じながらも、そう言った。
「いや……だが……」
 教皇はそう言ったまま俯いた。
「クラヴィスには、歴代の教皇の事を話してある。実際の教皇としての職務は、よく出来た兄弟が代行し、自堕落な日々を過ごした教皇の事を話したことがある。後宮に籠もって表には出てこない教皇もいたのだ……。もしや、クラヴィスは、どこかでひっそりと、いわば裏の教皇としての務めをはたし、表向きの教皇としての職務を一切、セレスタイトに委ねるつもりではないだろうか」
「裏の……って、人々の哀しみや苦しみ、大地の怒り……そういった負の感情を浄化する……という?」
「そうだ。教皇のもっとも重大な務めだが、それを知るものはほとんどない。私も、こんなことになるまで、お前に話すつもりはなかったからな」
「私の影になるなと、言ったのに。クラヴィスは判ってくれたんじゃなかったのか?」
 セレスタイトを頭を抱えた。
「判った上で、そうしたのかも知れません……。崖から落ちるような大怪我をし、瀕死の床でクラヴィスなりに考えたのかも知れない。あの子は、貴方を尊敬していましたよ、セレスタイト。私には形だけしか心を開いてくれなかったけれど、まだクラヴィスは、ずっと貴方を慕っていました。だって、血の繋がった兄なんですもの」
 皇妃は少し寂しそうに言った。
「セレスタイトが時期教皇になる事が、クラヴィスの望みなら、この地のどこかで、それを待ちながら時を過ごしているなら……そうしてやるのが一番いいのかも知れない」
 教皇は下を向いたまま呟く。
「けれど、それは偽りです。聖地に背くことになる。私には耐えられません」
 セレスタイトはそう言うと、胃の辺りに手を置いた。
「どうしたのです? 痛むのですか? 近頃、顔色も良くないようですが……」
 皇妃は、心配そうにセレスタイトの肩に手をかけた。
「父上、ご覧下さい。私は弱い人間ですよ。クラヴィスがいなくなってからの様々の事が精神的な負担となっている。それで胃が痛むんです。こんな人間に、この世の負の感情など担えない、教皇としての器ではないんです。聖地はちゃんそれを知ってらっしゃる。だからクラヴィスを選んだのです」
 教皇は、ようやく顔を上げてセレスタイトを見た。教皇の第一子として生まれ、それに相応しい環境と教育を与えられた彼は、清く正しく真っ直ぐに育った。日の当たる道だけを一心に歩いてきたような人間だ。一国の王としてなら、あるいは、第一補佐官として枢機官の職に就いているだけなら、これほど優れた者はいなかっただろう……と教皇は思った。
“私がしっかりしてやらねばならなかったのにな。不甲斐ない父を許せ”
 教皇は、意を決して立ち上がった。
「待とう……クラヴィスが戻って来るのを。どれほど私たちがそれを望んでいるか、私は毎夜、祈り続けよう。セレスタイト、お前には苦労をかけるな。具合が悪いようならば、演奏会は欠席にしてもう休むといい」
 教皇は、精一杯の優しさを込めてセレスタイトにそう言った。その言葉に、久しぶりに彼らしい微笑みが蘇る。
「ありがとうございます、父上。ですが、演奏会には出ます。リュミエール王子の竪琴を聴いていると心が安らぎますから」
「そうか。では参ろう」
 教皇は、皇妃の手を取って立ち上がらせ、傍らのセレスタイトの肩を労うように軽く叩いた。
  
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