第二章 聖地、見えない星

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 大聖堂。この西の大陸にあって、もっとも聖なる場所と人々は言う。総ての源である聖地にもっとも近い場所と。
 もうそろそろ就寝……という時刻になってやって来た教皇とその子息の姿に、見張り番が驚く。
「少し祈りを捧げたいのでな。少しの間、外してくれぬか」
 教皇が、夜半に祈りを捧げに聖堂に入ることは、たまにあることだったが、その子息を伴うことは珍しい。もしや何かあったのかと見張り番は気になる様子である。それを察した教皇は笑顔を作ると「クラヴィスも寝付けぬと言うのでな、たまには一緒に祈りを捧げてはどうかと誘ったのだ」と言葉を付け加えた。見張り番は頷き、「では扉の向こうに控えておりますので、ご用があればお申し付けください」と、一礼し、出て行った。
 昼間ならば、天窓から燦々と光が降り注ぐように入り込む聖堂だが、今は、壁際の柱に付けられた燭台の仄かな灯りだけである。薄暗い中を、部屋の中央まで二人は無言で歩いた。天井まで続く青い色硝子を組み合わせた窓。祭壇の前には、聖地の御印とされる両翼を広げた神鳥の織物が掲げられている。その奥に 、目立たない扉がひっそりとある。教皇は袖口から鍵を取り出し、その扉を開けた。ごく普通の質素な部屋の中にクラヴィスは入った。ランプを置いた小さな台があるだけの控え室……といった風情の小部屋だった。向こう側の壁にまた扉があった。教皇はランプを手慣れた様子で灯すと、クラヴィスにそれを持たせて、先ほどと同じ鍵でその扉を開けた。 暗闇がそこにあった。ひんやりとした風が、クラヴィスの頬を打ち、服の裾をなびかせた。
「ここは? 外?」
 クラヴィスは、目を凝らして辺りを見回した後、ランプを掲げた。手入れのされていない狭い庭の中心に、古ぼけた小さな円塔が建っている。
「位置的には、大聖堂と教皇庁の執務棟と居住区の丁度、合間……とでも言えば判りやすかろう。図面には、上手い具合に執務棟の書物庫の一部のように描かれているのでな……特に誰にも気づかれておらぬ ようだ。あの塔に登る」
 教皇は生い茂る雑草を踏んで、塔に向かった。塔の内部は、部屋などは無く、ただ塔の上部と地下に行くための螺旋階段が続いているだけである。
「壁に手を付けながら上がりなさい。足場が悪いので気を付けて」
 手すりも何もない日干し煉瓦のような石で出来た塔の階段を、クラヴィスは恐る恐る進んだ。登る度、パラパラと壁から砂が落ちる。そうして辿り着いた最上階 には、小さな部屋があった。簡素な長椅子と敷物だけがあり、壁をくり抜いた大きな窓のせいで、部屋というよりテラスのような造りになっている。教皇は、クラヴィスからランプを取り上げると、その灯を消した。
 再び、暗闇。
「ここから上をごらん、クラヴィス」
 教皇は、窓辺で静かにそう言った。クラヴィスが見上げたそこに、聖地が輝いていた。今までみた中で一番、大きく美しく。クラヴィスは、ふいに足下が抜けて自分が宙に浮いているような感覚に囚われた。
“怖い!”
 クラヴィスは思わず膝を着く。それでも目が離せない、あの星から、聖地から……。

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