第二章 聖地、見えない星

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 それは、かなり古い時代の資料から拾い出したものであった。過去から言い伝えられてきた事とした上で、そこにはこう記されていた。
 昔……一人の男が、ある強い意志の元、大山脈を越えた。その時から、大山脈の向こうは不可侵なものとなった。聖地からの使者は、けっして侵してはならぬと定めた。その男は、聖地からの力をその身に宿していたという……。
 その記述の後に、父の筆跡でメモ書きが添えられていた。
 何故、男は東へ行ったのか?
 何故、聖地はそれを許し、わざわざ規律を作ってまで保護したのか?
 時がくるまで大山脈の向こうは不可侵であるというが、その時とはいつの事か?
 その聖地からの力を宿す者の末裔が、この西の大陸にやって来る時まで……という事か?
 
 クラヴィスは再び、しっかりと大山脈を見た。
“あの向こうにも、私と同じように聖地からの力を持っている者がいるのか……?”と、思いながら。
“どんな人なのだろう? その者は、やはり向こうでも教皇と呼ばれているのだろうか? どれくらいの年なのだろう? その者も、私と同じように……この力を不可解なものと感じ、もてあましているのだろうか?”
 同じ力を有する者に対し、何かしらの親近感を覚えながらクラヴィスが、山脈の上の空を見た時、不思議な感覚が彼の中を走った。
 心の中を射ようとするような強い視線で見られているような。
 “誰かが、あの山の向こうで、こっちを見ている!”
 クラヴィスは、そう確信した。同じ力を有する者だ、そうに違いない! とクラヴィスは思った。もしそうだとすれば、言い伝えの通り、その者が、大山脈を越えてこちらに来たなら、“その時”が、来たことになる。何百年も何千年も、音沙汰もない聖地と教皇との関係にも何か変化があるのかも知れない……とクラヴィスはそう考えると、また思わず、大山脈を凝視した。
そして、
“来い。こちらへやって来い。
お前に逢いたい……”
と念じた。
すると、クラヴィスの心の中に声がした。

お前は誰だ?
私を知っているのか?


 まだ若い男の声だった。自分と同じくらいの。その声は、はきはきとしている。クラヴィスは山を見続ける。
“待っている……”
 出来るだけの強い意志を込めて、そう唱えると、クラヴィスの体から一気に力が抜けた。目眩を覚えたクラヴィスは、ふらつきながら馬車に戻り、馬車の座席に深く凭れて大きく息をついた。
「若様、どうなさいました? ご気分でも? もう少しの間、馬車を止めさせておきましょうか?」
 クラヴィスが、気分が悪くなったと勘違いした武官の兄は、慌ててそう言った。
「違う。いいんだ……。出発していい」
 クラヴィスはそう答えた後、目を閉じた。
「そうですか……」
 確かにクラヴィスの顔色は悪くない……と武官の兄は思った。それどころかいつもは青白い頬に、赤みさえ差していると。
“大山脈の広大さに興奮なさったか? 形はでかくても、やはりまだ子どもっぽい所もあるんだな……”
 そう心の中で彼は解釈し、御者に出発の合図を送ると、その後は何も言わずに端座し続けた。確かにクラヴィスは、動揺していた。
 
 空耳などではない。確かに聞こえた。不思議なことだけれど。 
 誰かが、いる。自分と、さほど遠からぬような歳の誰か。
 セレスタイトのように高潔さを感じさせる声を持った誰か……。
 その者は、強い意志を持って大山脈を越えたという言い伝えの男の末裔なんだろうか? 
 いつか、その者も、同じ様な確固たる意志の元に、こちらにやって来るだろうか?
 そして、何かが、変わるのだろうか? その時、聖地から何か指示があるのだろうか?
 幾つもの疑問と共に、今し方、聞こえた声の主に思いを馳せるクラヴィスだった。

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