第二章 聖地、見えない星

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「いかなる理由で、その力が我が一族に伝えられる処となったのか? 聖地とは、そこにおわす女王陛下と守護聖様とはどのようなお方なのか? 一切は判らない。聖地を、この力を訝しく思い、否定しようとする私の心に、楔を打ち付けるものがある。……あの星だ。 その身に聖地よりの力がある者だけに見えるあの星が、聖地は確かに、ここに存在するのだと言わんばかりに今宵も輝く……」  
 朗々とした声で教皇は、一節を唱え、再び、聖地を見た。

「他の誰にも見えないものが見える、今まで見えなかったものが見える……こんなに明確な証拠はない。信じぬわけにはいかない……、崇めぬわけにはいかないだろう」
 クラヴィスもまた聖地を見た。どの星よりも美しく強いその瞬き。
「そんなもの……、卑怯だ……、聖地が、ただ見えるだけで……」
 思わずクラヴィスは呟く。
「私たち以外の者たちは、聖地の光など見えはしないのに、皆、聖地を信仰している。だから教皇の存在を崇めるべきものとして尊んでいる。たった今、聖地を卑怯だと非難したお前だが、聖地の存在を否定することまではできまい。この地の為には、水や空気のように不可欠な存在……聖地。生まれたての獣がその本能ですぐに立ち上がろうとするように、臍の緒さえも取れぬ赤子が、母の乳房に触れれば、すぐに乳を求めようとするように、我々の奥底に最初から、その存在が刻まれているのだ……聖地が。クラヴィス、教皇は、聖地からの力をその身に携えているから、聖地により近い存在となる。だからこそ、様々な疑問が心に浮かぶ。聖地とは何か? 預かりし力に何の意味があるのか? だが確かに存在するはずの聖地からは、使者も訪れず、何のご指示もない。何年も、何百年も 、いや、千年以上も……教皇は、ただ過去の記録を探り、自分なりの答えを見つけ……あるいは見つけられずに、その力を次代に託していく……。きっと何か意味があるのだと信じて」

 もやもやとして晴れない霧が、目の前にある……。そんな気がして、クラヴィスは膝を抱えて俯く。
「自分が次代の教皇となることは、お前にとっては、まだ受け入れがたいだろうが、気持ちの整理を付けねばならぬ。これはよい機会だと思うのだが少し旅に出てはどうか……と思うのだよ」
 教皇は、それ以上、考えても詮ない聖地の事から、ジェイド公の提案した墓参の件に話を換えた。
「旅?」
 クラヴィスは、顔を挙げた。
「お前、伯父さんの事は覚えているか?」
「伯父……さん?」
 一瞬、クラヴィスの表情が硬くなる。伯父と別れたのはクラヴィスが六歳になるかならないかの頃だから、顔はほとんど覚えてはいない。記憶に微かに残る伯父は、いつも酒の臭いがしていた。機嫌の悪い時には店の者や、母、そしてまだ幼い自分さえも怒鳴り散らしたり、時には物を投げつけることさえあった。 クラヴィスが無言なので、教皇はそのまま話を続けた。
「あまり覚えてはいないだろうが……。彼は既に他界し、フング荒野の鉱山地域の墓地に葬られているらしい。一度、きちんと参っておいた方が良いと思うのだ」
 良くない印象ばかりの伯父が死んでいたことに対する感慨はないが、教皇の勧めにクラヴィスは素直に頷いた。それが、教皇になるための身辺整理なのだということは、彼にもおおよその察しがついた。
「まあ、ただの旅行と思えば良い。お前はあまり教皇庁から出た事がないからな。この大陸の東の果て、あの辺りは、ほとんどが荒野で未開の地だが、それだけに手つかずの自然が続く。私も 幾度か、訪れ た事があるが、連なる山脈の麓は吹く風が壮大で、内陸部のスイズとは違う。若い時に一度、見ておくのは良いことだよ。ジェイド公が手筈してくれて、お前の共の者を回してくれることになっている」
 教皇は、クラヴィスの心を少しでも軽くしようと、少し戯けてそう言った。
「帰りにヘイア経由で戻ってくるといい」
 ヘイア国には、クラヴィスの実母の墓がある。そこにも参って来れば良い……とそういう意味合いを込めて教皇はそう付け足した。
「はい……」
 クラヴィスは小さく答えた。
「地下の書物庫にある過去の記録と、私が抜粋したものを読みなさい。自分なりの答が得られるかも知れない。幸い、私の裡にはまだ聖地よりの力が存在しているし、それが弱まった感じはしない。まだ時間はある。今までお前の為にあまり時間を割いてやれなかったが、これからはいろいろな事を話し合おう。お前が 、少しでも明るい気持ちで教皇の座に上がれるよう力になろう」
 教皇は、クラヴィスの手を握りしめた。教皇の第二子として十年前に引き取られてから、優しい言葉や眼差しで見守っていてくれはしていたが、父と自分との間に目には、見えない隔たりが存在していたとクラヴィスは思う。お互いそれはどうしようもないことなのだとあきらめていた。それが今の父の言葉で、少しづつ晴れていく……。セレスタイトを差し置いて次代を 継ぐことに対する抵抗も、教皇という存在の疑問も、自分に絡んでいる糸が少しだけ解された……父の手の温もりの中で、クラヴィスはそう感じながら、再び、聖地を見上げた。

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