第二章 聖地、見えない星

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その日の夕方もクラヴィスは、旧聖堂に来ていた。いつもならば家路を急ぐ者たちの外の世界の喧噪が洩れ聞こえてくるはずの時間だったが、休日の為、普段のような賑やかな物音がしない。クラヴィスが 、いつものように長椅子に座り、天窓から差し込む夕暮れの穏やかな光を見つめて、ぼんやりとしていると、木戸が軋む音がして旧聖堂の扉がゆっくりと開いた。 ふいに静けさが破られてクラヴィスは、驚いて振り向く。
「ああ、見つけた。やはりここにいたな、クラヴィス」
 正装に身を包んだ彼の兄、セレスタイトの笑顔があった。 クラヴィスとは、対照的な薄い金色の髪と青い瞳の青年であった。
「もうすぐ始まるぞ。各国の皆様もそろそろお見えになってるみたいだ」
 二十歳になったセレスタイトの成人の儀には、各国の要人が招待されていた。 正式の晩餐会は、前日に終わっていたが、二日目の今日は、各国との友好を深めるための気軽な宴ということになっていた。
「それにしても、二日続けてだなんてなぁ。それに、ちょっと招待客が多すぎやしないかなぁ? 一通りの客人と挨拶するだけでも何時間かかるか……」
 セレスタイトは、おどけた様子で大きな溜息をついた。
 西の大陸は、大きく五つの国に分かれている。その中でも最大の勢力を持つスイズ王国の王都の中に教皇庁は存在している。四方を幅広い濠で取り囲んだそこは特別区であり、西の大陸内にある各国の頂点に立つ象徴的存在であ った。その教皇の長子の成人の儀ともなれば、本人が望まなくても盛大なものになるのは否めなかった。
「兄上は、次期教皇だから。今回の式典はその予行練習みたいなものだと伯父上が、母上に言ってらした……」
 クラヴィスは、つい立ち聞きしてしまった事を呟いた。
「伯父上も気が早いなあ、父上は、まだご健在だぞ。その身に宿る力に何の衰えもお感じになられていないのに。それに、聖地から授かった力は、親から子に世襲されるけれど、私と決まってるわけではないじゃないか。クラヴィス、お前かも知れないのだし」
 兄にそう言われて、クラヴィスは、とんでもない、というように首を左右に振った。セレスタイトは、今上教皇と皇妃の間に産まれた長子であり、クラヴィスはそうではない。表向きは、既に他界した正式の寵妃の子ということになっていたが、教皇が、たまたま一夜を共にした行きずりの女の子どもに過ぎなかった。 五歳の時に教皇庁に引き取られることになったクラヴィスは、その事は幼い頃から既知であった。 クラヴィス自身が、教皇庁での生活や、兄と並び称される地位にいることに、いまひとつ馴染めないのは、それに由来するのだった。だが、そういった事情だけではなく、セレスタイトは、幼い時から文武両道の良く出来た子どもであり、人の上に立つ資質が備わった人物だったから、誰もが彼が次期教皇になるものと信じて疑わなかった。 クラヴィス自身も。
「そろそろ大広間に行かないと。お前は特に晴れがましい場は好きでないだろうけれど、少し我慢してくれよ」
「別に逃げ出したわけでは……」
 兄の成人の祝いが嫌でここに来た訳ではない。クラヴィスにとって、夕暮れ時にここに来るのは、日課のようなものだった。何故か心が落ち着くのだった。 その事を告げる間もなく、セレスタイトは、「判ってる、判ってる。お前はここが好きだからな。さあ、行こう」
と、クラヴィスを促して旧聖堂の外に出た。
 そこから大聖堂や大広間と言った教皇庁の中心部分となる場所に行くには、細い回廊をしばらく歩く。自然とクラヴィスは兄よりも一歩下がって、彼の背中を身ながら歩くことになる。
「実は、私も父上もこんな晴れがましい公式の宴は苦手だけれど仕方ない。母上ははりきっていらっしゃるけどな」
 少し振り返り、くすっ……と笑ってセレスタイトが言った。
「うん……」
 とクラヴィスは小さく答えた。確かに兄も父も家族の間では、公式の式典は人が多くて疲れると、愚痴を漏らすことがあった。だが、それでも式での彼らの様子は、そつのない立派なものだった。穏やかな微笑み絶やさず、どこの国の誰とでも上手く会話を合わせている。経験や年齢的なものもあるだろうが、自分はとてもそんな風に振る舞えない……とクラヴィスは思う。

 二人が連れ立って歩いてると、教皇庁の役人と衛兵が、数人の身なりの良くない男たちを引き連れて行くのに出くわした。
「申し訳ございません。晴れの日にこのようなものをお目に掛けまして。まさか裏庭にいらっしゃるとは思いもよりませんでしたので」
 役人は、慌てて身を引き、セレスタイトとクラヴィスに頭を深々と下げた。
「どうしたのだ?」
 セレスタイトがそう尋ねると、役人は身を低くしたまま答えた。
「はっ。フング荒野から東へ出ようとしていたものたちです。取り調べが済むまで牢へ連れてまいります」
「そうか……。ご苦労」
 セレスタイトは短くそう言うと、何事も無かったように歩き出した。クラヴィスもその後に続こうとして、囚われた男たちをチラリ……と垣間見た。後手に縛られ精気のない顔をして俯いている。
「最近、規戒を破り、東に出ようとするものが多いな……」
 歩きながら、ポツリ……とセレスタイトが言った。その規戒は、もちろんクラヴィスも知っている。

東の地を決して侵してはならぬ、
彼の地は、聖地の管轄である。
故に、東の地に関する総ての事は、教皇庁の指示を仰ぐべし

「昔から、見つかれば極刑に価する者たちが、東に逃れようとした例は多い。近年は、特に東部辺境のフング荒野の貴石鉱山で、一攫千金を夢見る輩同士のトラブルが続いている。 採取された鉱物を盗み、大山脈を越えて、東の大陸に渡ろうとするものがたまに現れる……、先ほどの連中もそうした者たちだろう」
 セレスタイトは、クラヴィスが先ほどの男たちを気にしているのに気づき、そう言った。
「東に逃れた所で、生きていく術はあるんだろうか……?」
 クラヴィスは兄に尋ねた。東の地は、聖地の管轄であるということは、一般の民でもよく知られるところではあった。人々の間では、聖地で必要とされる農作物を作っている田畑がある、とか馬が飼われているらしいなどという 俗説が、まかり通っていた。
「さあな。一般の説はともかくとして、東にも人は住んでいる事は確かだ。時々、風と波に運ばれて、ガザール一帯の岸に打ち上げられるものがある。それらは総て教皇庁の元に送られて調べられてはいるけれど、どれも粗野なものばかりだよ。聖地の御用で使われている土地があり、聖地に関係する人々がいらっしゃるのなら、もっと質の高いもののはずだろう。流されてくるのは、目の粗い布、原始的な道具……この西の大陸とは比べ者にならないくらい文明の遅れた地のようだ。 まだ未発達の民が住んでいるのではないか、ということだ。だからこそ聖地は、その地を保護されているのではないかと。教皇庁所属の学者はそう考えているようだよ」
「さっきの男たちは、どうなるんだろう?」
「改めて厳しく規戒を説き、その後、取り調べだ。どこの国からも手配書の出ていない者なら、教皇庁管轄の施設や鉱山などで数年の強制労働で済む。手配書が回っている者なら、その国に送還されその地で改めて裁かれるだろう」
「東の地……」
 クラヴィスは、ふと呟いた。それに反応したようにセレスタイトは、言葉を発した。
「少し前に父上に聞いた。例え、王族であろうとも、教皇であろうとも、時が満ちるまで、東に足を踏み入れてはならないのだと。父上が、お持ちになられている歴代の教皇が印した書物の最初にそう書かれているそうだ」
「時が満ちるまで……。その時が来たと、どうして判るのだろう?」
「聖地から何かご指示があるのかも知れないな。あるいは、その身に聖地からのお力を抱く教皇にだけは判るのかも知れない」
「そう…かな…」
 よく解せないままにクラヴィスは曖昧に頷いた。

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