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　 大聖堂の前を横切り、教皇一族の住居のある一角に戻った二人は大広間へと急いだ。既に、公式用の豪華な法衣を纏った教皇が、笑みを浮かべながら握手を交わしている。やや離れた所で朗らかに会話しているのは、彼の母であり教皇の妃である。彼らを中心にして取り囲んでいる要人の中に、セレスタイトは 、クラヴィスを伴って入り、遅れた詫びを言うと、朗らかに挨拶を交わし始めた。一通りの長い挨拶が済むと、皇族の為に用意してある席へと、彼らは、着席した。
　やがて楽師たちの演奏が始まった。決まった席があるわけではなく、各々が好きに振る舞って良い形式を取っているために、ひたすら豪華な食事に舌鼓を打つ者、他国との摂政に余念のない者、滅多に逢えない教皇に少しでも取り入ろうとする者などが大広間には入り乱れていた。少し経って、一通りの挨拶の列から解放されたクラヴィスは、そっと宴の席を離れ、バルコニーに出た。
　クラヴィスが、自分たちの近くのバルコニーに居ることに気づかない地方の要人の供の者たちが、噂話をしているのが彼の耳に入る。
「クラヴィス様は、十五にしてはずいぶんと背がお高い。なかなか物静かなお方のようだな」
「将来は、教皇となられるセレスタイト様を支える枢機官になられるのであろうな。寵妃の子というお立場からか、あまり表だっての席にはでられていない様子だが」
「さて、それよ。表向きは、寵妃のお子となっているが、実はどこぞの女との一夜のお戯れで出来た子という噂、本当か？」
「たとえそれが本当だとしても、尊い教皇様のお子には違いない。あまり下衆びた目で見てはならんぞ」
　何故、教皇という存在がそんなにも尊いのだろう……、とクラヴィスは溜息を付いた。確かに父は、勤勉で、思慮深く、優しい、尊敬に値する人物ではある。だが神のように崇められるほどなのか……、聖地から授けられた力があるというだけで……。そもそもその力とはどんなものなのか、それが何の役に立つというのか……クラヴィスは思いを巡らせては溜息を付く。
　そして、よくわからない、どうしようもないことなのだ、とそれ以上考えるのを止める。けれども、何かがある度に、また考える……堂々巡りとはこの事だと思いながら。 クラヴィスは、思考を変える為に空を見上げた。兄の成人を祝うかのような晴れた夜空では、星が美しく瞬いている。
「ほう、また今宵は、よく星が見えるな」
　クラヴィスの背後で声がした。父……教皇の声だった。
「父上……」
「お前は星を見るのが好きだな。たぶん、お前も星を見て、様々な事に思いを巡らせるのが好きなのだろう。嬉しい事、楽しい事、時に悲しく、辛い事、訳の解らぬ事……星は自分の心を映す鏡のようだ」
　クラヴィスと同じように夜空を見上げながら教皇はそう言った。クラヴィスは父親の横顔をじっと見つめた。
“僕と同じなんだ……そんな風に星を見ていたんだ……”
と。
「今宵も聖地は、美しく輝いている。教皇の座に就いてからは、私はそれを自分の道標と定め、見つめてきた。心に迷いのある時には必ず見つめてな。クラヴィス、お前にもそういう星があるか？　お前の好きな星はどれだ？」
　そう言われてクラヴィスは、視線をひとつの星に変えた。
「ん？　どれだ？」
「あの……、木が三本立っているあたりの真上に大きく……、中心が銀色で、金色っぽい後輪みたいなものが見えるような星……図版本には載っていないから名前は判りません」
「え……？」
　教皇は聞き返した。クラヴィスは、真っ直ぐ腕を伸ばしその星を指し示した。
「あれか……お前……いつからあの星が見える？」
　掠れた声で教皇はクラヴィスに尋ねた。その質問の意味が解せない彼は、即答できずに少し考えた後、「ずっと前から……小さい頃です……」と答えた。
　まだ実の母親と一緒にいた頃にはあれははっきりと見えていた……とクラヴィスは自分の記憶の最初の方を探る。折りに触れ回りの大人たちにその星の名を聞いた事もあったが、誰も面倒臭そうに、どの星か判らないと答えた。大人になると目が悪くなるから、見えないのかも知れない……と幼心にクラヴィスはそう思っていた。唯一、母親だけは……『見えると大変な事になるかもしれない星もあるから、その事は内緒にした方がいい……そのうち、見えなくなるかも知れないし……』と曖昧な言い方をした後、大きな溜息をついた。その時のなんとも表現のしがたい母の表情をクラヴィスは忘れることが出来ない。その事が念頭にあったので、その星の事は今まで誰にも話さずにいたのだった。
「そうか……。クラヴィス、そろそろ広間に戻りなさい」
　教皇は静かにそう言った。クラヴィスが頷いてその場を去った後、彼はクラヴィスが好きだと言ったその星を見つめ直した。
「父上」
　ふいに、教皇の背後で声がした。セレスタイトだった。
「ここにいらしたのですか？　スイズ国王がお探しになっていましたよ。リュミエール王子の竪琴の演奏が、そろそろ始まるようです」
「ああ、すぐに行く。……セレスタイト、少しこちらへ来なさい。お前……あの三本木の真上にある星が見えるか？」
　教皇は、何かに祈るように彼にそう尋ねた。
「見えませんよ。聖地ですか？　私にはまだ見えません。父上にそのお力がご健在な証拠です。聖地か……どんな星なのでしょうね。早く見てみたいものですが」
　屈託なくセレスタイトはそう答えると、「すぐにお出で下さいね、場を繋いで起きますから」と去って行った。
　彼が去ってまた独りになった教皇は、再度、その星を見た。そして、初めてその星の光が見えた時の事を思い出していた。前教皇であった父が病床について間もなくの頃、何気なく見上げた夜空に、それが燦然と輝いていた。

その身に、聖地からお預かりした力が宿る時、
その証として聖地の輝きが、
そなたの目に映し出されるであろう……
　
　伝承が、彼の心の中で繰り返される。教皇にしか見えないはずの光……聖地の瞬き。
　　“クラヴィスには、既にあれが見えるという。しかも……もっと幼い時から……あれが見えていたと……ならば、次代は、セレスタイトではなく、クラヴィスということになる……”
　教皇は複雑な想いで、夜空を仰いだ。

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