第八章 5

  
  謁見の間に、各地から集まった領主たちが控えている。彼らの耳にも、ホゥヤンに内乱があって、新しい領主にロウフォン一人がなるらしい……という噂が、既に入っていた。
 やがて元老院の者たちが入室し、その後ジュリアスを先頭に、オリヴィエ、ツ・クゥアン卿、当事者であるロウフォンがやって来ると、一同は頭を垂れてその場に傅いた。ジュリアスたちだけが 、定められた椅子に着座し、ロウフォンは、 他の領主たちと同じ場所の、一番前列に傅いた。
 ホゥヤンでの一件を、ツ・クゥアン卿が、掻い摘んで述べる。彼にとっては虚偽の部分もあり、辛い報告であったが、自らを戒める為に進んでそれを読み上げる役目をかって出たのだった。
「……以上が、ホゥヤン内乱のあらましである」
 ツ・クゥアン卿は、そう言うと、ジュリアスに後を任せた。
「よって、ここに……」
 ジュリアスはそう言葉を引き継ぎ、一同を見渡した。
「ホゥヤン領を廃領とし、ホゥヤン国を復古させるものとする。ロウフォンを王と定め、その執政の全権を託す。ロウフォン、前へ!」
 ジュリアスがそう告げると、各領主たちはざわめいた。この一件について既に知らされていた元老院の者たちは、無表情を決め込んでいるか、渋い顔をしているかのどちらかである。領主として任命されるだけと思いこんでいたロウフォンは、驚きで声も出ない。 
「一旦、支配下に置いた領土を、国に戻すとはどういう事だ……」
「そんなことがまかり通るならば、我らの領土だって。我らにも王となれる可能性が?」
 領主たちの私語が、ジュリアスたちの耳にも届いた。ジュリアスは立ち上がると、一同を睨み付け言葉を発した。  
「クゥアンは、曾祖父の頃より各国を押さえ大国となった。各国を統一すれば、狭い枠組みに捕らわれることなく、全てが栄えるという信念の元に私もまた行動してきた。だが、 中央からの目の行き届かぬのを良いことに、ここに来て、各領内には不正がまかり通り、民と痛みを分かとうともせず 、己と、己の一族の保身のみを第一に考える者たちが増えた。その領土の事を真に思い、より良い方向に導いていける自信があるならば、この場にて申し出よ。但しそれ相当の覚悟の上で。ロウフォンは、私を突き動かすだけの政策と信念を示してくれた。領主なれば 、クゥアンに指示を仰がなければならぬことが多かろうが、国王となれば別。よって私は、ホゥヤンを、ロウフォンに託した。いや……謹んでお返し申し上げたのだ。 ホゥヤンの民へ」
 ジュリアスが、きっぱりそう言うと誰も返す言葉がなかった。ジュリアスはゆっくりと歩くと、勅命を記した文書を、傅いたままのロウフォンに差し出した。それを受け取ってしまっても尚、困惑した表情のロウフォンに、ツ・クゥアン卿が小声で、「返答なさいませ」と言った。
「つ、謹んでお受け致します」
 ロウフォンはそれだけ言うと、波打つ鼓動を押さえきれず、またすぐに俯いた。
 “ロウフォンの件は、なんとか収まったね。さあ、もう一件、こちらはどう言うつもり?”
 オリヴィエは、ちらり……とジュリアスを見た。

「さて、今ここにもう一件、皆に報告せねばならぬことがある」
 ジュリアスは立ち上がったまま、言葉を続ける。ツ・クゥアン卿の頭がだんだんと低く下がっていく。それではいけないと、はっと気づいてまた顔を上げた彼に向かって、強く念を押すようにジュリアスは言った。ツ・クゥアン卿 を、次期、クゥアン国王に定める……と。
 “おや、まあ。いきなり真っ直ぐだこと。理由も何も言わずに。皆、黙っちゃいないよ”
 オリヴィエは、気づかれぬように微かに笑う。
 実際、老齢でも病気でもないジュリアスが、退位することについて、誰もが納得いかず、その理由を知りたがっているのか、謁見の間は異様な静けさに包まれたものの、次第にざわめきが聞こえ出す。
 伝説とされる西にある大陸を見定めに行く……そのために退位し、後をツ・クゥアン卿に任せる……ジュリアスは、大雑把にそう言葉を付け加えた。だが、まだ誰もが納得しがたい表情を示 している。最後尾に控えている者たちは、各々に喋り始め、それが全体に移っていく。何も退位せずとも良いのではないか……と大方の者はそう呟いた。西に行くということを 自体を懸念するものもいる。金の髪の伝説を信じ切っている者の中には、ジュリアスが退位することで災いが起きるのではと、真顔で心配する者もいた。
 元老院の者たちが、「お静まりなさいませぬか」と何度か声を掛けたが、一向にその気配はない。やがて一人の領主が、立ち上がった。
「我らは、ツ・クゥアン卿が王位に就かれることに不服があるわけではございません。西に行かれている間のことはともかくも、ジュリアス様は、まったく政から手を引かれてしまうのでしょうか?」
「西に行くまでは、もちろん今まで通り、すべき事をする。何時になるか判らぬが帰った後も、政には参加するつもりでいる」 
 皆を代表するように意見を述べた領主の言葉に、ジュリアスはそう答えた。
「ジュリアス様のご身分は、どうなりますのでしょう? ジュリアス様が、無位無官になられることに我らは抵抗があるのですが……」
 さらに彼は言った。
“ほらね。ジュリアス……貴方ほどの人が、ただの文官や執政官なんていうだけではすまないんだって。かといって、また王子に戻るなんて、どう考えてもマヌケじゃないか。貴方はそういう所に頓着しないけれども……”
 オリヴィエは心の中で呟く。ジュリアスにもその事は言った。だが彼は、“クゥアンの王族……であることには変わりない。それで充分だろう”と 取り合わなかったのだった。
 ジュリアスは、オリヴィエにしたのと同じような返答をしようとした。だが、彼よりも先に……。
「皆、静かにせよ。ジュリアス様は、クゥアン国王を退かれるだけだ!」
 ツ・クゥアン卿は立ち上がって、そう一喝した。そして、オリヴィエを見た。オリヴィエは、その視線を受けて頷く。
「私はクゥアン国王となるが、ジュリアス様は……この大陸全土の王……皇帝となられるのだ」
 ツ・クゥアン卿が、そう言い放つと、ジュリアスは驚いて腰を浮かせた。ジュリアスの横に座っているオリヴィエが、肘掛けに置かれたジュリアスの手を、“待って”とばかりに押さえ込んだ。 そんなジュリアスを余所に、領主たちは、“ああ、そういうことなのか……”と、すんなり納得した様子になった。
 皇……威光を放つというその言葉の意味を冠に抱く王、王の王……ジュリアスにとっては、大それた呼称としか思えなかったが、その場にいる誰ひとりとして異議を唱える者はいない。シン……と再び静かになり、ツ・クゥアン卿が、この謁見の終わりを告げようとした時、緊張した面持ちで立ち上がった領主がいた。 
「も、申し上げます。あの……この大陸全土の皇帝……と仰いましたが、ホゥヤンは別としてもモンメイは? そのような宣言をされては、モンメイとクゥアンの同盟関係は大丈夫なのでしょうか?」
 中列にいた領主が、オリヴィエを気にしながら心配そうにそう言った。両国が戦いに入れば、モンメイに近い位置にある自分たちの領地も、間違いなく巻き込まれ 、真っ先に戦場となるのを懸念しての発言だった。
 ジュリアスの手を押さえ込んでいたオリヴィエが、その領主に向かって悠然と微笑みながら答えた。
「案ずるでない。この事は、モンメイ国王にして我が兄も承知している」
 ジュリアスは、オリヴィエを見た。澄ました顔をしたオリヴィエは、にやりと笑うとすぐに視線を正面に向けた。 オリヴィエの言葉に、その領主は、「おお……ならばなんの心配があるでしょう。取り越し苦労をして申し訳ありませんでした」と一礼した。
「謁見は以上である。追って、正式な文書が通達されるであろう。皆の者、ご苦労であった。宴の用意が整うまで、各自、ゆるりとせよ。衛兵! 領主の方々の案内を! 我らは今しばらくここい残る故、遠慮無く退室されよ」
 ツ・クゥアン卿は畳みかけるようにそう告げた。ぞろぞろと退室してゆく領主の後姿を見つめながら、ジュリアスは、「計ったな……そなたたち」と呟いた。
「文句なら隠蔽罪を犯した自分にどうぞ」
 オリヴィエは、楽しそうに鼻先で笑い、そう言った。
「よくも抜け抜けと。何故、前持って言わなかった。肝が冷えたぞ」
「自分だってロウフォンに、王位の事は言わなかったじゃないの」
「言えばロウフォンは、頑なに辞退するだろうからだ」
「それと一緒だよ。頑固な人間を黙らせるのには策略が必要だからね」
 ジュリアスとロウフォンを交互に見て、オリヴィエは言った。
「それにしても皇帝などと!」
「ジュリアスにとっては、面白くないことかも知れないけれども、皆……特に民たちは、貴方の存在を神聖化しているんだよ。貴方がいるからこの国は栄えていると信じ込んでいる。貴方の能力や、城の皆の努力以前にね。象徴としての存在でもいいんだ。貴方がこの国の、この大陸全土の王として存在しているというだけで安心するんだよ 。それに……ツ・クゥアン王も少しは気が楽になるだろう。だから兄様にすぐに連絡を取って了解を得たんだ。この事を昨日、ツ・クゥアン王に告げたら、涙を流して感謝されちゃったよ」
 オリヴィエが、そう言うとジュリアスは、もうそれ以上何も言わず、今度は彼から、オリヴィエの手を取った。そして、無言のまま、握りしめた。礼を言うように。
「終わったね……この一件、とりあえず収まったよね。後はオスカーさえ元気になってくれれば……」
 溜息の混じったオリヴィエの呟きに、ジュリアスは頷く。二人の心がようやく穏やかになりつつある時、そのすぐ側で、ロウフォンとツ・クゥアン卿が、額に汗を掻き 、まだ緊張していた。形の上では、確かに丸く収まったように見えるものの、この後に続く道程こそが試練だと分かっている彼らは、無言のままでその場に座 り込んでいる。だか、悪い脱力感ではない……と二人とも思っていた。

■NEXT■
 

 『神鳥の瑕』TOP