「ツ・クゥアン卿、そなたをクゥアン国王に任命する」
三度目の沈黙…………。誰も何も言わない。
“聞き違えたか?“
ツ・クゥアン卿とオリヴィエは、チラリとジュリアスを見た。
「君命を二度、言わせるつもりか? 返答はどうしたのだ?」
ジュリアスは、そう言うと黄金の長上衣を拾い上げ、呆けたように座り込んでいるツ・クゥアン卿に押しつけた。
「な、何を、血迷って……」
無理矢理、受け取らざるを得ない形になったツ・クゥアン卿が言った。
「血迷ってなどおらぬ」
「わかりませんっ!」
ツ・クゥアン卿は、理解しがたいジュリアスの言動に対する救いを、オリヴィエに求めた。だか、彼は澄ました顔をしている。
「なるほど……ね。死よりも重い刑をね……」
感の良いオリヴィエは、腕を組んで納得したように頷いた。
「オリヴィエ様! 王は、混乱しておいでになる。私のせいで。どうか、改めて処刑を言い渡してくださいますよう。私は謹慎しております故。決して逃亡などいたしません。もしくは、短剣をお持ちならばお貸し下さい。この場にで自害を……」
「ツ・クゥアン卿。そなたを王にとは言ったが、正式にはまだだ。今、しばらくはまだせねばならぬことがある」
ツ・クゥアン卿の言葉を無視してジュリアスは言った。
「お願いだ、何故、何故だ……何の意味があってそんな事を」
哀れなまでに取り乱している彼の側に、ジュリアスはしゃがみ込んだ。
「意味はある。私にはそなたが必要なのだ、伯父上。そなたの代わりはおらぬ。私以上に、この国を知り、愛し、我が身の事以上に想える人物は、この世にそなたしかいない。だから、私は、隠蔽する」
「隠蔽……? そんな事が出来るものか。ホゥヤンに派遣していたクゥアン領主が死んでいるのに……それにロウフォンやオスカーがそれを許すはずがない」
「クゥアン領主は、不正を働いていた。事が公になれば、一族の者たちも困るであろう。泉の館の火事に巻き込まれたとして納得させよう。ロウフォンとオスカーについては、私が説得する。ホゥヤン領主については許さぬ。だが、そなたを処刑しない以上、彼に死をもって償わせることは
出来ない。命だけは取らぬ」
「馬鹿な……そんな事をして……私を王にして……そして、御身自身はどうするつもりなのだ?」
「私は……私は西へ行く」
通常、西と言えば、モンメイを誰もが思う。オリヴィエが横に控えている状況では尚更、西とはモンメイを差すと思うのが当然だった。だが、ツ・クゥアン卿は違った。
「あの山脈を越えるおつもりか? あ、違う。船だ……あの大船。湾岸一帯との交易に使うには頑強すぎると思っていた……魔の海をあれで越えようと……」
ツ・クゥアン卿が呟いた言葉に、ジュリアスは反応する。
「西と聞いて何故、即座に?」
「いつの頃からか西ばかり見ていた。遥か彼方の大山脈の見える中原の端に行った時は必ず。モンメイを制覇しこの地にある全ての国を治めるつもりなのだと思っていたが、事実上、モンメイを掌握した今、西に目的があるならば、それはあの大山脈の向こうとしか」
「そうだ。私は西に何があるか確かめに行くのだ。船はじきに完成する。帰還の保証もない旅路だ。私の代わりにこの国を治める者が必要なのだ。オスカーに、インディラ港に立ち寄らせて船の出来具合を確認して貰ってから、そなたにこの事を告げようと思っていた。そして私の代わりにこの国の王になって欲しいと頼むつもりであった」
「前に、王であるジュリアスが、宛てもない西に行くなんて大変な事だ……と言ったら、考えている事がある、って答えたのは、この事だったんだね」
オリヴィエが言うとジュリアスは頷いた。
「だが……事件を隠蔽するなどと……」
「では問う。クゥアンを、私とそなた以外に誰が王になれるのだ? 太祖より脈々と受け継がれたこの王家の血筋の中に、安心して任せられる者がいるのか?」
ジュリアスに強い口調で言われ、ツ・クゥアン卿の心に浮かんだ数人の者の顔が薄れていく。元老院に所属しているその者たちはいずれも、自分よりも年上で、己と己の家族の保身が第一と考える者たちであった。その子は働き盛りの壮齢ではあったが、せいぜいが領主止まりで、とうてい王の器ではない。自分の長子すら王としてどうかと問われれば、今は否と即答出来る……と彼は思った。
「いっそ、リュホウやロウフォンにこの国を渡すか? いずれも立派な人物だぞ」
ジュリアスは、わざとそう言った。
「そんなことは……」
どう答えていいか判らず、まだガクリと俯いたツ・クゥアン卿の側に、オリヴィエが歩み寄った。
「もう貴方はジュリアスに従うしかないんだよ。ワタシとジュリアス、それにオスカーはどうあっても西に行って確かめたいことがあるんだ」
オリヴィエはそう言うと上衣の襟元から手を入れ、鎖を引き上げた。するすると例のあの薔薇色をした石の付いた首飾りが出てくる。
「これをご覧……」
オリヴィエにしゃがみ込まれて、目の前に差し出された首飾りをツ・クゥアン卿は見つめた。
「これが……あの……何か?」
判らない……と言うようにツ・クゥアン卿は、オリヴィエとジュリアスを交互に見た。そしてジュリアスの方を見上げた時、彼の肩先に着いている肩飾りの石に目を止め、「あ」と小さく叫んだ。
「このラピスは、そなたも知っているだろう。太祖より伝わるものと。それとオリヴィエが持っているものはまったく同じ装飾枠だ」
「これはワタシが捨てられていた時に身につけていたもの。どうして同じ大きさや金枠なのか、その答えは西にあるんじゃないかと思ってね」
「さらにもうひとつ……。オスカーもこれと同じ枠を持つ石を持っている。ロウフォンの話では、オスカーの為に彼が、インディラの市で手に入れ、訳あって長らく手元を離れていたもののだが、紛れもなくオスカーのものだ」
「偶然にしては出来すぎた話だ……」
ツ・クゥアン卿は、そう呟き、もう一度、二人の宝飾品を見比べた。
「だからどうあっても私は西に行きたい。伯父上、お覚悟を」
ジュリアスはそういい、床に座り込んだままのツ・クゥアン卿に手を差し伸べた。
「だ、たが……私は……」
まだ困惑しているツ・クゥアン卿を、ジュリアスはじっと見た。
「これよりただちにホゥヤンに向けて第一騎士団を送る。ホゥヤン領主の地位剥奪、以降、クゥアン監視下に禁固することを言い渡す。伯父上、そなたは元老院の者を招集し、この一件を、あくまでもホゥヤン領内での内乱として説明せよ」
ジュリアスの言葉に、一言も返せず、差し伸べられた彼の手を、ツ・クゥアン卿は取った。引き上げられ立ち上がった彼に、ジュリアスは黄金の長上衣を拾って押しつけた。
「私はもう二度と黄金の袍は身につけぬ。そなたの即位式までこれを預けておく」
「ジュリアス……」
「今、せねばならぬことをそなたは知っているはずだ。私もまた……王として最後まできっちりと片をつけねばならぬ」
ジュリアスは掛け台から長剣を取り、立ち尽くしているツ・クゥアン卿を残してその場を立ち去った。オリヴィエがその後に続く。謁見の間の扉を開け放つと、冷たい外気が彼らを包み込んだ。扉前に立っていた兵士が慌てて一礼する。
「ジュリアス、寒くない?」
長上衣を着ていないジュリアスにオリヴィエは声を掛けた。
「寒い。身も心も。それに随分疲れた。酒でも飲んで部屋に籠もって寝ていたい」
足早に歩きながらジュリアスは答えた。
「おや……貴方でも愚痴を言うんだ」
「人を何だと思っている」
「自分にとって都合の悪い事を隠蔽する悪い王様」
オリヴィエは少し笑いながら答えた。
「そなたも共犯だ」
「そうだね……でも良かった。事態がはっきりしたからね」
「ロウフォンに説明せねばなるまいな……納得しがたい事だとは思うが」
「彼なら判ってくれるよ、きっと。それよりツ・クゥアン卿のことだけど……」
「オリヴィエ、血は水よりも濃い……とも血は汚い……ともいうが本当だな。私にはどうしても伯父上を、切り捨てることが出来なかった。他の者ならば躊躇なく断罪したであろうに……」
「言えば命の保証はないのに彼は自供した……それでもういいじゃない。たぶん、ジュリアスは、他の誰であっても悔いている者を無下に断罪したりはしなかったと思うよ。それに……」
「何だ?」
「貴方が彼に科した罰は、本当に過酷なものだよ……ツ・クゥアン卿の性格を思えば」
「そうだな……私は卑怯だ……」
「ツ・クゥアン卿も判ってくれるよ……」
「そなたと話していると、なにか……罪を犯したのが自分のような気になってきた」
「だから、隠蔽罪だよ」
「言わないでくれ。また部屋に籠もりたくなってくるから……」
「弱気だこと……まだこれから、事件の大団円を迎えなきゃならない。しかも、良い方向に持っていかなくちゃなんないんだよ。貴方に残された仕事だ。西へ行く前のね」
「王として……溜息が出るな」
先ほどからジュリアスらしからぬ発言が続いている。だが言葉とは裏腹にジュリアスの足取りは軽い。
「先が見えれば後は進めば良いだけ……貴方にとっては簡単な事だよ。何かあるかわからない西へ行くよりは。判ってるんでしょうに」
オリヴィエにそう言われてジュリアスは頷いた後、風に乱れた髪を掻き上げた。
そして「後は……オスカーか……」と、小さく呟いた。
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