第七章 7

  
「証拠はございます。ここに……」
 ツ・クゥアン卿は、己の胸に手を置いた。真っ直ぐにジュリアスを見ている目は、力強く凛としている。
“こんな顔が出来る人がどうして……、どうしてこんな事を……”
 何かが吹っ切れたような清々しさ、美しささえ感じられるその横顔に、オリヴィエは溜息をついた。

「すまない……ジュリアス……」
 ツ・クゥアン卿が、ポツリ……と呟いた瞬間、ジュリアスが玉座から立ち上がった。オリヴィエが止める間もなく、ツ・クゥアン卿に、ジュリアスは迫ると、彼の上衣の袷を掴んだ。
「伯父上! 何故だ! 何故、オスカーを陥れようとした?」
 ただ激情にかられるままに、そう叫ぶジュリアスの姿に、オリヴィエは、むしろ、ほっとするものを感じていた。昨年の暮れから、事件を知った時から、ジュリアスはずっと静かだった。昨日、ラオの口からツ・クゥアン卿の名が出た時も、さして動じた様子もなかった。不自然なほどに。今、堰を切ったようにツ・クゥアン卿に食ってかかる彼の様は、ジュリアスの内部に溜まった緊張が、一気に解き放たれたようだった。それまで王と側近という形を頑ななまでに守っていた二人が、伯父と甥として向き合っている……オリヴィエは、ツ・クゥアン卿が剣を携えておらず、ジュリアスもまた剣を玉座の横に立て掛けたままである事を確かめると静観することにした。
「かっての事でそこまでオスカーを恨んでいたとは思えぬ。本当の目的は何だ」
 ジュリアスは再度、声を荒げた。ツ・クゥアン卿は答えない。
「私か? あの玉座の為か!」
 そう叫ばれて、ツ・クゥアン卿は目を伏せた。そして小さな声で「そうだ」と答えた。
「何故、ロウフォンやオスカーまでも巻き込む? まだ私の寝首を掻く方がましだ」
 ジュリアスは、ツ・クゥアン卿の上衣を放しそう言った。突き放されて、椅子から落ちた彼は、その場に座り込んだまま、ジュリアスを見上げた。
「ジュリアスよ、お前は知らぬだろう。私が二度も王の座を逃した事を。この歳になってまでそのことを根に持っていたつもりはなかったのだが……魔が差した……。都合の良い言葉を借りればそういうことになるのだろうな……」
「知っていた。誰かが噂していたのを聞いたことがある。幼かった私は、それがどういう意味であるか、貴方がどのような気持ちであったかを推し量ることが出来なかった。だから長じてそれが判った時、そなたに恥じぬよう立派な王になろうとした。武術に優れ、政に長けた貴方は私の目標であった。父亡き後は、なお」
 そこまで言うとジュリアスは、ツ・クゥアン卿に背を向けた。

「私とホゥヤン領主とは若い頃からの付き合いだった。私がまだこの国の王子であった頃からの。遊学にクゥアンに来ていた彼の私に対する第一声は、こうだ。
『君、妾妃の子なのに次代の王になるのか? いい国だなクゥアンは』
 
……失礼なやつだと思いながら、私は彼に惹かれて行った。ホゥヤンの第二王子でありながら奔放……だが、芸術に造詣が深く、一緒にいると楽しかった。良き王になるため、クゥアンの太祖の血筋に恥じぬよう、堅苦しく生きてきた私のたがを、彼は時々外してくれた。こっそり城を抜けだし城下の町で朝までいたこともあった……。やがて、私が、ツ・クゥアン卿と呼ばれることになった時も、彼だけが、私に明け透けに物を言った。
『そうなるとは思っていた。まあ、いいじゃないか。王なんて、立派であることだけを望まれて窮屈なだけだ』
 
と。のらりくらりといい加減なところのある男だったが、彼は、心の奥底にいる私を、引き出してくれる唯一の人物だった」
 自嘲しながらツ・クゥアン卿はそう言い、ゆっくりと立ち上がると自分の椅子に腰掛けた。
「この一件は、ホゥヤン領主にそそのかされた?」
 オリヴィエが尋ねると、ツ・クゥアン卿は頷いた。
「ホゥヤンがクゥアン領となり、領主に担ぎ出された彼は、次第に書簡で愚痴を書いてよこすようになった。クゥアンから来た領主は、五元盤が出来るだけが取り柄だとか、ロウフォンは二言目には、元王族であらせられるのだからと五月蠅い……だとか。こんな事になるなら、いっそ自分一人が領主になって、後は出来る臣下に任せた方がいい。なんとかならぬか……と。それがそもそもの始まりだった。その頃、こちらでは、モンメイ侵攻が始まり、ジュリアス王の代理として、国内と他の領地についての全権が私の手の中にあった。
『良い機会ではないか。留守の間に王座に座ってしまえ。刺客でも送り、モンメイ戦火のどさくさに紛れてジュリアスを亡き者にしてしまえばよいのに』
 
と彼は書簡に書いてよこした。ジュリアス王がオリヴィエ様を連れて城に戻ってきたと知った時も……」
 深い溜息をつき、ツ・クゥアン卿は、オリヴィエに対して詫びるように目を伏せた。
「何て書いて来たんだい?」
「……『運が向いてきたじゃないか。申し分ない婿殿がやって来たな。あのオスカーと言ったかな、ロウフォンの息子との縁組みが流れた事だって、今となれば意味のある事だったじゃないか。上手くやれよ』
 
……と。ますます状況が悪化していくホゥヤン領内の政と私の事、それらを絡ませて彼は、芝居の筋書きを考えるように、打開策を書き綴ってよこした。途方もない事を言うな、滅多な事を言うものではない……と窘める返事を書きながらも、私は心の何処かで、彼の作った筋書きに心を動かされていた。ロウフォンから再三に渡って送られてきた報告書の内容を改ざんしてジュリアス王に渡していたのは、旧知の仲であるホゥヤン領主の為というよりは、私自身がまだ夢を見ていたかったからだと思う。 そして歳の暮れにオスカーが、南の領地に視察に行くことを知った私は、ホゥヤン領主に書簡を送った。
『南の領地で不正の動きがあるという噂が王の耳に入り、オスカーが出向く予定が入った。道すがら、帰路にホゥヤンにも立ち寄り視察させるつもりかも知れぬので、そなたの身の回りも気をつけておけ』
 
と。それさえも本来ならば告げてはならぬことだったが、不正を働いているというクゥアン領主の事がはっきりと暴かれ、クゥアン領主の更迭が行われれば、ホゥヤン領主の気持ちも変わるかも知れない……そんな期待があったのだ。だが、彼は、自分の作った 筋書きにオスカーを組み入れてしまった……。それは私にとってもこの計画を実現する為の切り札のように思われた。オスカーは、今のジュリアスにとって要になっていると私は思った。その彼がいなくなれば……と。さらに……。ホゥヤン領主やロウフォンからの書簡のやり取りは、ある文官を通していたこともあり、私は彼にこの計画の一部を打ち明けた。私は彼がオスカーに恨みを持っていることを知っていた。愚かな逆恨みだが、オスカーがクゥアンにやって来なかったら今頃は騎士として、また王の側近として名を挙げていただろう男だ。彼は私と同じくらいこの計画に乗り気になった。そして元老院の中の、オスカーが頭角を現すことに不安を抱いている者たちにも 協力するようにしてはどうかと私に助言した。今の元老院の体勢が崩れることを怖れる、王族とは名ばかりの血の繋がりのほとんどない者たちは、私の臣下に入っているも同然だったから御しやすい。私は私の回りに全ての条件が整いつつあると思うようになった。私はこの文官をオスカーが立ち寄るであろう駐屯地に出向かせ、ホゥヤン領主にオスカーを見張るように指示した。後は……恐らくロウフォンの言う通りに事は運んだ」
 そこまで一気に話したツ・クゥアン卿は、喉を枯らせて咳払いをし口元に押し当てた手を、そのまま額に持っていっていき俯いた。
「死人に口無し……とはならなかったわけだね……。ツ・クゥアン卿、ロウフォンが生きていた事は、まだホゥヤン領主の耳にははいっていない。彼にとっては、まだ計画は続行中な訳だ。ジュリアスにホゥヤンに向かわせてどうするつもり?」
 オリヴィエは見切ったように冷ややかな目をして言った。
「馬の遠出に誘い、頃合いの崖から……。だか、誓って言う。私はジュリアス王の死まで願ったわけではなかった。オスカーの死に衝撃を受けた王が、しばらくの間、政を退き、代わりに私が、数年ほど王座につければ……と」
「たった数年の王座? そのためにオスカーを殺してもいいと?」
 オリヴィエは、恐ろしいほどに低い声を出してそう言った。
「孫が産まれた……あれほど可愛いものだとは驚いた」
 いきなりそう言い出したツ・クゥアン卿に、オリヴィエは呆れた顔をして「それがどう関係があるんだい?」と呟くように言い捨てた。
「祖父はこの国の王であると……言えたなら……なんと愚かな、愚かなことだ……。それで判った。父は……ジュリアスが産まれてどんなに嬉しかっただろう。普通の孫であっても可愛いものなのに、それが、伝説のクゥアンの太祖と同じく、金の髪、青い目を持つとなれば……。一度は私に王を継がせると約束してくれた言葉が翻ったとしても、もう父を、自分の不運を恨むまいと。だだ、恨む代わりに、巡ってきたこの運気を利用しよう……と思ったのだ」
 ツ・クゥアン卿の目から涙が落ちた。
 そして、「この場での断罪は覚悟しております。私の一族も追ってそれなりの罰が下されるでありましょうが、オリヴィエ様、どうか、私の妻によろしくお伝え願えますでしょうか?」と言った。
 オリヴィエは頷く。そしてジュリアスの言葉を待った。再び長い沈黙が、謁見の間を支配する。
「ジュリアス?」
 オリヴィエは、待ちきれず、ずっとツ・クゥアン卿に背を向けているジュリアスに声をかけた。ゆっくりとジュリアスは歩き、玉座の背もたれに触れた。祖父の代に新調され、父、そして自分が座り続けてきた王の椅子である。彼は指先をそこから離し、キュッと握りしめた。そして、振り返った。
「覚悟はできていると? それならば、ツ・クゥアン卿、そなたに刑罰を言い渡す」
 謁見の間に、ジュリアスの声が響いた。
「は」
 ツ・クゥアン卿は椅子から立ち上がり、すぐに、床に平伏した。
「いかなる刑であろうとも、それを受け入れる覚悟なのだな?」
 ジュリアスは彼を見下ろして言った。
「はい。言い残す言葉もございません……言い残す資格もありません……」
“ジュリアス、いいのかい? この場で、だなんて……。本当に断罪してしまうつもりなの? 確かに彼のした事は断罪に価する。オスカーの意識だって戻ってない……けれど……けれど……”
 オリヴィエは、ジュリアスを見た。先ほどの感情の露わな顔付きとは、うって変わった表情をジュリアスはしている。だが無表情というわけではない。王として決断を下さねばならない時の冷酷な目をしているわけでもない。
「オリヴィエ。そなた、只今からの詔の証人となってくれるな?」
 ジュリアスは、オリヴィエに向かってそう言うと、口端を微かにあげて同意を求めるように微笑んだ。
“何なんだろう、この微妙な微笑みって? ……こんなジュリアスは見たことがない……”
 そう思いながらも、小さく頷いたオリヴィエだった。ジュリアスはそれを確かめると、ツ・クゥアン卿の前へと数歩、足を進めた。
「私は、死よりも重い刑をそなたに言い渡す」
 一瞬、ピクリ……とツ・クゥアン卿の肩が震えた。ジュリアスは長上衣を脱いだ。王のみが着る事を許される黄金の長上衣が、バサリ……とジュリアスとツ・クゥアン卿の間に落ちた。

■NEXT■

『神鳥の瑕』TOP