第七章 6

  
 謁見の間の前に兵士が一人立っている。彼は、ツ・クゥアン卿がやって来たのに気づくと直ぐさま扉を開けた。数百人ほどの者が同時に入れるこの部屋は広く、天井も高い。それを支えている十本の円柱には細かな蔦の模様が彫られている。扉から真っ直ぐ正面、床から数段高くなったところに玉座がある。その横、やや斜左下にもう一客椅子が置いてある。以前には無かったものだ。ジュリアスとともに謁見を受けることが多くなったオリヴィエの為の椅子であった。ジュリアスとオリヴィエの椅子から、右に控える位置にツ・クゥアン卿の椅子があった。現在、この謁見の間に自分の椅子を持つのは、三人だけである。ツ・クゥアンは椅子に腰掛けて、室内を見渡した。
 配下の者たちが傅くこの場所で、かって、この国の王子として座っていたことを彼は思い出していた。
 中央に父、右に弟であるジュリアスの父、そして左に自分。ツ・クゥアン卿は、今はジュリアスの物となった玉座を見た。

“初めてジュリアスがそれに座った時、足が浮いていたな……。それが恥ずかしい事に思えたのか、つま先を懸命に伸ばしていた。ああ……ジュリアス……ジュリアス王よ、私は……”
 ツ・クウァン卿は、頭を抱え、目を瞑った。ホゥヤン領主との書簡のやりとりの内容が脳裏に浮かんでくる。

『……それが、王は思ったより手強い。一時はかなり参っていると思われたのに、オリヴィエ様が彼を支えているらしく、寝込む様子もなく、自暴自棄になることもなく、淡々と執務をこなしている……。具合の悪いジュリアス王に代わって、私が当分の間、執政を取り、人望を集めた上、彼を失脚させるのは難しい』

『……ほら見たことか。お気に入りの騎士の一人がどうにかなった程度で参ってしまうような柔なヤツじゃなかったんだ。予定変更だ。いいか、筋書きはこうだ。ともかく、私一人にホゥヤンを任す命をジュリアス王に書かせろ。そうすれば、新しい領主を正式に命ずる形になるから、王はこちらにやって来るだろう。後は任せるがいい。とびきりの馬を用意して持てなしてやるぞ。ホゥヤン見物の遠出に誘おう。打って付けの崖がある。ロウフォンもオスカーの遺体も確認できないからとびくびくするよりは、とっとと根本を始末してしまった方が話は早いじゃないか……』

“ああ……なんて卑怯なことに私は荷担しようと……いや、違う……荷担ではない……首謀だ……。確かに言い出したのは、向こうだ。だがヤツは、国を取り戻したり、大きくしようなどという野望もなく、詩人や絵描き、音楽家などを抱えて、宴を毎夜、心おきなく繰り広げたいだけだ。ジュリアス王が死んで、多大な恩恵を預かるのは私なのだ……。ジュリアス王は、明日にでもホゥヤンに出向くつもりだろう……今なら、まだ間に合う……総てを打ち明けて……。だが……私は死を覚悟せねばならない。私だけでなく私の子は、長子は流刑は免れまい。先だって生まれた孫には情けを掛けてくれるだろうか……。嫁いだ娘たちは辛い思いをして婚家で生きてゆかねばならないだ ろう……”
 ツ・クゥアン卿の額に汗が滲む。

 その時、扉が開いた。ジュリアスとオリヴィエが連れ立ってやって来た。ジュリアスは、兵士に向かって、人払いの合図を送り扉を閉めさせた。広い謁見の間に、たった三人だけが残される。ジュリアスは、足音を響かせて、まっすぐに玉座に向かった。ツ・クゥアン卿は額の汗を拭い、椅子から立ち上がると頭を垂れて、王を出迎えた。玉座の前で、ジュリアスが振り返る。腰に携えた長剣を掛け台に収めると、長上衣の裾をさばき 、着座する。ツ・クゥアン卿は、ジュリアスとオリヴィエが、座ったのを確かめてから、彼らと向かい合える形に、椅子の位置を少しずらして、自らも着座した。
“王か、死か……ならば、もう仕方のないことか……”
 ツ・クゥアン卿は、顔をあげてジュリアスを見た。
「ホゥヤンへはいつでも行ける手筈は整えました」
 声が震えている……と思いながら彼はそう言った。
「そうか。ご苦労であった」
 ジュリアスは無表情で少し考える風をした後、ツ・クゥアン卿の方を向き、静かに「だが……」と言葉を続けた。
「は?」
「あのホゥヤン領主は、やはり領主には不向きのようだ。彼は詩人になるべきであった」
 ジュリアスの言葉に、ツ・クゥアン卿の心臓が高鳴った。
“どういう意味だ……まさか?”
 返事のない彼に、ジュリアスがさらに言った。
「ロウフォンは生きていた」
「え? 一体、どこに……」
 思わずツ・クゥアン卿の腰が椅子から浮いた。
「それは今、答えるわけにはいかぬ。ロウフォンの話と、ホゥヤン領主の話は随分、食い違うようだな」
 ツ・クゥアン卿は何も言えず、だだジュリアスの口元を見ているのがやっとだった。
「南の領地から帰りに立ち寄った駐屯地で、オスカーをホゥヤンに向かわせた者がいる。私の命だと偽って。たまたまオスカーがコツにその事を書き、第一騎士団の者に送っていたのだ。それがなかったら……ホゥヤン領主の良く出来た作り話に危うく騙されるところであった」
 ジュリアスがそう言った時、ツ・クゥアン卿は、刺すような視線を感じた。始終無言のオリヴィエが、冷たい目をして彼を見ていた。
「ロウフォンも、私も、オリヴィエも、考えた末に、オスカーを陥れようとした人物に辿り着いた。だが、物的な証拠は何ひとつない。状況証拠しかない」
 長い長い沈黙があった。そして、俯いていたツ・クゥアン卿が、ゆっくりと顔をあげた。

■NEXT■

『神鳥の瑕』TOP