第七章 2

  
  ラオの執事は言われた通り、馬を走らせ城に向かった。門兵は、彼をラオと使いと認め、執事が、オリヴィエの居る塔までの案内を乞うと、それを承諾した。
「今、しばらくここで待たれよ」
 案内役の門兵は塔の前でそう言い、馬を降りると、執事を待たせたまま、一旦、塔の中に入った。しばらくして、門兵は執事を連れて、塔内に入った。階段を上がり、塔の三階、一際立派な扉の部屋の前に着くと門兵は、「ラオ殿の使いを連れて参りました」と声をあげた。中からオリヴィエの側使いによって扉が開かれる。執事と門兵は、その場に膝を突き頭を垂れ、オリヴィエの目前に進んだ。
「良い。顔を挙げよ」
 オリヴィエは、ゆったりと腰かけたままそう言った。内心では、ラオの使いが何なのか一刻も早く知りたくてたまらなかったのだが。
「はい。湯治場に行っておりました我が主が先刻戻りましたのですが、道中の疲れが出ていたところに、先刻よりのこの冷え込みで、腰の激しい痛みに苦しんでおります。モンメイ産の薬が、事の他良く効くと申し、そろそろ夕餉をなさるであろうこのような時刻ですが、オリヴィエ様にぜひとも頂戴致したく……」
 執事はそう言うと再び、頭を垂れた。オリヴィエの方は黙ってそれを聞いていた。そんな薬は存在しない。ラオの作った嘘である。自分に目通りを願うための方便なのだと、すぐに理解したオリヴィエだった。

「まったくラオにも困ったものだね。湯治に行ってて腰を痛めて戻ってどうするんだい。ええっと、薬はどこの引き出しに仕舞ったのかな……」
 そう言いながらオリヴィエは、執事の様子を探った。やや上げた顔の視線に落ち着きがない。自分の直ぐ横にいる門兵と、後に控えている側仕えの方をチラチラと見ては困ったような顔をしている。
“彼らの前では言えないんだ……” オリヴィエは彼の表情をそう読んだ。
「お前、ワタシが薬を探している間に、この者に暖かい茶でも持って来てあげて。ラオの為に、よほど馬を飛ばして来たんだろう、唇が、からからに乾いてる。私の分も頼むよ」
 オリヴィエは、側仕えにそう言った。
「い、いえ、そんな……」と言いながらも執事は、オリヴィエの配慮が判ったらしく、「あ、ありがとうございます」と上擦った声で言い、床に頭を擦り付けた。
「それから、門兵。お前、すまないけれど、ジュリアスの所に使いを頼む」
 オリヴィエは続いてそう言った。
「は、ジュリアス様の所へでございますか?」
「ああ。お借りしていた書物を夕刻までにお返しする約束でしたけれど、まだ読み終えておらず、後でお持ちしますので……と伝えてくれるかい? 急ぎの資料だったので待ってるといけないから」
 オリヴィエは、そう言うとたまたま側にあった本を見せながらそう言った。
「承知いたしました」
 門兵と側仕えが、部屋から消えると、オリヴィエは執事の側に駆け寄った。
「ご配慮ありがとうございます」
「で、ラオは?」
 床に着けたままの彼の頭を、引き起こさせてオリヴィエは、問うた。
「先刻、客人を連れて戻られました。申し訳ありませんが、館までご足労願います……」
「客人? それは誰?」
「お名前はまだ聞いておりません。大事な客人としか。行商人のお姿をなさっていました。ラオ様よりはお若く……ツ・クゥアン卿と同じくらいのお方で、ラオ様は、疲れて先に腰掛けてしまった事を、その方に詫びられましたから、身分あるお方かと。それと肩にお怪我をなさっておりました」
「判った。なんとかして出向くよ。すぐにでも行きたいけれど、夕餉の後、ツ・クゥアン卿との謁見の約束が入ったから、その後になる。少し遅くなるかも知れないけれど、必ず行くと伝えて」
「はい、では失礼致します」
 執事は、立ち上がった。と同時に扉が開き、側仕えが、茶の用意を持って戻ってきた。
「お待ち。お茶を飲んで行きなさい。そこの椅子に掛けていい」
 オリヴィエはそういうと、窓辺に行き、陽が落ち、暗くなってしまった外を眺めた。
 執事は立ち上がり、言われた通り、椅子に座ろうとして、オリヴィエの後姿を見た。年越の祭の時にチラリと、オリヴィエを見ただけの彼にとっては、初めて見るも同然の彼の姿である。さらりとした金の長い髪をゆったりと束ね、豪奢な上衣を軽く肩に掛けて窓辺に立っている姿と、一介の執事にしか過ぎない自分に対する暖かい言葉は、彼には、やはり天から使わされた人にオリヴィエが見える。
“その神々しいお方が、ラオ様と、一方ならぬご事情がおありになる……。一体、何が?”
 そう思うと執事は、居ても立ってもいられなかった。
「オリヴィエ様、お心使いありがとうございます。ですが……やはりすぐに主の元に戻りとうございます」
 執事にそう言われ、オリヴィエは振り向いた。側仕えが、“オリヴィエ様のお茶をお断りになるつもりなの? なんて失礼な!”と言わんばかりの目をして、執事を見ている。
「お前は、主思いだね。早く行っておやり。さっきの門兵はいないけれど、門までの道は判るね?」
 オリヴィエが微笑みながらそう言うと、執事は頷いた。彼が去った後、オリヴィエは、茶に手を付けた。そして、「ひとつ無駄になってしまったから、お前がお飲み。ここで飲んでいいよ」と側仕えに言った。
「まあ! あ、ありがとうございます」
 彼女は、部屋の角にあるオリヴィエの上履きを置くための椅子を、利用して座った。
「何もそんな靴を置くものの上に座らなくてもいいじゃない。しかもそんな部屋の角で」
 オリヴィエは、苦笑しながら言った。
「とんでもない。ここだって私には分の過ぎた事でございますもの。ああ、なんて美味しいお茶でしょう」
「お前が、煎れたお茶じゃないか」
「あら、そう言えばそうですわね。でも、厨で味見の為に頂戴するのと、オリヴィエ様のお側で頂くのとでは、お味がぜんぜん違いますわ!」
 そう言ってしまってから、側仕えは耳まで赤くして俯いた。その様に、オリヴィエは、モンメイで抱いた名も知らぬ側仕えの娘の事を思い出した。ジュリアス率いるクゥアン軍の侵攻を聞いたあの日の朝……。
“ほんの数ヶ月前の事なのに、あれから、ずいぶん遠くに来た気がする……ジュリアス、オスカー……貴方たちと出逢ってから、とても長い時間が過ぎたように思える……”
 劇的に変わってしまった自分の人生に、驚きと感謝を感じながら、オリヴィエは、今またオスカーに思いを馳せずにはいられなかった。 

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