第七章 3

  
 その頃、門兵は、オリヴィエからの言伝をジュリアスに伝え終えたところだった。食事の途中で受けた報告に「そうか、ご苦労であった」と労った後、ジュリアスは、差し出された料理に手を付けながら、その言葉の真意を考えていた。
“オリヴィエに本など貸していないから、何かあった事は容易に推測できる。何をオリヴィエは伝えたかったのだ?”
 そう考えて、ジュリアスは、伝えに来た者が、オリヴィエの塔に控える兵士ではなかった事に気づいた。
“あれは門兵だった。何故、門兵が?”
 門兵が、城内の塔にまでやって来るのは、城中に不慣れな来客を案内するか、入れても良い客かを打診する時だけである。
“オリヴィエの所に誰か参ったのか……。何か伝えたい事があるならば、ツ・クゥアン卿との謁見を一緒に受けることになっているから、その時に早めにこちらに来て言えばいい。それをわざわざあの門兵を、使いに出したということは、 どういうことだろう? だだ単に何かあったのだと私に判らせたかったのか?”
 ジュリアスはオリヴィエの所に出向き、尋ねてみようと思ったものの、『まだ読み終えておらず、後でお持ちしますので』と言った言葉にそれを思い止まった。
 どうせ、後半時ほどで謁見の時刻となる。その時に話す……という意味だとジュリアスは理解した。
 
 ジュリアスの思ったとおり、約束の時刻よりやや早めにオリヴィエはジュリアスの私室を訪ねた。
「先ほどの門兵よりの言伝、あれは?」
 オリヴィエの姿を見るなり、ジュリアスはそう尋ねた。
「すまなかったね。あの門兵がいるとまずかったんだ。ラオの所の執事がやって来たんだ。主が腰を痛め、それによく効くモンメイ産の薬を貰い受けに。もちろん嘘さ。先刻、ラオが客人を連れて戻ったらしい」
 オリヴィエは、隣室に控えている側仕えに聞こえぬように小声で言った。
「誰だ?」
「名前は判らない。ツ・クゥアン卿ほどの年齢の人で、身分ある人のようだったと執事は言ってた」
「もしや、ロウフォンか!」
「ラオは館に来て欲しいと。ツ・クゥアン卿の謁見後に必ず行くと返事をした」
「そうか、では、よろしく頼む。事によっては明日にでも上手く用を作り、私も出向こう」
「ねぇ、それより、ツ・クゥアン卿の謁見って、急だけれど何だろう?」
「ホゥヤンにやっていた視察団が戻ったかも知れぬな。戻ったのが夕刻だったので食後にと配慮したのだろう」
「朗報だと良いけれど。じゃ、謁見の間に行こうか」
「いや、謁見の間ではなく、ここに来るように指示した。そなたは、こちらに先に立ち寄るだろうと思って連絡しなかったのだ。今宵は殊の外、冷え込みが強くなったからな。謁見の間では寒かろう。ツ・クゥアン卿も、膝に痛みがあると聞くからな」
 一時に数百人ほどの者が入れる謁見の間は、天井も高く、戸外と変わらぬほどの寒さである。ジュリアスが、そう言った時、側仕えが、ツ・クゥアン卿がやって来た事を告げに来た。
「用があれば呼ぶ。茶の用意もいらぬ」
 ジュリアスは、完全に人払いをしてしまうと、ツ・クゥアン卿を出迎えた。
「遅れましたか。申し訳ありません」
 オリヴィエが来ているのを知ると、彼はそう詫びた。
「いや。ワタシが少し早めに着いたんだ。気にしなくていい」
 オリヴィエは、そう言うと、すぐにツ・クゥアン卿に椅子を勧めた。ジュリアスとオリヴィエを前にする形で、彼が座わると、ジュリアスが「報告を始めよ」と言った。
「は。ホゥヤンに調査に行かせていた一行が戻りました。それによると、件の泉の館から、クゥアン領主の遺体を発見し、損傷激しくも身につけたる物の様子や体格から間違いなしと判断されました」
「ロウフォンとオスカーは?」
 オリヴィエが尋ねると、ツ・クゥアン卿は、一瞬、険しい顔をして、言葉を発した。
「ホゥヤン兵士、騎士が、泉の館回りは元より、本宅、奥方の実家である牧場まで探ったそうですが、未だ、行方知れず。ただ……」
 彼はそこで、ジュリアスとオリヴィエをゆっくり見たあと、目を伏せた。
「?」
「泉の館より、これが発見されました」
 ツ・クゥアン卿は、持参していた包みを卓台の上に置き、そっとそれを解いた。折れた剣の一部分である。柄の様子からそれがオスカーの物であると、ジュリアスとオリヴィエには直ぐに判った。
「その他にもロウフォン殿の身につけていたと思われる長上衣の飾り玉なども見つかってはおりますが、とりあえずこれを持ち帰ったとの事です」
 ジュリアスはじっとその折れた剣を見つめた。刃の部分は黒く煤けた後がこびり着いている。柄の部分に彫り物があり、その溝に血と思われるものが付着している。
「これはクゥアン領主の遺体が出たあたりにあったものらしいです。その側には別の遺体が何体か出来ました。あきらかに体格の良い騎士風の者もあったとか……」
 ツ・クゥアン卿は、それがオスカーであることを匂わせた言い方をした。
「確証は?」
 オリヴィエの声が掠れていた。
「こちらも損傷が激しく誰とは、はっきり特定出来なかったとの事です。ただもう事件から、一の週が過ぎました。オスカーが、怪我をしているのを確認している者もいることから、もはや……」
 ツ・クゥアン卿は、首を左右に振った。
「医術の心得のある遺体の鑑定に優れたる者を派遣して、確証の取れるまで徹底的に調べさせよ」
 ジュリアスは、低い声で命じた。ツ・クゥアン卿は、気乗りしない様子だが一応は頷く。
「ホゥヤン領主が、用意させたものですが新たに判ったことなどを書き連ねた報告書があります」
 ツ・クゥアン卿は、紙束をジュリアスに差し向けて置いた。ジュリアスはそれを手に取ると、ざっと目を通し、オリヴィエに手渡した。先のホゥヤン領主が直々に報告したものと大まかには同じ内容であったが、クゥアン領主の不正や、ロウフォンが事を起こした経緯はさらに細かく記されていた。報告書は、それらを食い止める事の出来なかった自分の不甲斐なさを詫びる言葉で締めくくられており、読んだ者が、思わず彼の人柄の良さに同情してしまう内容となっていた。
「ロウフォン、オスカーの事は引き続き調べさせるとして、今後の事を決めておかねばなりますまい。今後、ホゥヤン領主のみで、ホゥヤン領を治めさせてよろしいか?」
 オリヴィエが、報告書に目を通し終えた後、ツ・クゥアン卿はそう言った。
「ホゥヤン領主は、政に対しては無能であったと、自分で言っている。そのような者に、治めきれるか? この一件がホゥヤンの民に知れ渡れば、民から不安の声も上がるであろう」
「ホゥヤン領主は、その報告書にありますように大層反省している様子。心を入れ替えて領内を治めよと、ジュリアス王より勅命をお出しになればよろしいかと。それに彼の側近には、それぞれに優れた者もいる様子。一丸となって事に当たるよう申し渡せば、良い方向に向かうのではないでしょうか? 何より、ホゥヤン領主は元王族、地の民にとっても喜ばしいことかと思います」
 ツ・クゥアン卿の言葉に、ジュリアスは頷く。そして瞳を閉じて、しばらく考えた。
 
“ツ・クゥアン卿の意見はもっともだ。報告書も非の打ち所のないものだった。だが、ラオが連れてきた客人というのが気になる。もしそれがロウフォンならば、彼の言い分も聞かねばならぬが……だが、今は、このツ・クゥアン卿の意見を退けるだけの理由がない、まずは……”
「では、明日にでもホゥヤン領主宛ての文書を作る。但しとりあえずは一年の期限を設けるものとして」
「は。では、今宵はこれにて。私は、ホゥヤンに行かれる用意を調えましょう」
 ツ・クゥアン卿は、それが当然のように行った。
「ホゥヤンにジュリアスが行くの?」
 オリヴィエは、ツ・クゥアン卿に聞き返した。
「新しい領主を正式に命ずる形になりますので、それが前例かと……。それ以降は向こうから参るのが作法ではありますが、ホゥヤンは、クゥアンの領地でもありますから、その地に住まう民も、ホゥヤン人といえど、クゥアンの民。その者たちに知らしめる為にもそういう風にしてまいりました」
「そう……」
 オリヴィエは納得させられた形になってしまい、頷くしかなかった。
「それと、この一件、城内の者にいつまでも秘密にしておくわけにも参りませぬ。第一騎士団の者にも話した方がよいのでは?」
 ツ・クゥアン卿は、オリヴィエの方をチラリと見て言った。オリヴィエはその視線を受け、ジュリアスを見る。
「いや……。今、しばらくは、まだ。そう……明日、新ホゥヤン領主についての正式な通達を作り終えた後に、皆には伝えよう」
 ジュリアスは、ラオの館にいる客人の事を思ってそう言った。
「承知致しました」
“歯切れの悪い言い方をしたのは、やはり折れた剣を見て動揺しているのか?”
 ツ・クゥアン卿は、ジュリアスの顔色を伺いながら頷いた。
「今宵は、ご苦労であった」
 ジュリアスがそう言うと、ツ・クゥアン卿は退室して行った。ジュリアスは、彼が去った後、卓台に残された折れた剣をじっと見めた。オリヴィエも同じようにそれを見ている。
「この剣……式典の時にしか使ってなかったって言ってたんだよ。だから痛んでたわけでもないのに……。生きているなら、大切にしていたこの剣をオスカーが手放す訳ない……」
 オリヴィエは、口元を押さえながら辛そうに言った。
「私は自分の目で見た事しか信じぬ。そこにあるのはただの折れた剣で、オスカーの屍ではないからな!」
 その言葉にオリヴィエは、ハッとして顔を挙げ、ジュリアスを見た。
“ああ……またジュリアスが冷たい目をしている。だめじゃないか、ワタシったら。ワタシよかずっと辛いのは彼の方なのに……”
 オリヴィエは、その剣を布に包み込んでしまうと、立ち上がった。
「ラオの所に行ってくるよ。夜遅くに出掛けるとなると、いろいろ説明するの面倒だから、ワタシの側仕えたちには、ジュリアスの所で酒を酌み交わしながら五元盤を打つから、朝方まで帰らないと言ってきたんだ」
 オリヴィエは、気持ちを切り替えて言った。
「うむ。……私もラオの所に行こう。直接、話を聞きたい。一刻も早く」
 ジュリアスは、そう言い、立ち上がった。そして側にあった鈴を鳴らす。よく響く鈴である。側仕えが慌ててやって来た。
「長上衣を用意してくれ」
「このような時刻ですが……あの……何処にお出ましに?」
 側仕えは、予定にないジュリアスの行動に戸惑いながら尋ねた。
「オリヴィエから招待を受けた。モンメイから珍しい酒が届いたそうなので馳走になる。五元盤に興じるつもりなので、そのまま、あちらの塔に泊まる。そなたたちは私の帰りを待たず、休むがいい」
 ジュリアスはそう言うと、側仕えが用意した長上衣を羽織り、オリヴィエと供に出掛けた。
「なかなかあの手は使える。ジュリアス、夜にこっそり出掛けたい時に、これからも使っていいよ」
「そなたではあるまいし。私は夜、人に言えぬような所に出向いたりはしない」
「おや、ま。お固い事。でもワタシだって、そんなに出掛けたりはしていないよ。騎士団の者たちが贔屓にしている店に、二度ばかり行っただけさ。この容姿じゃお忍びも何もあったものじゃないからね」
 苦笑しながら言うオリヴィエに、ジュリアスもまた小さく笑った。
“忘れていたい、オスカーのあの折れた剣の事を……”
 二人の心の奥にそんな気持ちが見え隠れしていた。
 
 ジュリアスの私室のある塔を出た後、オリヴィエは、第一騎士団の厩に出向き、こっそり馬を調達した。門兵は、二人がやって来たのを見ると何事かと驚いている様子だった。
「ここはまかせて。さっきの門兵がいるから話をつけやすい」
 オリヴィエは、ジュリアスに向かって小声でそう言うと、馬上から門兵に声をかけた。
「ジュリアスも心配していて、ラオを見舞うと言うことになったんだよ。と、言うのは口実で大したことがないようなら、久しぶりにラオと五元盤でも打とうと言うことになってね。彼、強いんだって?」
「ええ、それはもうお強いと聞きますよ。では、行ってらっしゃいませ」
 門兵は、跳ね橋を下げる合図を別の兵に出しながら言った。跳ね橋が下がりきると、二人はそこを通り過ぎた。オリヴィエは、ジュリアスに近づいた。
「五元盤に興じる……って便利だねぇ。何でも通しだよ」
 呆れたて笑っているオリヴィエに、ジュリアスは渋い顔をした。そして、城門をやや離れ、下り坂になった所で、ジュリアスがオリヴィエの前に出た。
「そなた、ラオの館への近道を知らぬであろう? 先導しよう。私も狩りの帰りに幾度か立ち寄った事があるだけだが。この坂を下って左手に行けば、すぐだ」
 ジュリアスは、オリヴィエを従えて、馬を走らせた。夕刻から急激に冷え込んだが、その分、空はすっきりと冴え、星の瞬きが道を明るくしている。
“この寒さのように残酷な夜となるのか、あの星々のように明朗な夜になるのか……”
 ジュリアスは、そう思いながら、身を低くし、前に進んだ。

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