第六章 9

 
 「これ、何を言うか! ツ・クゥアン卿がそのような事をなさるものか」
 ラオはヤンを窘めた。
「だって。ツ・クゥアン卿は、オスカー様のこと気に入らないみたいだったじゃないか、あの事で」
「どうしてオスカーが? あの事とは?」
 ロウフォンは思わずラオに尋ねた。
「末の姫君様との縁談をお断りになったんです。まだオスカー殿がクゥアンにいらして間なしの頃、騎士の称号さえ取っていない身分では考えられないと辞退されたのですじゃ」
 ラオはそう言ったあと、ヤンに向き直り言葉を続けた。
「確かにその事をツ・クゥアン卿は良くは思っておられんじゃろうし、第一騎士団の存在は元老院にとっては、目障りなものかも知れないが、儂らの働きを一番よく知っておられもするのじゃ。娘との縁談を断った程度で、それを根に持つようなお方ではないぞ」
 ラオの言葉に、ロウフォンも頷いた。
「ツ・クゥアン卿は、ホゥヤンとクゥアンの外交窓口になられていたお方で、両領主の仲が決定的になったのは半年前からだが、その事に対する私からの書状にも常に親身なお答えを頂いて いた。強いて言えばもっと早くジュリアス王の監査の手が入り、クゥアン領主の交代があったなら……とは思うが」
 ロウフォンはそう付け加えた。
「オスカー殿の出世を妬む者も騎士仲間に何人かはいる。そのうちの誰かがホゥヤン領主と通じておるのだろう。オスカー殿が伝令を受けた駐屯地に行って、その伝令を持ってきた者の事を細かに聞き出せれば、自ずと誰か判ろう」
 ラオはそう言ったが、ヤンは何かが気にかかるらしく引き下がらない。

「だけど、爺ちゃん……。その伝令はホゥヤンに立ち寄れと書いてあったから、オスカー様はホゥヤンに行ったんだよ。ジュリアス様からの伝令なら文書があるはずだろう。偽の文書ということなるけど、ジュリアス様と親しいオスカー様が騙されるほどの文書を用意できる人物なんて滅多にいないよ。」
 ヤンにそう言われたラオは、伝令が出た際の文書を思い浮かべた。 ジュリアスの直筆と印、使用されている紙も上質なものである。一般の騎士風情には、たとえ筆跡を真似ても、同じ印や紙を手に入れるのは困難である。ラオは別の可能性を考えた。
「文書がなかったのかも知れん。火急の際には口頭で伝える場合もある。今回は特に視察帰りにオスカー殿を捕まえて伝える事になったと思われるからその可能性の方が高かろう」
「だからさ」
「何がじゃ?」
 もどかしげにラオは尋ねた。ラオとヤンのやり取りを横で聞いていたロウフォンが、ポツリ……と言った。
「……オスカーは、ホゥヤンで内乱の兆しがあるから視察に行くように言われた……と言っていた……」
「ほら! ホゥヤンで内乱の兆しがあるなんて爺ちゃん知ってた? 第一騎士団の者、誰も知らない。誰がホゥヤンの内情を知ってた? ジュリアス様だって知らなかったんだよ。知っていたら、直ぐに調査を入れたはずだもの! なんでジュリアス様は知らなかったんだい? オスカー様の故郷のことなのに。 ロウフォン様、ホゥヤンの内情のことを、オスカー様に文で伝えたことがありますか?」
「いや。オスカーとは季節の便りを半年以上前にしたきりで、家の者の様子を記したにすぎない」
「誰もが知らなかったんだよ。知っていたのは直接、報告を受けていたツ・クゥアン卿 だけ。少なくとも、ジュリアス様やオスカー様くらいは、その報告の内容を知っていなきゃならなかったばずだろう。何で報告を止めたんだい? 他の領地に不審な動きがあったら、いつもツ・クゥアン卿はすぐに対応しているじゃないか!」
 ヤンが畳みかけるように言った言葉に、ラオとロウフォンは沈黙してしまった。ややあって、ロウフォンが思い出すように口を開いた。

「ホゥヤンの内情が悪化した半年前から、こちらから送った書状の返答はいつもツ・クゥアン卿からのものだった。そこには、ジュリアス王の代理としての言葉が記されていたが、ジュリアス 王の直筆のものではない……。一番、最近のものは……オスカーがやってくる少し前に送ったものだ。クゥアン領主の不正がはっきりし、証拠としても充分だったのと、両領主間の不仲がもはや取りなせないと思ったので、その事を記したのだ……私はその返答として、ジュリアス 王の命を受けてオスカーがやって来たと思っていたのだが……」
「じゃが、ジュリアス様はそんな命は出していらっしゃらない……」
 ラオは頭を抱えた。
「オスカー様が謀反に荷担した上、死んだら第一騎士団は、少なくとも一時解散になるよ。ジュリアス様の動揺だって大きいはずだ。俺なら寝込んでしまうよ。そしたら、ジュリアス様にとって代わってツ・クゥアン卿が……」
「もういい。皆まで口にせんでよいわ」
 ラオはヤンを制して、悲しげな顔でロウフォンを見た。
「ロウフォン殿、どう思われる? 儂は、若い頃からツ・クゥアン卿をよく知っている。立派な人です。立派すぎるほどに……だからヤンのように単純には考えらん。だが……」
 ラオの言葉にロウフォンも頷いた。
「私もツ・クゥアン卿の事は尊敬申し上げている。先のクゥアンでの戦いの事後処理の時も、敗戦国である我らに心ある取りなしをして頂いた。ジュリアス 王といい、ツ・クゥアン卿といい、クゥアンには、真に王の器たるお方が二人もいて羨ましいと思っ……」
 そこまで言って、ロウフォンは自分の発した言葉に思わず口ごもった。
 “真に王の器たるお方が二人もいて……”その部分が、ラオとロウフォンの心を凍て付かせた。
「ラオ殿、私は何かの間違いであって欲しいと思う。物的な証拠は何もない。確かなのは、ホゥヤン領主があの日、泉の館に呼び寄せた我らを陥れようとした、その事だけだ」
「真実をジュリアス様にお伝えしましょう。その後の事は、ジュリアス様にお任せしましょうぞ。何が、誰が、真実なのか、あの方ならば見極めてくださるだろう」
 ラオは、ロウフォンを励ましてそう言った。
「できるならば私が直接、クゥアンに出向き伝えたい。少なくともオスカーの潔白だけは一刻も早く伝えたい……」
 ロウフォンは、目を閉じ握り拳を作った。とその時、扉を叩く音がし、農夫の形をした壮年の男二人が入ってきた。辺りを探っていた騎士たちである。ロウフォンと話ているラオとヤンを見ると、二人の男に緊張が走った。ロウフォンは直ぐに二人が何者であるか、何の為にここに来たのかを説明した。
「私はラオ殿とともにクゥアンに行き、この度の事をジュリアス様にご説明申し上げようと思う」
「ですが、ロウフォン様。我々は裏道を通り本宅付近まで探りを入れようとしましたが、見張り兵がいて館には近寄れませんでした。そのような状態でここから出て、クゥアンに無事辿り着けるでしょうか?」
 ロウフォンの言葉に、騎士は深く頷きながらも、心配そうな口ぶりで言った。
「やつらは、ロウフォン様、オスカー様のご遺体が発見できぬので躍起になっておりました。泉の館では、本格的に瓦礫を取り除き、何か証拠になるものを見つけようと、細かな布の切れ端までも拾い出しているようでした。付近の村の方への見回りも朝晩二回に分けて回るようなことを言い合っておりました」
 もう一人の騎士がそう言うと、控えていたの下働きの女が慌てて立ち上がった。
「オスカー様の血糊のついた敷布を干してあるんです。今朝方、見回って来たからもう大丈夫かと思って。取り入れて来ますわ」
 女が出て行った後、ロウフォンが、改めて意を決して言った。

「この家の者たちにも随分迷惑をかけてしまった。二人とも危うく命を落とすところであったのに、私によく仕えてくれている。いつまでもここでじっとしているわけにもいかないだろう。やはり一刻も早くクゥアンに行こう」
「ですが、ロウフォン様、馬がありません……」
 悔しそうに騎士の一人がそう言った。
「馬がない?」
 馬の産地であるホゥヤンでは、騎士と馬は一対として考えられるものである。ラオは、泉の館の火事の事を思い出すより前にそう声をあげてしまった。
「館とともに我らの馬は一緒に失われたのです。助けてやる時間がなくて……。村にも馬はおりますが、どれも力仕事用のものばかり。長距離を早く走るのに向く馬はいません。本宅まで戻れれば代わりの馬がおりますが、我らは見張りの兵士たちに顔を知られている可能性が高く近寄れませんし、館に戻れたとしても馬を動かせば怪しまれるでしょうし……」
 騎士の一人がラオにそう説明した。それを聞いていたヤンが、「それなら、ロウフォン様、俺の馬をお使いください」と申し出た。
「君の馬を?」
「はい。俺はオスカー様の意識が戻るまでここにいます。俺のことはホゥヤン領主の部下たちは誰も知らないし、ここにいても不審がられないでしょう。付近の様子も調べやすいし、ロウフォン様の本宅に用足しにも行けますよ。見張りの兵士には、野菜売りの子どもとしてもう顔見知りになってるし」
 ヤンは、ラオを見て笑いながらそう言った。
「それは確かに良い案じゃ。ロウフォン殿、ヤンはこう見えてもそこそこ剣も使えます。万が一の時、必ずお役に立てるでしょう」
 ラオの言葉にロウフォンは頷いた。
「ヤン。ありがとう。君のような部下がいてオスカーは幸せ者だな」
 オスカーの父からそう言われたことが嬉しくてヤンは頬を赤くしながら、「俺、オスカー様のような騎士になるのが目標なんです。強くて、立派で」と言った。
「騎士の目標ならば、ラオ殿がおられるだろうに。この方ほど武勇に優れた騎士殿はいらっしゃらない。その名は、ホゥヤンにまで轟いているというのに」
「そんな大袈裟ですぞ」
 今度はロウフォンの言葉に、ラオが頭を掻いた。
「だって俺、爺ちゃんの格好いい頃の事を知らないのだもの。俺の知ってるラオ騎士殿は、よっこいしょと言って馬に乗り、やれやれと言いながら剣を振るもうろくした年寄り騎士なんですよ」
「まったくこの通り、憎たらしいことですじゃ」
 ラオが、ヤンの頭を軽く叩くと、皆の間に笑いが起こった。
「君のお陰で心が晴れていくようだ。ありがとう。ヤン」
 ロウフォンは礼を言い、部屋の角にいた農夫を呼び寄せた。
「こういうことで、夜が更けるのを待って、私はクゥアンに行く。オスカーの事は、引き続き世話をかける。すまないな」
 ロウフォンの言葉に、農夫はしっかり頷いた。
「夜道を行かれるのなら、暖かい食べ物を作らねば」
 農夫は、水を汲むために木桶を抱えて立ち上がった。
「よし。私も手伝おう。もっと火を熾さねばならんな。薪を割ろう」
 騎士たちはそういうと、農夫の後に続いた。
「俺、オスカー様についています」
 ヤンも奥の部屋に消え、残されたラオとロウフォンは、卓台の上に地図を広げた。ラオの地図は、クゥアンの領地が太い線で縁取ってあった。大陸の北から南、そして東から西、クゥアンの広さに改めて、ロウフォンは溜息をつく。モンメイが、その線外になっているだけである。かって、ジュリアスの父の時代には、モンメイとホゥヤン以外にも、いくつかの国がまだ存在していた。 自らクゥアン国に併合されることを望んだ辺境の貧しい国もあったが、その大半は、年若き王を見くびって、戦いを挑み破れた国だった。クゥアンの冨に目が眩み、国を維持していくためには努力をしなければならないということを忘れた愚かな王たちは、ことごとく敗散した。ホゥヤンもそのひとつだった。ロウフォンはホゥヤンの歴史に思いを馳せた。小さいが豊かな草原地と良い水源のある国だった。どこの国もホゥヤンを攻めようとしなかったのは、良い馬の産地であったためだ。どこの国もホゥヤンの馬を必要とした。馬の育成に適合する優れた土壌を戦地として荒廃させてしまうよりも、保護するほうが得策と周辺の国々は考えた。中立国のような立場でホゥヤンは、幾つかの王朝が交代しつつも穏やかに発展し続けてきた。ホゥヤンがクゥアンに無謀な戦いを挑んだ頃には、国土は既に暴政によって、馬を育成させるよりも、農作物の収穫を優先せざるを得ないまでに乱れていた。豊かな草原地は次々と消えて畑に代わり、人の手が入った土地の泉の水質は変わった。一見してホゥヤン産と判るほどの毛並みの良い怪我にも病気にも強い馬は、次第に少なくなっていった。
 ジュリアスの配下になってから、民の税の負担が軽くなり、草原地の回復策が打ち出されたものの、未だその効果はさほど出ていない。

「ロウフォン殿、どうされました? 先刻よりずっと押し黙ってしまわれて……」
 ラオは黙り込んでしまった彼を案じて言った。
「すまない。少し……昔の事を思い出していたのです。クゥアンまでの道の説明の続きをお願いする……」
 ロウフォンの言葉に、ラオは視線を地図に戻した。
“なんとしても……ジュリアス王に真実を伝えねば……”
 ラオの指がなぞるホゥヤンとクゥアンを結ぶ道を見つめながら、ロウフォンは、未だ意識の戻らないオスカーに誓ってそう思った。

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