第六章 8

 
 抜かるんだ重い土に手を焼きながら、藪の中をラオとヤンは進んだ。ようやくそれを抜け、枯れた野原を過ぎると、ぽつりぽつりと人家が見えだし、やがて集落へと辿り着いた。新年のことでやはり戸外に出て野良仕事をしている者はほとんどいない。馬を降りたラオとヤンは一旦、村の広場に出て、それから辺りを探った。小さな村とはいえ、家と家の間には厩や納屋、それなりの広さの田畑がある。点在する民家のどこから尋ねたものかラオは、じっと辺りを見回しながら考えていた。

“ロウフォン殿の館に下働きに出る女がいるような家ともなれば、そこそこに小綺麗な家かも知れんがのう……”
 見当の付かぬ中、ラオとヤンは、働き盛りの女手のありそうな近くの家の扉を叩く。
“行商の帰りなのだが、少し水を分けてくださらんか“などと適当な理由を作り、相手の表情や家中の雰囲気を探る二人であった。
 そして数軒目……道向こうの家の軒先に洗濯物が、干してあるのが見えた。大きさから見て寝台か食台に敷く布のようである。その中心部に薄茶色の染みが付いている。血の跡のように見えなくもない。新年早々、あまり天気も良くないのに大物の洗濯があるのはもしや……とラオは思い、その家を訪ねてみることにした。質素な造りながらもそこそこの大きさの農家であり、庭先の様子からも手入れの行き届いた女手のある家のようである。扉を何回か叩くと、中からラオよりは、いくぶん若いものの初老と言っても差し支えない年の男が出てきた。
「何だ? 見ん顔だな? どこの者だ?」
「旅の行商人で……」
 ラオの返事に、一瞬、間が空く。開けられた扉の向こうの室内に、何かロウフォン家との繋がりを示す物はないかと五感が働く。暖炉と粗末な敷物、男の妻らしい女が 長椅子に座って、太い木針で黒い革靴の解けた縫い目を直していたが、何事かといった顔で立ち上がった。
「爺ちゃん」
 ヤンはラオに近寄り、耳元で「あのおばさんの繕い物、縁飾りの革紐がオスカー様の長靴に似ている」と囁いた。ラオは頷いた。オスカーの物でないとしても、革で造られた長靴は農夫の履く物ではない し、縁飾りまで付いているような靴を履くのはよほど身分ある者である。ラオとヤンの様子を不審に思った男は、思わず扉を閉めようとした。女も慌てて立ち上がる。ラオは、男の手首を掴んでそれを制した。ヤンがその間に扉をしっかりと開け、二人は、無理矢理、家の中に入ると扉を後ろ手に閉めた。
「その手をお離し!」
 とっさに暖炉の側に立て掛けてあった火かき棒を持った女が、ラオとヤンにその矛先を向ける。
「待たれよ!」
 ラオは一喝すると、男の手を離し、ヤン共々その場に直立した。
「ご無礼をお許し下さい。我らは……」
 ラオが頭を垂れ、名乗ろうとした時、隣室の扉が少し開き、「ラオ殿!」と声がした。ラオとヤンはその声の方に向き直った。
「あなたは……ロウフォン殿……?」
 ラオは思わず歩み寄った。二人はさほど懇意な仲ではないものの、かってのクゥアン・ホゥヤンの戦の後処理で何度か面識があった。
「よい、収めよ。このお方は、クゥアンの騎士ラオ殿だ」
 まだ矛先を向けている女に向かってロウフォンはそう言うと、ラオの手を取った。
「ロウフォン殿。よくぞ、こ無事で……」
 ラオもその手を握り返し深々と頭を下げた。双方とも、言いたいこと、聞きたいことが山のようにあり言葉が継げない。だが、ロウフォンが先に口火を切った。
「遠路いらした理由は、オスカーの安否でしょう……」
 部屋の入り口を塞いでいたロウフォンは、部屋の奥が見渡せるように体の位置をずらした。光が入り込まぬように閉ざされた鎧戸のせいで室内は薄暗い。部屋の角に置かれた寝台の上に横たわる人の輪郭だけが見える。
「オスカー様だ!」
 ヤンが思わず声を上げた。布団からはみ出した手足に包帯が巻かれているのがチラリと見えた。
「これ、ヤン。静かにせんか。申し訳ありません。これはヤンと申しまして儂の孫、騎士見習いとしてオスカー殿の下についております」
 ラオがそういうとヤンは、ロウフォンに向かって頭を下げた。そして「オスカー様の具合は?」と涙目になりながら尋ねた。
「それがまだ意識が戻らぬ」
「そんな……手足のお怪我だけじゃないんですか……」
 ヤンの目から涙が落ちた。
「横腹を刺されたようで、かなり深い傷を負っている」
「オスカー殿ほどの剣の使い手が、横腹を刺されるとは……一体、何が……」
 ラオは信じられないというふうに首を振った。
「詳しいことは私にも判らない。だが、命だけはなんとか長らえている。出血もなんとか治まった。後は体力と気力の勝負。オスカーならばきっと……」
 ロウフォンは、ヤンの肩に手を置き、彼を室内へと誘った。
「私はラオ殿と話がしたい。オスカーの側にいてやってくれるか?」
 ロウフォンにそう言われた、ヤンはゆっくりと寝台の側に歩み寄った。ヤンにとっては、逞しい男の見本のようであったオスカーが、意識を無くして横たわっている。また涙が溢れそうになるのを堪えてヤンは側の椅子に座った。
「ラオ殿……こちらへ」
 ロウフォンは、オスカーのいる部屋から、先ほどの農夫たちのいる居間へと移った。彼らは、ラオに頭を下げると部屋の角に邪魔にならぬように控えた。
「ラオ殿、この度の一件、どこまでご存じか? ここに参られるということは、ある程度のことはご承知か? 泉の館が焼け落ちていった時、我らは地下にある食物庫に逃げ込み九死に一生を得た。二日ほどそこで過ごし、年越しの夜、見張りらしき兵が油断してる間に、闇夜に紛れなんとかこの下働きの者たちの村に逃げ込むことが出来た。意識のないオスカーを、私の他に助かった騎士が二人がかりで抱え運ぶのに苦労しましたが……」
「そのお二人の騎士殿は?」
「付近の様子を探るため、農夫の形をして出掛けている。もうそろそろ戻ってくるだろう」
 ロウフォンの言葉にラオは頷き、クゥアン城に、ホゥヤン領主が事の一件を伝えにやって来た事と、その内容、そして秘密裏に自分たちが動いており、ロウフォンの本宅で聞いて、ここに辿り着いたことをざっと述べた。
「全ては我らの起こした謀反……やはり、そういうことでホゥヤン領主殿は報告されたのか……」
 ロウフォンは、唸るような声をあげて俯いた。
「泉の館の会合を仕組んだのは、ホゥヤン領主殿の方だと、執事殿から伺いました。むしろ仲違いしていたのは、ホゥヤン領主殿とクゥアン領主殿だと」
「その通りだ。二人とも政に対してはどうかと思われる態度であった。事にクゥアン領主殿には不正があり、私はその事について言及していた矢先であった。だから、クゥアン領主殿から疎まれ、命を狙われたというならば納得も出来る。だが、ホゥヤン領主殿からとは。……ホゥヤン王家の血筋をひくお方と思えばこそ苦言を申した事もあるが、それほど私が疎ましかったのか……」
「実際に話を聞いたわけではございませんが、オリヴィエ様の話では、ホゥヤン領主は、自分の無能さも隠さずに話し、ロウフォン殿が自分の為に、クゥアン領主殿に手をかけたと申されたそうです。 ところが、その後、オスカー殿が、父親がそんな風になったのは、お前の無能さ故での事、父一人が、ホゥヤンの領主になれるようジュリアス様にとりなして貰うからお前は死ね、と斬りかかってきたと。 そして最終的には、ロウフォン家が、ホゥヤンの領権を欲しさに起こした謀反ということに……」
「何だと? 話術は巧なお方だったが、そのような作り話をぬけぬけと!」
 そう言ったきりロウフォンは言葉が出なかった。
「事件は、はっきりするまでジュリアス様とその場にいた元老院の方々のみの胸の裡に収めておくことになったようです。ホゥヤン領主殿の帰路に、クゥアンから調査の為の騎士が動向しております」
「ラオ殿が秘密裏に動いているということは、ジュリアス様はその事に不審な点があると思われてのことか?」
 ロウフォンはそこに僅かな救いを求めて言った。ラオは、オスカーからの届いていたコツの事を話した。
「“ジュリアス様の命により……”そのただ一言がなければ、儂らが動くことはなかったでしょう」
「オスカーは道中立ち寄った駐屯地で伝令を受けたと言っていた。それがジュリアス様からのものではなかったとは一体……?」
「誰かがオスカー殿の動向を見張っていて罠にかけようとした……。ホゥヤン領主の口ぶりからも、ロウフォン殿のみならず、オスカー殿までも一緒に亡き者にしてしまえという感が伺えます。クゥアンの誰かが、ホゥヤン領主と通じている……」
「一体、誰が……」
 ラオとロウフォンは互いに、やりきれない思いで顔を見合わせた。と、その時。

「なあ、爺ちゃん、それは……」
 オスカーの枕元から離れ、奥の部屋から出て、二人の話を途中から聞いていたヤンが言った。彼の声に、ラオとロウフォンは思わず振り向く。
「それは、ツ・クゥアン卿じゃないのか?」
 ヤンはそう言うと、目を大きく見開いたラオの横に立った。

■NEXT■

 

『神鳥の瑕』TOP