第五章 4


 冬の農閑期だけ何か仕事を求めて旅をしている若者……オスカーはそういう風情をして、南の領地を視察していた。 騎士であることがわかるような長上衣や剣は、ひとまとめにして布袋に入れ、馬の背に積んである。好奇心旺盛な旅人のふりをすれば、大抵の者は心を許し、いろいろと話しかけても不審がられない。そうして、領主の評判や、作物の出来、不出来、いわゆる民の声を実際に聞き、それをジュリアスに報告する。オスカーからの報告を参考にして、ジュリアスは監査を派遣するか否かを決定する。数日滞在し、町で見聞きした事を、オスカーは丹念に書き記すと帰路についた。

 そして、港町インディラに立ち寄った。小さいながらも活気のある町である。久しぶりに見る海にオスカーは圧倒されながら、造船所に向かった。
「どうです? 素晴らしい船でしょう。暖かくなる頃には完成しますよ」
 設計士は、自慢げに言った。
「この間、見た時は、船体の外板もまだ貼れていなかったのに。こんなに早く出来上がるとはな。きっとジュリアス様も喜ばれるぞ」
「モンメイから大量に資材が届きましたからね。良い木を見て、職人たちがやる気を出したんですよ。それから、帆の装置を改良しました。これで風の力を利用できるようになるはずですから、当初予定していたより漕ぎ手は少なくて済みます」
 設計士に案内されて、一通り船を見終わったオスカーは、良い土産話が持って帰れると喜びながら、インディラを後にした。

 オスカーは馬を飛ばし、その日の夕方、ホゥヤンの手前にあるクゥアン軍の駐屯地に到着した。衛兵の一人が、彼を確認すると、走り寄ってきた。
「オスカー殿ですね、ジュリアス様より伝令が届いておりました」
「伝令?」
 オスカーは、訝しげに尋ねた。
「ホゥヤンで内乱の兆しがあるらしく、立ち寄って視察をしてくるように……と」
「内乱の兆し? 何かホゥヤンの様子についての噂を聞いたことがあるか?」
「そうですねぇ……領主と旧王族との間で小競り合いのようなことがあったらしいですけれど……」
 はっきりとは判らないというように衛兵は、首を横に振った。
「で、その伝令を書き記したものは?」
「文書はありません。行き違いになるかも知れないからと、馬を飛ばして伝えに来たと、クゥアン城内の文官殿が仰っていました。三日前のことです」
「その者の名は?」
「確か……」
 衛兵は、ジュリアス付きの文官の名を伝えた。親しくはないが、オスカーにも知った名前だった。
「さすがクゥアン城内付きのお方ともなれば文官でも、馬の扱いは見事なものですね」
「ああ、まあな。文官といえど、地方に出向くことも多いからな」
「少し足がご不自由なようなのに、それはもう颯爽としてらして」
「足が?」
「ええ。馬に乗られる時に、少し介添えを頼まれたもので」
 これを聞いて、オスカーは、“おや?”と思った。その文官が、足が不自由だったという記憶はなかったからだった。それに馬の扱いがそんなに颯爽としていたか……、ひっかかりを覚えて黙り込んだオスカーに、衛兵は言葉を続けた。
「ジュリアス様は、久しぶりの故郷だから、問題がなければ、少しゆるりとしてくるようにとも仰っていたそうです」
 これを聞いたオスカーは、視察がてら実家に立ち寄ってこいというジュリアスの配慮なのだと、良いように解釈してしまった。
 ジュリアスからの書状のない伝令、記憶と違う文官の様子、本当ならば、もっと疑ってみるべきだったのだと、後になってオスカーは後悔することになる。
「判った。では明日、ホゥヤンの都を経由してから、帰路につくことにしよう」
“……内乱の兆しとは穏やかではないが……”
 そう思いながらも、久しぶりに父親に逢えることに胸を躍らせるオスカーだった。

 翌朝、オスカーは、衛兵に銀で出来た小さな筒状の入れ物を差し出した。中には、ジュリアスの命によりホゥヤンに立ち寄るので戻るのが二、三日遅れるとの 、第一騎士団に向けた短い文書が入っている。
「すまないが、これをコツで出しておいてくれないか」
 コツは、クゥアン城と各駐屯地の間を飛ぶように訓練された鳥である。 長い距離になるといくつかの駐屯地を経由していくことになるが、ホゥヤンとクゥアン程度の距離は、そのコツが、中継しないで飛べるぎりぎりの距離であった。文書の入った筒には、第一騎士団宛てであることを示す印が刻まれている。衛兵は筒を受け取り、オスカーの出発を見送った。
 
 駐屯地を出たオスカーが、ホゥヤンの都にある実家に着いたのはその日の夜、随分遅くなってからのことだった。館の正門は固く閉ざされている。オスカーは、使用人が使う裏口に向かい木戸を叩いた。冬の夜中ということもあって誰かが気づいてくれる気配がなく、あきらめようとしたその時、「こんな夜更けに誰だ?」と、扉ごしにしわがれた声がした。
「その声は……、庭師のじいさんだな? 俺だ」
 オスカーは、そう言ったが扉は開かない。
「だから名を名乗らぬか。俺では判らんだろうが」
「オスカーだよ。長いこと逢ってないから忘れちまったかも知れないけど、ともかく開けて顔を見てくれ」
 慌てふためいて錠前を外す音がし、威勢良く扉が開かれた。
「坊ちゃん! 坊ちゃん! ご立派になられて!」
「坊ちゃんはもうやめてくれよ、恥ずかしいじゃないか」
 照れくさそうに笑うオスカーに、抱きつかんばかりなって庭師の老人は何度も、立派になられたと繰り返し言った。
「坊ちゃん、こんな夜更けに一体どうなすった?」
「視察の帰りでな。ちょっと父さんに用もあって帰ってきたんだ」
「やっぱり領主様と、王様との諍い事の件で?」
 庭師は、小声でなってそう言った。王様というのは、元ホゥヤン王の弟の事である。クゥアン領になってからは、ホゥヤン領主と呼ばれるのが正式なのだが、腐敗の末に倒された王族への揶揄も入って、民はホゥヤンの王様などと呼んでいる。
「そんなに仲違いしているのか?」
「儂には難しいことは判らねぇけども、間に挟まれてロウフォン様は、ご苦労されているみたいだって執事さんが、言ってたですよ」
 彼なりに心配している様子で、庭師は言った。
「そうか。詳しいことは父さんに聞いてみるよ。今日は、もう寝てしまわれたかな?」
「さっき庭を見回った時は、ロウフォン様のお部屋の灯りはついていただよ」
「わかった。すまんが、馬を外の木に括り付けてあるんだ。小屋に入れて飼い葉と水をやってくれないか」

 オスカーは、庭師の老人にそう指示すると、使用人たちの部屋や厨のある一角から、父の私室へと向かった。石作りの質素な廊下がとぎれ、敷物の張ってある所へと移る。壁に掛けられた祖先の肖像と、剣の類が飾られた厳めしい中央の廊下を抜けた突き当たりに父の私室があった。扉の隙間から灯りが漏れているのを確かめると、オスカーは、控えめに扉を叩いた。「入れ」という声がした。扉を開けると、背を向ける形で、ロウフォンは書き物をしていた。オスカーは、側にあった卓台の上に、南の領地で手に入れてあった酒瓶を置いた。本当は、 ジュリアスとオリヴィエへの土産にするつもりで買ってあったものだったが。ゴトン……と重い音が、静まりかえった部屋に響いた。その音を聞いたロウフォンは、使用人の誰かとオスカーを間違えたらしく、「気が利くな。何か飲み物が欲しいと思っていたところだ。私の事はもう良いから、お前もそろそろ休むといい……」と言った。
「父さん……」
 オスカーは小さな声で、父の背中に声をかけた。
「お前! オスカー!」
 ロウフォンは驚いて振り返った。
「只今、戻りました。こんな夜更けに申し訳ありません」
「ああ、ああ。構わん。どうした? もっと中に入れ」
 冷静沈着な父の顔が、今まで見たこともないほどに崩れている、その事が嬉しくてオスカーは、思わず父の元に駆け寄った。何から話せば良いか判らないほどに、双方の心の中には積もるものがある。
「腹は減ってないか? すぐに酒の用意をさせよう」
「いいよ、父さん。皆も寝てしまっているだろう。酒なら、これを持ってきたから」
 オスカーは、先ほどの酒瓶を指さした。
「そうか。なら、早く座れ」
 ロウフォンは、飾り棚に置いてあった杯を二つ取り、卓台の前に座った。
“父さん……少し老けたな……それに顔色もあまり良くない”
 父の体を気遣いながら、オスカーは杯に酒を注いだ。
 
 オスカーが父と再会し、酒を酌み交わしていた時、夜に紛れて館を見張っていた男が、そっと立ち上がった。男は、館からやや離れた自分の馬が置いてある粗末な小屋まで急ぎ足でやってくると、そこにいた別の男を、揺すり起こした。
「なんだ? もう交代の時間かぁ?」
 寝惚け眼でそう言った男に、「違う。ヤツが到着したんだ、引き上げるぞ」、とその男は言った。
「間違いないんだろうな? 赤毛の男だっていうが、こんな夜目じゃわからないだろう?」
「間違いない。顔は見えなかったが、扉が開いた時、灯りで、チラッと髪の色が見えた。それに、じじいが、坊ちゃんって言ってやがったから、ロウフォンの息子オスカーって事だろう」
「よし。すぐに報告だ」
 男たちは、馬を小屋から出すと、星明かりの道を走り出した。

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