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持参した酒を一口飲んで、喉を潤したオスカーは、まず近況を父に報告しようとした。だが、オスカーが言おうとするより先に、ロウフォンが、先に杯を置き、口を開いた。
「到着早々すまんな。で、ジュリアス王は何と仰せだ？」
ロウフォンからいきなりそう言われて、オスカーは「え？」と短く言ったまま、続きの言葉がすぐに出せずに首を傾げた。
「何だ？ 例の件について、ジュリアス王の書状か、あるいは、何かを伝えに来たのではないのか？」
ロウフォンは息子の様子を見て、訝し気に言った。オスカーは自分が視察の帰りに、伝令により急遽やって来たことを話した。
「だから、ジュリアス様から、書状もお言葉も何も戴いていないんですが……」
オスカーがそう言うと、ロウフォンは、短く「そうか」と言ったまま俯いた。
「思ったより気の長いお方だな……ジュリアス王は……」
独り言のように呟いたその言葉には、ジュリアスに対する落胆が見えた。
「父さん、よく調べもしないでジュリアス様だって急には動けないでしょう。だから、俺が視察に立ち寄ったんだし……」
オスカーはついジュリアスを庇うような口調になった。
「急なものか！ 半年以上も前から報告しているではないか！」
ロウフォンは、オスカーに声を荒げて反論した。
「半年だって？ 最近の事じゃないんですか？」
ロウフォンは、首を左右に振り、静かに話し出した。
「このホゥヤン領は、前王の弟であるホゥヤン領主と、私と、クゥアンから派遣された領主との三人が担っている。何を決めるにも我ら三名が話し合って決めるようにと。それはお前も知っての通り、ホゥヤンが、クゥアン領になった時に、ジュリアス王が定めた事だ」
それは、オスカーにとっては、今更の話であった。五年前の事である。時のホゥヤン王は、当時二十歳にもならないジュリアスを甘く見、それまで同盟国であったクゥアンを攻めると言い出した。長年に渡る悪政のせいで国庫は破綻しており、重税と労役に苦しんでいた兵士たちが暴動を起こしそうになるのを食い止めるための打開策として、王はそう言い出したのだった。ホゥヤンから毎年優れた馬を買い入れしているクゥアンに、戦争を起こすきっかけとして、契約と違う難のある馬を送りつけ、両国間の信頼関係を崩すという姑息な手段を取って。
もし……もしジュリアスを討ち取る事が出来たならば、クゥアン全土を手中に治めることが出来る。まだ若く未熟なジュリアスが纏めるクゥアン軍になら、勝てる可能性も大いにある……と、ホゥヤン王は、、若い兵士たちを焚き付けて前線に送り出した。
ジュリアス王が若いことは事実だが、未熟ではない、大国であるクゥアンに勝てるはずかないと、ロウフォンは、ホゥヤン王を止め
ながらも、酒浸りで問題のある言動を繰り返している王を支えて、クゥアンとの摂政にあたっていた。
何故、王を見限らないのか？ 代々に渡って王に仕えてきたということがそんなに大事な事なのか？ 仕えるだけの価値のある王なのか？ というオスカーの問いかけに、ロウフォンは悲しげな目をして答えた。
「王と私は……、供に野を駆けた友なのだよ。王の資質ではない人だと、言われれば確かにそうだと私も思う。弱い所のある人だが、優しい人だ。……母さんの具合が良くないと知った時、各地から良医を集めて下さったり、良い水が湧くからと、泉の館の敷地下さったのも王だ。それに先の王にも随分、可愛がって頂いたし、ロウフォン家の女は、王家に嫁いでいる者も多い。もしお前が女ならば、王家に嫁ぐことになっていただろう……」
溜息とともに吐き出される父親の言葉に、まだ若いオスカーは、何の共感も覚えなかった。気持ちは判らないでもない……ただそれだけだった。
「母さんのことを良くして貰ったとしても、俺は、あの王に仕える気にはならない。あの王のためにクゥアン軍と戦うのは絶対に嫌だ！ 父さんがホゥヤン王と友だと言うのなら、俺だってジュリアス様と！」
オスカーは、その時、初めて父親に楯突いた。厳粛な父のいつもの平手が飛んでくる……とオスカーは思った。だが、ロウフォンは、動かなかった。
「お前は、落馬して足を折った……そういうことになっている」
「え？」
「お前は怪我人だ。残念だが、前線には出られない……肝心な時に使い物にならない馬鹿息子だ」
オスカーはもう一度「え？」と言った。
「本当に馬鹿か、お前は。怪我人は、牧場の方の屋敷にでも籠もっていろ。大国クゥアン相手だ。すぐに戦いには決着がつく」
怖い顔をして立ち上がったロウフォンに、オスカーは、一言も返せなかった。やがて両国間で戦争が始まって間もなく、『今年はそなたの牧場には行けなくなった、すまない』と、署名もないたった一
行のみの文が、オスカーの元に届いた。ジュリアスがどのような思いでそれをしたためたのか
、父親がとんな気持ちで無謀な戦いの場に身を置いていたのかと思うと、今でも胸が詰まるオスカーである。
「……半年前から、両領主の仲が悪化した。その時点では、問題は主にクゥアン領主の独裁にあるように思えたので、その事を報告した。それについては、ツ・クゥアン卿から返事を頂戴した。こちらでも調べさせるのでなんとか双方の仲を取り持って欲しいとのことだった」
「半年前か……。その頃は、モンメイとの戦いの準備で城内が慌ただしかった頃だな……」
外務担当のツ・クゥアン卿が独断でそう返事するのは、珍しいことでもないし、むしろ当然とも言えることだった。
「その後、小さな内乱が起きて二度、報告書を出した。一番、最近のものは、十日ほど前だったか……」
「それなら俺が、向こうを出た直後だな」
“けれど、それ以前の内乱が起きた際の報告は、ジュリアス様の元には届いていないのか？ もし届いていれば、俺の故郷の事をそのままにされるはずはないと思うが……”
オスカーが、すっきりしない面持ちでロウフォンを見た。
「私の出した報告の内容は切羽詰まったものとなっていたはずなのに、まだ視察だ、調査だとは……王は何を考えておられるのだ……小さな領地内の諍いなど興味はないと思われているのか」
ロウフォンは、そう言うと溜息をついた。
「ジュリアス様はそんなお方じゃないです。現に南の領地内での領主の不正の噂を聞きつけて、俺に視察に行くよう仰ったんだ。小さいとは言え、内乱まで起こっているのに、無視されるはずはないと思う。ジュリアス様のお耳に入ってない可能性もあります」
「ホゥヤン領の窓口は、ツ・クゥアン卿になっているから、そういう事もあったかも知れない。では、お前に伝令が回ったということは、今回の報告書はジュリアス王に届いたということだな」
そこに少し希望を見出すようにロウフォンは言った。
「切羽詰まっているって、どういう状態なんですか？」
「クゥアン領主は、戦勝国から来た者として、一番上に立つのが当然と思っているし、ホゥヤン領主は、元王族としての誇りから、当然それを認めない。最初の何年かはどうにかやってこれたが、そのうち派閥は大きくなり、三ヶ月前の内乱をきっかけに、議会は開けない状態になっている。ホゥヤン領主は、
先の王が断罪されてしまい、このような地位に担ぎ出されたものの、幼い頃から、勝手気ままに各地に留学されていて、元よりあまり政治にはご興味のないお方。私にまかすと仰って、執務室には
ほとんどいらっしゃらない」
「それじゃあ、この領地内の様々な執務は……まさか、父さんが一人で？」
「まったく一人というわけではない。私を支持してくれている者もいるし、それぞれの派閥に属していても執務はしっかりとこなしてくれている者もいる。だが決裁が必要なことになると、双方が牽制し合って、最後にはどうしようもなくなり、私がまとめることになってしまう」
なんとか領地としての形だけは必死で取り繕ってきた……ロウフォンの言葉からその様子が、オスカーにもありありと伝わってくる。
「父さん、俺はすぐにクゥアンに戻るよ。この状態をジュリアス様に伝えます」
思わず立ち上がったオスカーに、ロウフォンは、笑いながらそれを制した。
「こんな夜更けに、しかも酒の入った体で何を言ってる」
「笑ってる場合じゃないですよ。そんな状態ならすぐにでも」
「落ち着け。こんな年の瀬だ。今更、報告が少し早まったところで、手を打つのは年明けになるだろう。それに、せっかくの視察の内容がお粗末では、二度手間になる。二、三日は滞在して、しっかり報告書が書けるようにしたほうがいい。それについての資料は、明日にでも用意する」
ロウフォンにそう言われて、オスカーは座り直した。
「まあ、飲め。積もる話もあろう。私もいろいろと話したい事もある。自分たちの近況が後になってしまったな……、いきなりすまなかったな」
ロウフォンはオスカーに酒を注ぎそう言った。それから二人は、ここ最近の自分の事や、回りの人間の事を報告し合った。ひとしきりそういう事を話してしまうと、今度は些細な昔話に、明け方近くまで花を咲かせた。
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